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はじめ。  作者: ワルツ
1/3

第1話:始

そうだな、どこからはじめようか。やっぱり最初にあの子と会ったところから話した方がいいのかな。

これはあいつと僕の戦いのはじまり。僕ら全員に崩壊の種を撒いた話。そして、ずっと、今も、きっと、これからも、一番大切なあの子の物語。

どんな気まぐれであの世界に立ち寄ったのかはもう忘れてしまったよ。あの子が生きていた世界は心が廃れた世界だった。

西と東の二つの国に分かれていて、そのどちらの国も腐っている世界だった。

あの子が住んでいたのは東の国の北の果ての小さな村だ。あれは12月24日。村は白銀の雪に包み込まれていた。村のあちこちに咲く紅色の花が綺麗だった。

まあ当然か。だって僕は12月の子だから。僕に見える世界はいつも白銀だ。

ぽとり、ぽとりと、落ちてゆくその花に惹かれて僕はその村に立ち寄ったんだ。


民家の壁は風で震え、道行く人の顔はどす黒く沈んでいて、とてもじゃないが豊かな村とは言えなかった。

ぽつぽつと置かれた傷だらけの偶像を拝む乞食が沢山居た。皆、靴も上着も無かった。

そんな人々を見る度に心が痛んだ。そのたびに、雪の上に咲く紅の花に心癒された。

赤褐色のレンガでできた家の前でふと僕は足を止めた。この貧しい村の中ではかなり立派な建物だった。

家の周りにはやはりあの花の木があり、雪の上にぽつりぽつりと紅が咲いていた。僕は花を拾い上げた。滑らかな花びらと柔らかな紅が美しかった。

その時、誰かの視線を感じて上を向いた。二階の窓際に人影が見えた。その人影を見て、動けなくなった。

思えば、囚われたのはその時だと思う。この雪のように艶めく白髪と、暖かい白の肌。

真っ赤な瞳が僕をとらえていた。この時はまだあの子の瞳の色は赤だったんだよね。

僕は驚いた。月の子が見える人間なんて、その子が初めてだったから。その子は僕を指差した。何がなんだかわからなくて一瞬僕は焦った。

数歩遅れて、その子は僕が手に持っている花を指しているんだとわかった。「これが欲しいのかな」って思った。

ふわりと空を飛んで、僕は二階のその子の居る部屋へと飛んだ。ガラスの向こうからあの子は僕をじっと見つめてた。

一目惚れだったよ。つい、綺麗、なんて思っちゃったんだ。


窓には鍵がかかっていた。「ちょっと待っててね」と、きっと届かない声をかけてから僕は入り口の方へと回った。

ちょうどお客が来ているとこだったらしい。入り口の扉は開け放されていて、ぼろ服を着たやつれた男性二人と比較的身なりのしっかりした青年が何か話していた。

青年の方がこの家の主のようだ。雰囲気はどことなくあの子と似ていたけれど、あの子が髪は白く瞳は赤だったのに対して、この人は髪も瞳も黒だった。

青年は時折咳こみながら苛立った様子で男性二人と話していた。僕は三人の脇を通り抜けて家の中に入っていった。


すぐに二階に上がったけれどあの子がどこに居るのかわからなかった。そしたら一つだけ鍵がかかっている部屋があったんだ。

他の部屋には誰も居なかったから、多分その子が居るのはその部屋だとわかって、僕は少し困った。

月の子が見える人間なんて初めて見たから、僕はあの子と話がしてみたくて仕方がなかった。けれど鍵がかかってちゃね。

鍵を探してくる手もあるけれど、そこまでしたら泥棒みたいじゃないか。

僕が立ち往生していると誰かが階段を上ってくる音がした。先ほど玄関に居た青年だった。右手に鍵を、左手にご飯やおかずなど食事の乗ったお盆を持っていた。

青年が鍵を開けて部屋に入ると、やはりそこがあの子の居る部屋だった。

壁も床も白い部屋の片隅であの子は小さくうずくまって座っていた。家具が一つも無い異様な部屋だった。

