江戸の激安物件・長屋
江戸時代、日本の首都であった江戸は、世界でも最大の人口で120万人以上が住んでいた。
武家の人口はおよそ65万人で、武家や百姓ではない町人はおよそ60万人。だいたい半々の割合だ。
しかし、町人に割り当てられた区域は武家地の5分の1である・・・・・・
しかも、町人60万人のうち、40万人が長屋に住んでいたという。つまりは町民の七割以上が、せまい区画の長屋に住んでいた。貧富の差、格差社会はいまに始まったことではない。
そのため大勢の家族・住民が密集して生活できる低価格の住居として長屋が誕生したのである。
そんな長屋の人々はけっして豊かとはいえない経済状況であったが、住民たちは仲良く協力し、ものなどを共有して、助け合いの精神で暮らしている。
現在よりもものが少ないため、質素な生活を営み、リサイクルが盛んに行われていた。
今回はそんな長屋の暮らしを紹介しようと思います。
まず、「長屋」という名前であるが、正確には「裏長屋」が正しい。これは江戸の表通りには「表店」という商店が軒を連ね、その裏側に建てられていたからだ。
長屋の入り口には木戸という、門がある。木戸の上部には、長屋の住民の名札がかけられていた。木戸は防犯のため、夜になるとしめられる。
細い路地の両隣に長屋が建てられ、一般的な「棟割長屋」は、長い平屋を九尺二間、六畳と玄関ずつ壁で仕切った建物であったようだ。
家賃は現在の価格で、およそ月に一万円という激安物件。
ただし、壁は薄く、隣人が大声で夫婦喧嘩をはじめれば、筒抜けに聞こえてくる。現在なら近所迷惑だし、危険に感じるが、当時は逆に防犯効果になったようである。行き過ぎた喧嘩なら、隣人や大家の仲裁があるし、怪しい人物がきたこともわかる。
ここに家族四人前後が暮らしていたという。