長屋のトイレはエコロジー
長屋の共同スペースにはトイレもあった。
路地の奥に設置され、当時はトイレを惣後架とよんだ。後架とは禅寺の洗面所のことであるが、そのそばに共同便所があったことから、一般の共同トイレを惣後架というようになった。
また「惣雪隠」ともいう。これは禅宗用語から一般に使われるようになった。由来はその禅師が雪隠寺で便所の掃除していた故事からだ。
便所の扉は下半分だけで、外からは誰が使用しているかすぐわかる。そして大便所と小便所に分かれていた。
なぜかというと、この時代は排泄物を下肥と呼んでいて肥料にしたからだ。
下肥は畑の肥料として優れていたため、近郊農家や業者が高値で買い取っている。長屋の惣後架の下肥は家主の収入となった。百姓は現金のほかに畑で取れた野菜などを渡している。金額は七人住まいの長屋で年間約80万円。
家主のなかでは百姓と一年契約をして、11月か12月に翌年分をおさめるか、盆と正月の二度にわけて払った。
さて買い取られた下肥は畑に直接まくと毒になる。肥えだめでワラなどと混ぜ、一年間醗酵させて、肥料に変えてから畑にまいて野菜を育てた。
その野菜を町の人が買って食べるという循環のサイクルがあったのである。
現在の日本では化学肥料の発達と、公衆衛生法から禁止されている。