98話 登校(前篇)
下駄箱の白い上履き……。まだあったんだな。
そりゃそうだ。おれは1年近く……少なくとも半年以上、あっちの世界にいっていたけど、こっちの世界ではまだ1日しか経ってないんだ。
女子生徒がやってきた。
上履きに履き替えてこっちを見る。
「ん! 佐藤……くん?」
そうだが。
なんだ? 1年ぶりに遇ったような驚きっぷりは。
そっちからしてみりゃ、まだ1日ぶりのはずだろ。
「ビックリ。別人かと思った。コンタクトにしたの?」
なるほど、そういうことか。
すっかり忘れていたが、メガネならば峠の番人に壊されたのだ。その代わりに視力を正常にしてもらった。こっちにきても魔法が効いたままというのは、ありがたいことだ。
「まー、試しにちょっと」
コンタクトなんてしていないが、そんなふうに答えて教室へ向かった。
教室に入る。
おれの机ってどこだっけ。ああ、あっちだ。
教室には先に登校した生徒が大勢いる。
みんな何ごともなかったような普通の顔だ。まあ、当然だ。何ごとかがあったのは、この中でおれだけなのだから。
だけど、なんとなくみんなが幼く見えた。そういえば結構、名前も忘れてるな。まるで初めて見るような顔とかもある。
会話が聞こえてくる。インストールしたアプリがどうの、ハマってるゲームがどうの、きのうのテレビ番組がどうの、あの教師がどうの、誰と誰がつき合ってどうの、どこぞの店のケーキがどうの、近所の塾の評判がどうの……。
見事なまでに興味のない話題ばかりだ。
でも入学前は、できるだけ多くの友達がほしいなんて思ってたんだっけ。
朝のホームルームが始まった。
きのうショッピングモールで遇った亜澄さんは、まだ登校していなかった。
休みか? 元気そうだったけど。
1時間目の授業は体育だ。しかも木曜日の体育は、男子の場合、剣道と決まっている。剣道場で着替えをしていると、杉ナントカという同級生が、意外にも話しかけてきた。
「コンタクトにした? 佐藤くんってメガネがないとぜんぜん雰囲気が違うね」
「そうか」
登校時にも誰かにいわれたが、そんなに違うのか。
「それにさあ、胸板、ずいぶん厚くなってるような気がするけど」
そりゃな。武勇の舞の特訓したり、魔物や剣豪と闘ったり……。
「気のせいじゃないかな」
竹刀を握った。
残念ながら1学期は、試合形式に近い『互角稽古』なんてない。だから授業はつまらなかった。エルリウスとの一戦のようなワクワクした気持ちが偲ばれる。
剣道の授業が終わると、日直のもとへいった。
「鍵、貸してくれないか? 用具庫の鍵閉めは、おれがやっといてやる」
「どうしたんだい。佐藤くん」
「いいじゃん。おれがやっとくっていうんだから」
「そう? じゃ、頼む」
鍵を渡された。
同級生がみな道場をでていってから、自分の竹刀を手にとり、鍔を外した。
誰もいない道場で武勇の舞を始めた。
棒となった竹刀をふり回す。結構、体が覚えているものだ。
こっちの世界じゃ、魔物なんていないから、敵から命の危険にさらされることなどまずありえない。それにここはDQN校じゃないので、生徒同士の暴力すらないはずだ。
けれどせっかく覚えたんだし、今後も武勇の舞の練習は続けてみよう。
鍵を職員室に返し、教室へ戻っていく。
次は数学だっけ。ブランクが長いから、授業についていけるかどうか……。
教室に亜澄さんの姿があった。休みではなく遅刻だったようだ。
目が合ったが、互いに逸らした。
2時間目の授業はちんぷんかんぷんだった。数学は家に帰ってから、やり直すしかない。前回までの授業をまるで覚えていないのだ。
いまは窓の景色でも眺めていたい。しかし窓はこの席から遠すぎる。
代わりにノートいっぱいに絵を描いた。
とびきりの美少女の絵だ。
イラスト風ではなく写実的に描いてみた。
チャイムが鳴り、授業が終わった。
ノートをそっと閉じる。
「佐藤くん、やっぱり絵、巧いんだね」
また隣の女子生徒だ。今回はおれの名前を間違えていなかった。
だけど他人のノートをのぞき見するのはどうかと思うぞ。
そういえば、その女子生徒の名前を覚えていなかった。
はて、なんといったか。
この先呼ぶこともないだろうし、別に構わないか。
彼女が周囲の生徒に呼びかける。
「ねえ、ねえ、ちょっと。佐藤くんがまたノートに絵を描いてたの。すっごく巧いから見せてもらいなよ」
ほーら、集まってきちゃった。余計なことをしてくれちゃって!
後ろの奴がいう。
「ノート、また見せてもらうね」
「勝手にしてくれ」
彼が机の中に手を伸ばす。
「サンキュ。今度はどんな絵なのかなー」
どんな絵といわれても、おれは美少女しか描かない。
ただし今回は『超』がつくほどの美少女だ。
彼が驚愕の声をあげる。
「わっ! なんだ、これ。確かに滅茶苦茶、巧いけど」
「美しいだろ?」
「いや、美しいというか……トカゲ? これってオオトカゲの一種かな」
トカゲだと? 失礼な。
「トカゲじゃない。ムカシトカゲだ。ムカシトカゲっていうのはなあ、トカゲからしてみれば、同じ爬虫類のヘビより遠縁種なんだぞ。それに、ほら、こんなにも綺麗なんだ」
「綺麗……? どちらかといえばグロいと思うけど」
どこがグロいんだよ。
この神々しき純美に対して。
彼女はいまでも、おれの心の中にいる。
トアタラ……。
隣の女子生徒が尋ねる。
「佐藤くん、目ぇー、真っ赤だけどどうしたの?」
「ゴミが入った。顔、洗ってくる」




