82話 靄のかかった森(前篇)
魔界へいくといっても、どこにあるのだろう?
クルス村は山の陰にあるため、インドラの雷の被害は比較的少なかった。すなわち魔王のいる魔界は、クルス村から見て山側の方角にある可能性が高い。
山側の方角……あまりにも大雑把だが、とりあえず向かってみるしかない。
ただ乗合馬車はもうどこにも走っていない。だからずっと徒歩になるだろう。
ふたたび旅が始まった。カスミがいないのは寂しいし残念だが、久々にトアタラとリリサとともに旅ができるのは嬉しい。
クルス村を出発したおれたちは、山々を越えずに迂回している。それはトアタラとリリサの希望だが、何故なんだ……? 山歩きがあまり好きではなかったのか。まあ、なんでもいいさ。
山々を大きく迂回し、大きな川を越えた。
クルス村を出発してからここまで、人の生活している集落はなかった。
ただ廃墟となった町や村ならば4ヶ所ほど通りすぎた。
いまは砂の海を歩いている。視界が悪い。吹きつづける風のせいで、舞いあがる砂埃に目がやられる。
やがて遠くに緑が見えてきた。あんなところに森が残っていたのか。いってみよう。
森に入ると風はやんだ。
この森は遮る山もないのに、インドラの雷の被害に遭わなかったのか。
小鳥が鳴いている。どこからだろう。喬木を見あげるが、姿は見せてくれない。
木漏れ日をシャワーのように浴びながら歩いていく。とても気分がいい。
うっすらと靄がかかってきた。
木々の間隙に民家が見えた。5~6軒あろうか。森の中の小さな集落だ。
とても静かでひっそりしている。ここも廃墟なのだろうか。
人が住んでいてほしいと願った。
池のほとりに岩があった。
岩? 違う。
靄にかすんでいるが、よく見ると人ではないか。
よかった、人がいる!
向こうもこっちに気づいたようだ。人はゆっくり立ちあがった。
手招きをしている。
いってみよう。
手をふり、近づいていく。
人の口が動いた。声は発していない。
口が利けないのか。
手招きする手がさがった。
人はくるりと背中を見せた。まっすぐ歩いていく。
ついてこい、ということなのか。
その人、誰かに似ているような……。
あるいはどこかで会ったっけ? なんとなく見覚えがある。
人は1軒の民家の前で立ちどまった。
戸を開ける。
こっちに向きながら、屋内を指差した。
それじゃ、ありがたく家におじゃまさせてもらおう。
中に入ってみると、さらに別の2人がいた。
やはり見覚えがある。しかしはっきりとは思いだせない。
人は椅子を指差した。
そこに座れ、ということなのだろう。
椅子へと歩いてく。
おかしいな。おれ、どうして千鳥足なんだろう。
ずっと歩きっぱなしで、疲れているからか?
椅子に腰をおろさせてもらった。
テーブルに料理が並んでいく。
いい香りだ。おいしそう。
あっ、思いだしたぞ。
どうして忘れていたのだろう。
人に指を向けた。
「あなたはヤモック!」
人は2度うなずいた。やっぱりヤモックだったか。
だけど何故こんなところにいるのだ?
そうか。ナタン村はインドラの雷で廃村にされたんだ。
でも嬉しい。生きていてくれて。
順に指を差していく。
「あなたはヤモックの奥さん。そしてあなたはパチャンだ!」
2人とも無言で首肯した。
「ああ、こんなところで会えるとは思ってもみませんでした」
ヤモックも含めた3人が同時に首肯している。
まだ他にも忘れていることがあるような……。
きょうのおれは変だ。頭の中がふわふわしている。
グーっと、お腹の虫が鳴いた。品がなくてスミマセン。
3人ともこっちを見据えている。口をパクパクさせているが声はない。
「えっと……。料理、戴いてもいいってことですか?」
彼らはそろって首肯した。
ならば戴かせてもらうとしよう。
奥さんの手料理をまた食べられるとは、なんて幸せなことか。
それでも一応、確認させてもらわないといけない。
「このスープにトカゲ肉は入ってませんよね?」
奥さんは首をふった。
よかった。入っていないのか。胸をなでおろした。
「それから念のためですけど、あとでおカネを請求しないでくださいね?」
今度はヤモックも一緒に首をふった。
大丈夫なようだ。
「それでは、いただきま……」
あれれ? おかしいぞ。
奇妙なことに気がついた。
テーブルを囲むのは、おれ、ヤモック、彼の奥さん、パチャン……。
あと、そこに立っている2人は誰だ?
わかった!
なんだ、ヤモック。そういうことだったのか。娘が2人もいたとは!
いやあ、びっくりした。
ぜんぜん知らなかったよ。どうして秘密にしてたのかなあ。
しかも両方、目が覚めるほどの美少女ではないか。
1人は澄ました感じの子、もう1人は幼い感じの子だ。
2人とも両親に似なくてよかったな。ああ、でも、パチャンの描いた絵を見たことがあったけど、若い頃の奥さんはそこそこ可愛かったんだっけ。
娘たちに声をかけてみる。
「ナタン村ではおれと会っていなかったよね。もしかして、あのときキミたち2人は、都会の寄宿学校にでもいってたのかな?」
2人は口をパクパクさせているが、声が聞こえてこない。
彼女たちも口が利けないようだ。
代わりにヤモックと彼の奥さんが首肯している。
ふうん。やっぱりそうだったか。
おれの勘、怖いほど冴えてるなあ。
だけど、どうして娘2人はテーブルにつかないのだろう。
料理は用意されているのに。
「おお、そうだ。自己紹介がまだだったね。おれは佐藤。よろしく」
娘2人が口を動かす。
声がでていない。口が利けないのでしょうがないことだ。
でも名前がわからないのは残念。
ところでヤモックと奥さんとパチャンは、スプーンを持ったまま動かない。
おれが先に食べるのを待っているのか。きっとそうだ。
では、あらためて……。
「いただきます」
スプーンを手にとった。スープをすくう。
さっきからずっと頭の中がフワフワしている。
気持ちいいような、悪いような……。
スプーンが口に近づく。おれは口を大きく開けた。
2人の娘がしきりに何かをいおうとしているが、まったく声が聞こえない。
幼い感じの子が地団駄を踏むように、足をバタバタさせている。
可愛い顔してるくせに、行儀が悪いなあ。
あれ? でもバタバタしているのって……。
それ、踊りか。踊りのつもりなのか。
だったらちょうどいい。
おれ、実は踊り子なんだー。
スプーンを戻す。
「そうだ、オジさんが踊りを教えてあげるよ。へっへっへ」
こんな美少女と合法的に手を握れるチャンス……。
おっと、なんでもありませーん。




