長屋の寝具と暖房
当時の寝具は敷布団に、ドテラを長くしたような「掻巻」を掛布団の代わりに使っていた。
「掻巻」は夜着を小ぶりにした薄手の寝具で、温かい日につかい、冬の寒い時期には夜着の下に着込んだという。
江戸時代初期に庶民がよくつかった枕は、「括り枕」といって、長方形の布袋に綿・茶殻・蕎麦殻などをつめて、両端をくくり、房をつけたものが一般的だった。また、木製の箱型の枕で「木枕」というものがある。
この木枕の上部に括り枕をのせて、真ん中を紐で結んだものを「箱枕」という。これは江戸時代にが鬢を張り出す結髪が流行し、これが崩れないように丈の高い枕を必要としたため発明された。また枕が髪油で汚れるのを回避するため、枕に取り替えのための紙を置いて、汚れをふせいだという。
長屋はせまいので、四人家族で二組程度しかしけない。貧乏な庶民は綿のほとんど入っていない「煎餅蒲団」をつかっていたらしい。
夏は汗をかくので、煎餅蒲団の上に「寝茣蓙」という茣蓙を敷いている。
また、長屋の住民は敷布団のしたに「八反風呂敷」を敷いて寝ている。近くで火事になったとき、夜着と枕を敷布団でくるみ、この風呂敷で包み込んで運び出すための工夫であった。
夏になると、夜は戸を開け放して風通しをよくしたが、今より多く蚊が多く発生したので、「蚊帳」という覆いが必需品であった。が、麻製の蚊帳は高価な品であったため、それより安い木綿製がつかわれた。
それより安価なのが紙製の蚊帳である「紙帳」が庶民につかわれた。風通しが悪いため、逆に防寒用にも使われたようだ。
冬になると、江戸庶民にもっとも使われた暖房具は「長火鉢」であった。木製の長方形の火鉢であり、炭火のうえで鍋を温め、灰のなかに埋め込んだ銅壺で湯をわかしたり、酒を温めたりした。
長火鉢の片方には「猫板」という細長い板がつくられ、ここに湯呑み茶碗や酒の器を置いた。猫板という名称は、猫がここによくうずくまっていたからだと云われている。猫板の下部には引き出しがいくつかあった。
江戸時代にも炬燵はあった。炉を床を切ってつくり、その上に櫓をのせ、布団をのせる「掘炬燵」、別名「切炬燵」である。
また、炉を櫓に中にいれた「置炬燵」もあった。掘炬燵とちがって移動できる。
また手足を温める小型暖房具として、「行火」がある。土製または木製で、中に炭団をいれて使用した。
冬は「掻巻」の代わりに「褞袍」という夜着を掛布団のかわりにつかった。「丹前」ともいう。袖が広く、胴回りも大きめに作られている。全体的に綿が詰められており、襟は大きめで黒天鵞絨などの丈夫かつ、防寒性の高い布地で包まれている。
長屋の火を使う道具として、「行灯」という照明道具があった。もともと行灯は携帯式の照明道具であったが、提灯や手燭という柄のついた燭台が広まり、行灯は室内の照明道具となった。
小皿に油をいれ、燈芯を浸して、火を点した。油は菜種油が完全なものであったが、庶民には高価で手が出せず、イワシなどからとった魚油を使用した。魚油は悪臭がひどいものだった。