83話 靄のかかった森(後篇)
「そうだ、オジさんが踊りを教えてあげるよ。へっへっへ」
こんな美少女と合法的に手を握れるチャンス……。
おっと、なんでもありませーん。
椅子から立ちあがった。
「ちょいっと、すんません」
ヤモックたちに頭をさげ、少女のもとへ歩いていく。
彼女はなおも足をバタバタさせていた。
そんなに踊りたいのか。しょうがないなあ。
キュートな彼女の顔を眺める。
おや? この子も見覚えあるような。初めて会ったはずなのに。はて……。
指先で頬をつんつんと突いてやった。
肌がもちもちしている。
いてっ、噛まれた。こいつ噛みつきやがった。
もー、踊りを教えてなんかやるものか。
だったら隣の子に教えてやろう。
こっちの子も美人さんだ。
うーん、やっぱりどこかで見たことがある。
でも思いだせそうで思いだせない。ああ、もどかしいったら……。
ぐっと顔を近づける。
唇がつやつやしている。
オジさん、食べたくなったぞ。
さらに顔を近づけた。
なんて甘い香りをしてるんだ。
チューしちゃおうっかな~。
んぐ。ゲヴォーーーーーーーーーーーーー。
嘔吐した。
ああ、気持ち悪い。ハァ、ハァ、ハァ。
でも吐いたらスッキリした。
駄目だな、おれ。まだトアタラに近寄れないのか。
ん! トアタラってなんのことだ?
トアタラ……。
顔をあげ、少女を見据える。
「トアタラか」
どうしてトアタラがこんなところに。
てか、トアタラってヤモックの娘だったのか?
いいや、そんなわけない。
それから……隣にいる少女はリリサじゃないか。
どうしてリリサがこんなところに。
てか、リリサってヤモックの娘だったのか? もとい息子だったのか。
いいや、そんなわけない。
「この酔っぱらい!」
いてっ。リリサに蹴られた。
でもようやく声を聞くことができた。
頭の中の白い霧が晴れていく。何もかもが鮮明になってきた。
おれ、いままでどうしちゃってたんだろう。
「早くほどきなさいったら」
よく見れば、リリサの手が縛られているではないか。
だから足をバタバタしていたのか。
トアタラも同様に手の自由を奪われていた。
いったい何があったというのだ。
とにかく2人を解放してやった。
ちょっとヤモックに話を聞こうじゃないか。
「あのう、ヤモック……。あれっ?」
ふり向いてみるが、そこにヤモックたちはいなかった。
代わりに化け物が3体。
皆、顔も手足も胴体もひょろりと細長い。赤い目が縦に3つ並んでおり、頭のてっぺんにはイソギンチャクのような口がついている。少し滑稽にも見えるが、とにかく気色悪い容貌だ。
化け物たちは椅子から立ちがり、寄ってくる。
気持ち悪さに思わず身をひいた。
しかし両手が自由になったリリサは、前へと勇ましくつき進む。
さすがは漢だ。かっけーぞ。
華奢な指で菱形を作り、魔法『炎球』を連発する。
化け物はあっけなく燃えてなくなった。
さすがはリリサだ……というより化け物たちが弱すぎたのだろう。
「戦闘力は最弱クラスだったわね」
ガッカリした顔を見せている。
ところで、これまでの経緯がわからない。
ぽかんと考えこんでいると、リリサが顔をのぞきこんできた。
「まだ目ぇー覚めてないわけ?」
その後ろでトアタラも笑っている。
リリサはおれの両頬をつねった。
「あんた、あのひょろっとした化け物に幻覚魔法をかけられてたのよ。聴覚も封じられてたみたいね。わたしとトアタラで、あんなに叫んだのに、佐藤はずっと無視してた」
「おれだけ魔法にかかってた?」
「そう。たぶんトアタラの持っている『白闇の鏡』と一緒で、魔力の低い者だけがかかってしまう魔法だったのよ。もちろんわたしには弱小魔法なんて効かなかった。でもトアタラも魔法にかからなかったのは……。そうねえ、以前よりずっと魔力が高くなったのかな」
「いいえ。現在もわたしの魔力なんて、たいしたものではありません。たぶん佐藤の特技インドという踊りが、わたしに効かなかったのと、同じ理由だと思います。生まれたときに人間ではなかった者には、効かない魔法だったのだと思います」
いずれにせよ、おれだけがアイツらの魔法にかかっていたわけだ。ああ、なんだか情けないし、みっともないし、恥ずかしいし、間抜けな感じがする。せめておれの手でアイツらを屠ってやりたかった。
