79話 噂
ガイは鋭い刃物を店員の首につき立てた。
「おい、忘れたか。お前は数日前、ポヌーカの住人たちのことを、俺たちにこう話してたんだぞ。『殺人、誘拐、強盗、強姦、放火など、悪のかぎりを尽くして周辺の町を荒らしにくる』とかな」
ようやく店員は先日のことを思いだしたようだ。
「ああ、あなた方はあのときの……」
「何故、嘘をついた?」
「い……いえません」
「なんだとっ」
「やめなさい、ガイ!」
ガイを止めたのは、意外にもカスミだった。
「暴力で脅すなんて最低よ。あらまあ、こんなに怯えちゃって可哀そうに」
カスミが店員の頬を撫でる。
「ホント、乱暴ね。怖かったでしょ? もう大丈夫。安心していいのよ。前回、嘘をついたことは、わたしからも彼に謝っておくわ。だからどういうことなのか、きちんと彼に真相を話してあげて。ね?」
彼女は、店員の口を割らせようとするガイに、ただ加担しているだけだった。決して人徳者になったわけではなかったのだ。
「あら、いいたくないの? じゃあ、どうして嘘をついたのか。それだけでいいから教えてやって」
嘘つけ。どうせ、それだけで終わるはずがないだろ。
店員は震えながら白状した。
「あのとき、あなた方が貴族の仲間だと思いましたので……」
「貴族?」
「1人、やけに高貴な感じの方がいらっしゃいましたではありませんか。雰囲気で貴族だとわかりました」
ああ、ここにはいないが、エルリウスのことだ。
「貴族がいたら嘘をつくって、いったいどういうことかしら?」
「り、理由だけ話せば、許してくれるのでは……」
そう。さっきカスミは確かにそういった。
カスミがくり返す。
「貴族がいたら嘘をつくって、いったいどういうことかしら?」
カスミは口もとに微笑を浮かべながら、店員が答えるのをじっと待っている。
こいつ、きっと、ろくな死に方はしないだろうな。
「ご機嫌をとったまでです。貴族階級の方々はポヌーカを憎んでいますから」
「へえ、おもしろそう。全部話して」
ほーら、話がぜんぜん違うじゃないか。カスミ、お前って本当にひどい奴だな。
店員が黙っていると、カスミが首をかしげる。
「どうしたのかな? あなたのためを思って聞いているのよ。だって……さもないとあなたの命が心配だから。というのはね、彼、暗殺師なの。もちろんわたしはあなたの味方よ。彼を止めてみせるわ。そのためにはあなたの勇気も必要。さあ、思いきって、わたしに教えて」
怯える彼は、しぶしぶ口を開くのだった。
……50年以上も昔のことになります。あの町がアプラーミア村と呼ばれていた頃、この地方で最も栄えていました。その富に目をつけた公爵は、アプラーミア村だけに増税を課しました。しかし村民は大反発し、独立なんて話を持ちだしました。
当然ながら公爵の逆鱗に触れてしまいました。内戦の始まりを誰もが予感していました。しかし軍隊を持つ公爵であっても、あの村を制圧するのは難しいだろうと考えられていました。
実は当時から、あの村には守護神がいるのだと噂が流れていたのです……。
「守護神?」
おれは思わず声をあげた。
そっか。きっと火の神のことをいっているのだ。
まあ、おれたちの前では、敵じゃなかったが。
※しかしそのとき佐藤はあまり活躍しませんでした。
……はい。字義どおりその土地や民を守る神です。噂を耳にした公爵は情報収集に着手し、スパイも送りこみました。その結果、国の軍隊では敵いそうもないと判断されたようです。
そこでとられた策が経済封鎖です。あの村への往来が禁止となりました。すなわち一切の取引ができなくなったのです。当然、国じゅうで不満があがりました。なぜならあの地は国内屈指の穀倉地帯であり、有名な酒造地域であり、また鉱物資源にも恵まれていました。
すると今度は公爵側が民衆の不満を逸らすため、デマの利用を試みました。とにかく嘘をでっちあげ、村の評判を落とそうと必死になりました。殺人、誘拐、強盗……。
しかしその村の人々が穏やかなことは誰もが知っていました。民衆は貴族に対する不信感を募らせ、反感を抱いていくばかりでした。ですが昔からわたしたち平民は、やはり貴族という支配者には逆らえません。嘘だと知りつつも、真実だとして聞くしかなかったのです。
貴族たちの前では、わたしたちも彼らの悪口を叩きます。彼らの流した噂を信じていることになっています。でなければ安寧に暮らせませんからねえ。
結局、村は独立とまではいきませんでしたが、自治町となりました。その際、美しい湖にちなんでポヌーカと名称が変わりました……。
真相を知ったおれたちはショックを受けた。
刃物を持ったガイの右手もだらりとさがっている。
みんなで低頭して店をでた。
なんということだろう。
おれたちはポヌーカで、とんでもないことをしてきてしまったのだ。
「エルリウスがこの話を知ったらどうなるだろう?」
ぽろりと口にすると、セシエがこういった。
「彼がこの場にいなくて何よりだ。このまま知らない方がいいだろう」
「いいえ、マスター。知るべきです。その責任はあります」とシュラー。
しかしセシエは首をふる。
「彼は外国からきたとはいえ、貴族だぞ。あっち側の人間だ。もちろん決して悪い人物じゃないのは、じゅうぶん承知している。だが考えてみろ。彼の性格ならば、この国の公爵に猛反発するに決まってる。もしやり方を間違えればどうなると思う? ポヌーカとの闇取引の摘発はいっそう強化されてしまうぞ。そうなった場合、最も困る人たちとは誰なのかを考えるべきだ」
エルリウスは、短い期間だったが、一緒に旅をしてきた仲間だ。それなのに彼にだけ内緒にするというのは、あまり気分がよくない。でも仕方がないのかもしれない。
まあ、彼に再会することなんて、もうないだろうけど。
馬車に乗って、宿をとった町までひき返してきた。
セシエたちの3人部屋と、おれたちの4人部屋は、薄い板の壁で仕切られている。
ベッドに座って考えごとをしていると、トアタラが近づいてきた。
おれに両手を差しだす。紫色の袋を手のひらに乗せていた。
「これ、覚えていますか?」
「えっと、なんだっけ」
「ポヌーカのお祭りのとき、ゾルネが緑色の袋と交換してくれたものです」
ああ、そんなのあったな。
だけど怪しいから捨てたはずだ。
「佐藤がゴミ箱に投げいれましたから、わたしがもらっちゃったんです。まだ中身は見ていませんが、佐藤に返しますね」
「いいよ。なんだかもう受けとりづらくて」
「では、わたしが袋を開けてみます」
真っ黒な粒がたくさんでてきた。
おれはそれを掴み、隣の部屋に駆けこんだ。
「ガイはいますか」