青年はあの子の前にお盆を置いた。あの子は青年には目もくれず、ずっと僕を見つめていた。


「……どうした?」


青年がその子にそう言うと、その子は僕を指差した。青年は僕の方を見た。


「何も無いが……」


青年の言葉に僕は安心した。普通の人間に僕らは見えない。わかりきったことなのだがいざこちらを向かれると少し焦った。

青年は食事の乗った盆を床に置くとすぐに部屋を出て行った。部屋には僕とその子だけが残された。その子は食事をとりながらまじまじと僕を見つめて言った。


「誰?」


機械が発したような抑揚の無い声だった。


「やっぱり、僕が見えるんだね。驚かせてごめん。はじめまして、僕はフィンっていうんだ。」


あ、そうだ、言い忘れてた。この頃の僕は「フィン」って名乗っていたんだ。「おわり」って名前は後から僕自身が勝手につけた偽名なんだよ。どっちも妙な名前だけどね。


「フィン……?」


「うん。君の名前は?」


「……(はじめ)。」


「はじめ……か。素敵な名前だね。」


これがあの子――はじめとの最初の出会いだった。そして文字通り、ここから始まったんだ。

はじめは少し離れたところでうずくまり、興味津々でこちらを見ていた。僕はあの紅の花をはじめに差し出した。


「これ、よかったらどうぞ。気になってたみたいだから。」


その花を間近で見た時のはじめの瞳は今でも覚えていた。氷のように綺麗な顔が一瞬だけ暖かく緩んだ。

はじめは花を受け取ると夢中でそれを見つめて言った。


「これ、何?」


「椿って花だよ。」


「つばき……きれい……」


はじめは大切そうに椿の花を抱きしめた。僕ははじめの隣に座り込んで言った。


「それにしても不思議だな。僕が見える人間なんて初めて見たよ。ねえ、君はほんとに人間なんだよね?」


「はじめは、人間。きみ、ちがうの?」


「うん、ちょっと違うんだ。僕らは月の子だから。」


「月……の子? フィン、お空降りてきたの?」


「あ、その月じゃないんだ。一年12か月の方の月。」


はじめはきょとんと、何もわからないような顔をしていた。


「あれ、まさか……まさかとは思うけど、1月2月とか暦の仕組みとか……知らない?」


「知らない。」


即答されてしまった。これでは説明が難しくなる。僕はまず暦の仕組みの説明から始めなければならなかった。

一年が12の月で成り立っていること、そして僕が12月の子であることを説明するのにはしばらく時間がかかった。

はじめは何も知らなかった。けれど呑み込みは早く、僕らの存在を驚くほどあっさり信じてくれた。


「じゃあ、フィン、12月の子なの?」


「そういうこと。」


ここにたどり着くまでにかなりの時間がかかった。そして僕は疑問に思った。なぜはじめは暦を知らないのだろう。

不思議に思ったけれど、この村は山奥だしこの環境では教育施設も無さそうなので偶々教わらなかっただけかもしれないとこの時は思っていた。

その時再び部屋に先ほどの青年が入ってきた。青年は無言で先ほどの盆を片付けて出て行った。食事は半分近く残っていた。一言の会話も無かった。

ようやく僕はこの二人の関係の異常さに気づき始めた。僕ははじめに尋ねた。


「ねえ、はじめ。あの人ははじめの家族なの?」


「うん。兄さん。」


「ふぅん……。」


兄と妹。にしては二人の関係は冷たすぎるように思えた。僕は先ほどの兄が出て行った扉をぼうっと眺めていた。

その時、突然はじめは僕の頬をつまんで引っ張ってきた。


「わぁっ、び、びっくりした……。」


「あそぼ。」


「あそ……? い、いいけど。あっ、でもちょっとだけだよ。僕普通の人には見えないから、お兄さんに見つかったらはじめがびっくりされるだろうし、僕はもう少ししたら出て行くよ。」