いまさら悔しがったってどうしようもない。でも……やっぱり悔しい。
椅子を蹴りとばしたら、「静かにっ」とリリサに叱られた。
「いいこと? 敵はもう1匹いるから、まだ油断しないで。耳をよく澄ませるの」
「もう1匹いるのか」
「ええ、憎たらしいのが残ってるわ。魔法の効かなかったわたしとトアタラを、不意打ちで襲ってきた卑怯な奴よ。わたしたちはそいつに捕縛されてたの。ああ、そうだ。わたしの魔法でこの集落ごと焼きはらえば、姿をだすかもしれないな」
さらっといい放ったが、集落ごと焼きはらえるのか。
「リリサの魔法で?」
「ええ、造作もないこと。本当はポヌーカで披露するはずだった魔法フレアよ」
そういえば聞いたことあったっけ。火の神の回復に使おうとしてた魔法だったかな。結局、見ることはできなかったが。リリサの魔法フレアか。ぜひ見てみたい。
おれたちは建物をでて、すぐ森の中に入った。
リリサが指で菱形を作る。
呪文を詠唱すると、指の菱形からすさまじい炎が噴射された。
想像よりも遥かに強烈だった。
背後に立つおれの肌まで焼けてしまいそうだ。
紅蓮の業火は視界に映るすべてを焼きつくし、前方一帯が灼熱地獄と化した。
集落どころか、大きな町さえも焼きつくせるのではなかろうか。
これはもう絶対にボボブマのネオ・インドラを超えている。
炎に覆われた地面から何かが姿を現した。翼の生えた大蛇だ。頭が大きく不格好にも思える。蛇の化け物のくせして、阿修羅像のように腕が6本も生えていた。
リリサが指の菱形をいったん崩すと、炎は一瞬にして鎮火した。
そして再度、菱形を作ろうとしている。
「待ってくれ、リリサ。お前のフレアがすげぇ―のはわかった。次はおれにやらせてくれないか。新しい特技インドが3つもあるんだ。そのうちの1つを見せてやるぜ」
特技『カラリパヤット』は人間相手に有効だったが、火の神にはまったく歯が立たなかった。しかしこれから披露するのは『カラリパヤット改』というものだ。人間以外の敵にも有効なのは、すでに実証済みだ。この数ヶ月の間で、どれほどの化け物を屠ってきたことだろうか。
刮目しろよ、リリサ、トアタラ。
脳内で特技インドのカラリパヤット改を選択する。そして『魔人のウルミ』を手にとった。さあ、新特技発動だ。
魔人のウルミをふり回す。びゅんびゅんと鳴っていたその超長剣の音は、やがてゴーというように変化した。周囲の空気を"綿菓子"のように絡みとっているように見える。絡みとられた"綿"は7色に光っている。魔人のウルミ自体も信じられないほどの長さに伸びている。5m、10m、15m……20mを超えているかもしれない。これこそが魔人のウルミの真骨頂なのだ。
魔人のウルミをふり抜く。
大蛇の化け物は真っ二つとなった。たった一撃だ。
ほーら、あっという間に終わったぜ。
もっと見せたかったが。
「佐藤、お見事です」
「やるじゃない、佐藤。わたしもフレアじゃなくて、新特技のメガフレアをだしておけばよかった。2人に早く見せてあげたいな」
森は消えた。視界の一面がゴツゴツした岩地と化した。もともと森なんてなかったのだろう。つまりあの森までもが幻覚だったのだ。
リリサにも幻覚を見せてしまうほどの強力な魔力か。恐ろしいな。
不意に陽光を和らげたのは、空に浮かぶ"ちぎれ雲"だった。しかし小さな雲の流れはジェット機のように速く、たちどころに太陽が顔をだした。
強烈な日差しが照りつけると、トアタラは腕で顔を半分覆った。
乾いた風が吹き、リリサの髪をもてあそぶ。
髪を押さえながらリリサがいう。
「気をつけなくっちゃね。これから先、化け物たちは単純な攻撃魔法だけで襲ってくるわけじゃないわ。今回みたいに幻覚魔法とか精神魔法とか、いろんな手でわたしたちを狙ってくるはず。佐藤は危なかったわね。あのスープを飲んでいたらどうなっていたことか」
「どうなってたのかなあ」
「さあね。化け物の眷族にでもなってたのかしら」
「それ最悪だな」
リリサがいたずらそうな顔を見せる。
「心配しなくてもいいわ。そのときにはわたしがフレアで、懇ろに佐藤を火葬してあげるから」




