86話 限られた時間
自称『土の魔女』はとうとう観念し、仮面を外した。
その素顔はカスミのものに相違なかった。トアタラのいったとおりだ。
トアタラが険しい顔をカスミに向ける。
「わたしたちの体に巻きついている変なものを、早くとってください」
ここでおれたちは、カスミの舌打ちを久しぶりに耳にした。彼女はそのあと、トアタラにいわれるがまま、おれたちの両手の自由を奪っている物体を解きはじめた。
さて、カスミに問いつめたいことが山ほどある。いますぐみんなで彼女を吊るしあげたいところだが、そんな余裕はなかった。緊急事態なのだ。
おれもトアタラもリリサも、カスミの前からそれぞれ散っていく。みんなの膀胱が我慢の限界に達していたのだ。
用を足したのち、すっきりしてカスミのもとに戻った。おれが1番乗りだ。
そしてリリサが戻り、最後にトアタラも戻ってきた。
あらためてカスミに詰めよろうとする。
「その前にいいかしら」とリリサ。
何故かカスミではなく、おれを睨みつけている。
「佐藤の変態! 変態! 変態!」
「な、なんでおれが変態なんだよ」
「佐藤は胸でしか、人の判別ができないわけ?」
仮面をつけたカスミが土の魔女ではないと見抜いたのは、確かに胸の大きさによるものだ。でもこればかりは仕方がなかろう。グラナチャのボディーはそれほど強烈で狂暴で爆発的な見栄えだったのだ。
「何をいうかっ。胸でしか判別できないなんてこと、あるわけないだろ。おれは、ム……胸とかあんまり興味ないし。ていうか全然」
リリサが目を眇める。
「そういえば満月の夜、わたしの胸ばかり目で追ってたわね」
「誤解だ。そんなことはない」
「この変態!」カスミまでもいってきた。
いや、おかしいだろ。
いま責められるべきはカスミの行為であって、おれではないはずだ。
しかし2人の眼光に追いつめられる。
トアタラに助けを求めて、視線を送る。
しかしトアタラはただ微笑んでいるだけだ。
見捨てないでくれ、トアタラ……。
「今回は佐藤を助けません。命にかかわることではありませんので」
冷たいじゃないか。おれをつき放すなんて。
にんまりするリリサとカスミ。2人がかりでおれを罵倒しようとしている。
再度、トアタラに視線を送ってみる。本当に助けてくれないのか。
「さっきもいいましたとおり、今回は助けませんよ。だって、ほら、楽しいじゃないですか。こうしてみんなでワイワイできるのって。みんなの顔がイキイキしています。やっと4人がそろったんです。みんながバラバラになってから、ずっとこんな日がくるのを望んでいました。みんなの笑顔がそろうことなんて、もう2度と訪れないのではと、弱気になることもありました。ですからいま感激しています。涙がでそうなくらいに。くだらないことに思いっきり騒いでいるこのときって、いつかきっと最高の思い出でになるでしょう」
そして彼女はリリサとカスミに向いた。
「2人とも本気で佐藤に怒っているわけでも、また憎んでいるわけでもないのですよね。ただ幸福を実感しているのですよね。たまには思う存分、元気にふざけ合ったり、じゃれ合ったたりするのもいいと思います」
トアタラ、何をいっている。いったいどうしたというのだ。
そしてふたたびおれに向く。
「佐藤も2人の仲間から罵倒されたり、蹴られたり、踏みつけられたりするのって、本当は嬉しいのですよね」
待ってくれ。それではまるで本当の変態じゃないか。
でも、まあ、仲間のこんな元気な顔を見ていられるのは、たぶん幸せなひとときなのだろう。
「佐藤はきっと変態です。わたしにはよくわかりませんが、リリサとカスミがいうのならば、間違いないと思います。ですから、佐藤を罵倒しましょう。踏みつけましょう。あれっ? みなさん、きょとんとした顔してどうなさいました? さあ、盛りあがりましょう。だってやりたいことができるのは、いまだけなのですよ。わたしたちはこれから死を覚悟して、恐ろしい魔王に立ちむかっていくのです。負けて死ぬ確率の方がずっと高いのです。つまりわたしたちの人生って、とても短い可能性が高いのです。それにわたしの場合は仮に魔王に勝ったとしてましても、呪いが解けますので人間のままではいられなくなります。そうです。どちらに転びましても、人間として生きていられる時間は限られています。わたし、こういう楽しい思い出がもっといっぱい欲しいのです。そして死ぬ間際に、あるいは呪いの解ける間際に、この楽しかった時間を思いだすのです。ですから続けてください。みんなで思い出を作りましょう」
確かに、1日でも早く魔王と対決することを望んでいる。4人でふざけ合っている時間はもう限られている。おれについていえば、この世界の人間ではない。もし魔王を倒せたとしても、みんなとはお別れなのだ。
ところでリリサとカスミは毒気を抜かれたらしい。すっかり大人しくなってしまった。
そんな2人を見つめながらトアタラが小首をかしげると、リリサはクイッと小さく肩をすくめてみせた。
「えっと……。トアタラ、ごめんなさい。佐藤を罵倒するのとかって、あしたにするわ。それまでに佐藤を叩くネタをいっぱい考えておくから。あと、杖でわたしをグリグリしてくれたカスミにも文句をいおうと思ったけど、なんだかどうでもよくなってきちゃった。でもカスミ、何故こんなところにいたのか、経緯だけは話してちょうだい。どうして土の魔女のフリなんてしてたの?」
そうさ。いま問題にすべきなのは、まさしくそれではないか。カスミはここで何をやっていたのだ?
おれたち3人の視線がカスミに注がれる。
「わかった。説明しないとならないわね。でもこんなところで話すのもなんだから、上にいきましょ。わたしのあとから階段をあがってきて」
カスミが長い階段をのぼっていく。リリサが彼女に続いた。
やや遅れてトアタラが階段をあがる。最後尾はおれだ。
トアタラがふり向いた。
「佐藤、感謝してくださいね」
おれはハッとした。
「もしかして……」
……さっきの話、全部おれを助けるためだったとか?
「やっぱりなんでもないです」
彼女は前を向き、階段をのぼっていく。