「だめ。どうせ出られない。」


「え、どうして……?」


「鍵かかってる。」


「鍵!?」


すっかり忘れていた。はじめの兄であるあの青年は確かに鍵を持っていた。僕は慌てて立ち上がり、出入り口のドアノブを動かしたがドアはびくともしなかった。


「うわぁぁ、しまった! ねぇはじめ、このドアの鍵どこで開けるの?」


「開かない。」


「この部屋内側から鍵開かないの!?」


「うん。」


僕は座り込んでがっくり俯いた。うっかりしてたよね、こんな単純なミスするなんて。俯く僕のコートの裾をはじめは引っ張って言った。


「ね、出られない。」


「うん」――とは僕は言わなかった。月の子は人ではない。手段はあるのだ。

僕は12月の子。11月でも1月でもない、12月にしか存在できない。だけど、12月でさえあるならばどこへでも一瞬で行けるのだ。

世界じゅうどこへでも。この世界の外だって。勿論、この部屋の外にでも。

自分の足で歩くのが好きだから普段はあまり使わないのだけれど、この際仕方がなかった。


「出られないことはないんだよね。僕は人じゃないからさ。」


だがそう言うと、はじめはがっくり肩を落として俯いてしまった。はじめの赤い瞳が震えながら僕を見た。

女の子って怖いよね。上目遣いでこっち見てくるものだから、ついグラッときた。

空は白い雲に覆われていたけれどまだ昼間だった。先ほど食事を持ってきていたところを見ると、次にはじめの兄が来るのは多分晩御飯の時間帯だ。


「うっ……し、仕方ないな。次にはじめのお兄さんが来るまでだよ。」


はじめの頬にぱあっと赤みがさし、目を輝かせて笑った。ずるいと思った。かわいかった。はじめは言った。


「じゃあ、きみが鬼。」


はじめは突然僕の帽子を奪い取って走り出した。


「あ、僕の帽子!」


早速鬼ごっこだ。僕はすぐにはじめを追いかけた。この狭い部屋では逃げ場も少なく、すぐにはじめを捕まえられた。

すぐに帽子を取り返して僕は言った。


「次ははじめが鬼だよ。ほら!」


鬼が入れ替わる。はじめは細い脚で必死に僕を追いかけてきた。初対面とは思えないくらいに、はじめはすぐに僕になついた。

僕らは夢中になって遊んだ。けれど時間が経つにつれて僕らは最初出会った時と同じように、座って話すだけになってしまった。

この部屋は狭い上に何も無い。できる遊びは限られるのだ。僕は窓の外を見つめて呟いた。


「外に行けばもっと色んな遊びができるのにね……。あ、でもその薄着じゃ風邪ひいちゃうか。」


するとはじめは僕に寄りかかってきた。また僕は驚いてあたふたさせられた。


「いい。フィンが来てくれてうれしい。」


人一人分の重みが自分にかかるというのは不思議な気分だった。月の子になってから「重い」と感じたことなどなかったかもしれない。

誰と関わることも縛られることもない。月に一度隣の子と会うことはあるけれど特に行動を制限されることはない。12月という時間の外には出られないけれど、空間に関してはきっと人より自由だ。

しかしはじめが寄りかかってくるものだから、この時の僕は動けなくなっていた。

ちらりとはじめを見ると、僕があげた椿の花を大切そうに抱えてはじめは眠ってしまっていた。

一人分の重さが暖かかった。


「困ったなあ……。」


結局そのまま、僕は動けなかった。鍵のかかった扉と窓の向こうを見つめながら僕は考えた。はじめはこの部屋の外に出たことはあるのだろうか?

家具一つ置いてない狭い部屋。扉には鍵がかかっていて窓も開かない。これは、「閉じこめられている」のではないだろうか?

