長屋の井戸は世界一
長屋の奥には住民たちが使う共同施設があった。
まずは長屋井戸。井戸の枠は円形で、長い竹竿に釣瓶のつるをつけ、井戸に入れておき、竹竿を引き上げてくみ上げていた。のちになると屋根をつけた滑車つきの釣瓶井戸も登場する。この共同井戸で住民の生活用水をまかなっていたという。
江戸の町は水道が完備されていた。川の水を地下へ通して、井戸から釣瓶でくみ上げて利用する。排水管は江戸の町に網目状に張り巡らされ、総延長は150キロメートルにもなったという。これは当時、ヨーロッパの先進国イギリスよりも発展していた。日本は世界一の水道先進国なのである。
井戸は自然と住民同士のコミュニケーションの場なり、「井戸端会議」の語源となっている。
この井戸端で洗濯も行われていた。当時は化学洗剤はないので、釜戸の灰を使っていた。まず盥か桶に水をはり、灰を混ぜ合わせて水溶液をてくる。これが江戸時代の洗剤だ。その上澄み液のなかでもみ洗いをする。
そんなもので汚れが落ちたのかと思われるかもしれないが、化学的根拠がある。灰を水に加えた水溶液はアルカリ性となるのだ。衣服の汚れの大半は垢や皮脂、つまり油分とタンパク質など。アルカリ性の水溶液はそれを分解しやすくするのだ。もみ洗いしてから、きれいな水ですすぎ洗いをする。これでたいていきれいになった。
今も昔も洗濯は科学の力を利用していた。
また長屋などから灰を買って、農家に売買する「灰買い」という商売も存在している。灰は肥料となるのだ。
江戸時代の人々は釜戸の灰といえどもリサイクルして利用していたのである。
江戸時代は実にエコロジーな社会であった。