94話 ベンチ
ここはどこだ。
見覚えがある。ブランコ、滑り台、砂場、ゾウやカバのオブジェ……。
よく知っている公園だ。
もとの世界に戻ってきたのか?
ああ、間違いない。どう見たってもとの世界だ。
生垣の向こうに道路がある。車も走っている。馬車ではない。自動車だ。
この公園は……。そう、もとの世界で死んだとき、目の前にあった公園だ。
いまおれがいるところは、公園内のベンチの上。
隣のベンチにも誰かが寝ている。
「おい、起きろ。どうしてリリサがこっちの世界にいるんだ」
ベンチの上で横向きに寝ているリリサの体を揺すった。
ハッとした。揺すったときに気づいたが、リリサに膨らんだ胸がある。
いまは満月の夜なんかではない。ちゃんと太陽が顔をだしている。
ああ、呪いが解けたんだ。リリサの体がオンナに戻ったんだ。
そっか、呪いをかけた魔王は消えていったもんな。
リリサは目を覚まし、むっくり起きあがった。
「あれ? 佐藤。ええと……」
「おはよう、リリサ。もう魔王はいねえよ」
リリサは眠たげに瞼をこすり、周囲を見まわした。
「え?」
この状況を理解できていないようだ。
「ようこそ。おれの住んでいた世界へ」
きょとんとしている彼女に、この世界のことを話してやった。
魔法はないこと。その代わりに科学が発達していること。魔物やモンスターは基本的にいないこと。
「じゃあ、あれも科学なの? 魔法じゃなくて?」
走っていく車を指差している。
「そうさ。油を燃焼させることで走ってる」
「燃焼? それでどうやって動くの。イメージできないんだけど」
おれだって仕組みなんか詳しくは知らない。
空を見あげた。頭を掻く。
「リリサのいた世界だって、風車が粉をひくようなカラクリはあっただろ。そういう知恵が無数に詰まってるんだよ」
「だとしても無理でしょ。魔法を使わずになんて」
「魔法ってさあ、会得した人が死んじゃえばそれで終わりじゃん? でも知恵は受けつがれていくものなんだ。いにしえからの知恵や発見や努力が蓄積された結果、ああいう魔法のような機械ができあがったんだ」
こんな説明ではまったく不十分だが、無理やり納得してもらうしかなかった。
「あれっ!」
リリサが大声をあげた。
「どうしたんだ?」
「おカネがない。いろんなアイテムもなくなってる」
そういえば、おれのアイテムもすべてなくなっている。
代わりに財布がでてきた。中にはちゃんと紙幣や硬貨もある。
紙幣を広げると、野口英世と目が合った。
懐かしいな。うん、日本だ、ここは。
特技インド『ゼロの発見』により、向こうの世界に存在することができなくなった。だからこっちへ飛ばされたのだろう。インドへの扉なんて、なくてもよかったんだな。
スマホもあった。ついでに現在の日時を確認する……。おれが死んだ日だ。下校時刻から1時間も経っていない。
この世界の時間はほとんど止まっていたのか。
あるいはこの世界に戻る際、タイムスリップでもしたのか。
そんなのどっちでもいい。
向こうの世界から来てしまったリリサをどうしよう。
まさかここに置いていくわけにはいかない。当然、うちに連れて帰ることになるが、うちの両親は……。何がなんでも必ず説得しなくちゃ!
「リリサ、聞いてくれ。ここにはギルドなんてない。無一文のリリサにいくところはないんだ。だからとりあえず、うちにきてもらおうと思う。いいよな?」
「感謝するわ。ここじゃ佐藤しか頼れそうにないから」
「じゃあ、いこう」
リリサが止める。
「待って。カスミがいない」
「カスミ? 向こうの世界に置いてきたんじゃ……」
リリサは首を横にふった。
「ううん。佐藤が消えるとき、わたしは佐藤にしがみついたでしょ。でもそのときにね、カスミがわたしにしがみついてきたの。だからこっちの世界にいるはずなんだけど」
そういえば……目を覚ましたところがベンチの上だなんて、少し奇妙に思っていた。もしかするとカスミが先に目を覚まして、おれやリリサをベンチに寝かせたのかもしれない。
「カスミにとってここは異世界だ。どれも珍しいものばかりだろう。ちょっとだけ近辺の探検にいってるのかもしれないな。しばらく待ってみるか」
もちろんカスミについてもおれが面倒をみる。リリサとカスミのためなら高校なんかやめたっていい。
しかしいくら待ってもカスミは現れなかった。
こっちの世界には来ていなかったとしか考えられない。
おれたちをベッドに寝かせてくれたのは、きっとカスミではなく通りすがりの人だったのだろう。
リリサを家に連れていった。
マンションの4階だ。
玄関のドアの前に立つ。隣にはリリサがいる。
妙に緊張してきた。
呼び鈴を押してから、ドアの鍵を自分で開けた。
「リリサ、入ってくれ。ここがおれんちだ」
玄関に入ると同時に、廊下に人がでてきた。
「オカエリナサーイ」
「た……ただいま」
びっくりした。
誰かと思えば、兄の嫁だ。
イギリス人とインド人のハーフだったっけ。
そして兄もでてきた。
「おう、帰ってきたな。どうだった?」
と、おれに声をかけ……。
「ぎょえーーーーーーっ」
と、叫んだ。リリサを見て、目を丸くしている。
「お前なあ、犯罪だぞ。嫁も一緒に連れてくるような予感ならば、ちょびっとだけしてたさ。だけどロリコンだったとは知らなかった! 高校生がこんな幼い子を嫁にしちゃ、駄目だろーがっ」
「あのなぁ、こう見えても兄貴より年上だぞ。そもそも嫁じゃないし」
だが問題はそこじゃない。おれが異世界に行ってきたことを、兄は知ってるような口ぶりだったぞ。念のため確認する。
「おれ、どこからきたと思う」
「向こうの世界だろ。きょう死んで、きょう生きかえった。違うか?」
「た、正しいよ」




