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江戸城ガードシステム

 江戸城は歴代の徳川将軍やその家族が住んでいたが、他にも幕府の役人が務め、諸国の大名とその家臣たちも招かれた。このような要人たちを守るシステムも当然、工夫されていた。


 城が攻められた場合に備えて、「枡形門ますがたもん」や「やぐら」がつくられている。


 江戸城は、立場やくらいによって通る門が違っていた。江戸城の表玄関ともいうべき「大手門おおてもん」を通ることができたのは大名や天皇の使者に限られていた。


 大手門は橋を渡り、「一の門(高麗門)」と四角い形に仕切られた囲いの広場にでる。江戸城に入るための「二の門(渡り櫓門)」は、そのまま、まっすぐ進んでも行き止まりになっていて、入って右手に設置されていた。


 これは敵軍が侵入してきた場合、その勢いを止め、囲いの中に追いつめることができる構造になっている。これを「枡形門」といい、江戸城はメインの門がこの枡形門になっていた。枡形というのは、昔、お米や大豆、小豆などをはかるときに使った木製の四角い立方体の道具だ。


 枡形門のなかでも身分によって通る者が決められていて、本丸の南側の門である「桔梗門ききょうもん」(内桜田門)は、徳川家の家臣である旗本や御用商人が通った。門の瓦に大田道灌の家紋である桔梗があることから、こう呼ばれた。


平川門ひらかわもん」は別名、「お局御門つぼねごもん」といって、大奥の奥女中が通った。この門はまた、罪人や死者を運ぶときにも使ったため、「不浄門ふじょうもん」とも呼ばれた。


「櫓」は上部から敵がいないか探るための見張り台と、弓矢や鉄砲を撃つための発射台の役目があった。そして、武器を保管しておく武器庫の役割もある。


 櫓にはさまざまな種類が あるが、江戸城の石垣のすみには、その名も「隅櫓すみやぐら」が二重、三重にあった。ほかにも一重で横に長い多門櫓たもんやぐら、門と組み合った「渡櫓門わたりやぐらもん」というのもある。


 現在もある「富士見櫓ふじみやぐら」は三重櫓で、江戸城本丸跡にある。名称は江戸城で一番、富士山がよく見えたからである。そして、明暦の大火ののちは、天守の代わりに使われた。この櫓はどの方角から見ても正面に見えるので、「八方正面の櫓」と呼ばれた。


 三の丸跡には「桜田巽櫓さくらだたつみやぐら」があり、日本最大の二重櫓でもあった。西の丸跡には徳川将軍が月見を楽しんだ、その名も「月見櫓」がある。


 現在、江戸城は皇居となっているが、富士見櫓と桜田巽櫓、伏見櫓の三つの櫓が残っている。


 そして、江戸城を守る役人たちは、正門近くにある三つの番所の役人がガードをしていた。 


 大手門に入ってからまっすぐ行った場所に「同心番所」が設置されている。徳川御三家以外の大名は、ここで駕籠かごを降りて、検問を受ける。


 その番所を左に曲がっていくと、「百人番所ひゃくにんばんしょ」が見える。ここでは百人の鉄砲隊が交代で警備をしていた。江戸城最大の番所であり、南北50mの長さがある建物である。伊賀組・甲賀組・根来組・二十五騎組の四組の同心が交代で警備し、「鉄砲百人組」という。現在の拳銃所持をゆるされた警察官のような存在であった。 


 そして、本丸入口(中雀門)(ちゅうじゃくもん)付近に設置された「大番所おおばんしょ」はなかでも最も重要な番所である。くらいの高い与力よりき同心どうしんが駐屯して警備を担当した。


 現在の皇居にも同心番所と百人番所があって、見学ができる。


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