誰に? その答えはすぐに思いついた。だが、そう簡単に疑うのは良くないと、その時はぐっと飲み込んだ。

はじめと最初に目が合ったあの時を思い出した。窓の外を見つめて、はじめは何を思っていたのだろう。

強く腕にしがみつくはじめはどこか震えているように感じた。

静かだった。改めて僕は部屋を見回してみた。この部屋は床も壁も天井も白かった。

ぞわりと背筋に悪寒が走った。鍵のかかった出られない部屋、白い壁、動かない体。

声も音も無くなったその時、過去の記憶が今と被って見えた。震えていたのは僕の方だったのかもしれない。

ここに居てはいけない。何かが僕に訴えた。けれど腕一つ動かせないまま、僕は陽が沈むまで過ごした。


下の階からカチャカチャと食器の音が聞こえてきた時には、もう窓の外は薄暗くなっていた。

この部屋には灯りが無い。窓の外、雲の向こうでぼんやり光る月だけが部屋を照らしていた。

食器の音がしたということはそろそろはじめの兄が来る頃だろう。


「はじめ、はじめ起きて。僕もう少しで行かなきゃ。」


はじめは起き上がったが、まだ眠たそうにしていた。僕ははじめの膝に乗っていたつばきの花をはじめの手に乗せて、笑って言った。


「今日はありがとう。はじめと話せてよかったよ。じゃあ、元気でね。」


はじめはつまらなさそうに唇を噛み、僕の手を握って言った。


「だめ。」


「え。」


「まだ居て。」


「いやいやいや、駄目。僕、困る。色々と。」


はじめは僕の手のひらに爪を立て、がっくり俯いた。僕は困ってしまった。はじめにそんな顔をしてほしくなかった。

僕は考えた。今日が何日かはうろ覚えだったが、たしか明日はまだ25日のはずだ。


「じゃあ、明日も遊びに来るから。また明日会おう。ね?」


はじめは顔を上げた。目に光が灯った。


「明日、来てくれる?」


「うん。」


「明日も、その次の日も、来てくれる?」


「12月の内ならね。」


「じゅうにがつ……終わったら?」


「そしたら、しばらくお別れだ。ほんとはずっと会いに来たいけど、僕らの仕組み上どうしてもね。でも……」


「でも?」


「また、次の12月に会いに来るよ。」


はじめは黙って頷いた。天使でも見るような熱の籠もった目だった。そして僕の手を強く握って言った。


「ぜったい、来て。やくそく。」


「うん、約束。」


そう言うと、はじめはぽつりとこう言った。


「ひとりぼっち、さみしいの。」


その言葉は思いのほか僕に強く響いた。灯りも無い薄暗い部屋は、独りじゃきっと寒いだろう。

階段を登る音がした。鍵の揺れる音もした。僕ははじめの手を握り返した。


「大丈夫。一人にしないから。」


そして僕は手を離して背を向けた。


「また明日。」


鍵の開く音がした。はじめの兄が扉を開けた。思ったとおり、また食事の乗ったお盆とランプを持って部屋に入ってきた。

僕は部屋を出る前に一度はじめの方を振り返った。震える瞳を無視して部屋を出なければならないのは辛かった。

はじめの兄と入れ替わる形で僕は部屋を出た。横を通り過ぎる時、ここに来た時とは違う緊迫感があった。

僕の後ろで扉が閉まる音がした。


「驚いたな……、こんなこともあるんだね。」


まだ暖かさの残る手を見つめながら僕は呟いた。先ほどまでの出来事が夢のように感じた。

けれど夢ではない。約束を思い出して僕は微笑む。明日も明後日も、あの子に会えるのだ。

また明日。そう繰り返して歩き出した――その時だった。

何もかもを力任せに叩き割ったような音が響き渡った。


「なんだこれは! どうしてこんな物がある!?」


強く低い声――はじめの兄の声だ。壁を叩く音、食器が割れる音、ボコッと鈍い音。甲高い金切り声。


「この花はどうしたんだ!? なんでこんな物を持っているんだ! 外に出たのか、それとも誰かが忍び込んだのか!? どういうことだ!」


震えが止まらなかった。全身が痺れるような感覚が足をあの部屋の前へと引き戻す。

また鈍い音がした。怒鳴り声がした。クシャと何かが潰れる音。また食器が割れた。

罵声と轟音は一体何十分続いたのだろう。この部屋に来てからずっと気にしないようにしていた感情がふつふつと湧き上がってきていた。

はじめはなぜ暦を知らなかったのか。なぜはじめはこの部屋から出られないのか。なぜはじめはひとりぼっちだったのか。答えは一つしかない。

再び扉が開き、目の前に現れた青年を僕は怒りと憎しみを込めて睨みつけた。

開け放された入り口の先に頬を抑えて壁にもたれかかるはじめと、床に散らばる晩御飯と、粉々になった椿の花が見えた。

はじめの兄は掃除道具を取りに行ったようだ。僕は迷わずはじめに駆け寄った。


「はじめ! はじめ、大丈夫? 痛くない?」


はじめは泣きも怒りもせず、うっすら血の滲む指で僕の頬を撫でて笑った。


「また、来てくれた。」


この時僕は一つの決断をした。今思うととても幼く、愚かな決断だった。

理想が正義だと信じていられたあの時だからこそできたのだ。きっと今は、あの時のように純粋で傲慢にはなれない。

開かない窓の向こうを見つめて僕は思う。はじめはここに居てはいけないと。


僕がはじめを守らなきゃならない。僕がはじめを救うんだ。

きっとそれがはじめの幸せだとあの時は信じていた。

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