77話 川渡り
しばらくして騒ぎが起きた。
瀕死状態にある火の神が、洞窟の奥で見つかったらしい。
あたふたする地元民をよそに、おれたちは祭りの会場をあとにした。
丸太小屋に戻ると、早速うち合せが始まった。
「できれば今夜、このまま町を出発してしまいたいものだ」
セシエはそういって、暗くなった窓の外に目をやった。
するとシュラーが首をかしげる。
「地理書編纂はどうなさります? まだ不十分だと思いますが」
「なあに。話ならなんとでも書けるさ。こんな町、火の神のことだけでもいいくらいだ」
なんと投げやりな。適当な作り話でも書くつもりだろうか。
エルリウスが親指と人差し指で顎をこする。
「しかし町をでるといっても舟がなければ……」
「とりあえず荷物をまとめて川に向かいましょ」とリリサ。
そんな無計画でいいのか。駄目だろ?
だが反対する者はいなかった。
皆それぞれ帰り支度を始めた。
おれも荷物の整理にとりかかる。ゾルネから手渡された紫色の袋は、ぽんとゴミ箱に投げいれた。
それをエルリウスが見ていたようだ。
「中身を見なくていいのかい?」
「あっ、欲しかったですか? なんなら差しあげます」
エルリウスは肩をすくめた。
「まさか。遠慮するよ」
さて、全員が出発の準備完了のようだ。
丸太小屋をでて、川に向かって歩く。
夜道に並ぶ路肩の喬木は、どれも大きく枝を伸ばしていた。風が吹くたびに枝や葉を鳴らす。2軒並んだ家の前を通りかかると、近くで犬が激しく吠えた。すると伝染したように遠くの犬も吠えはじめた。
川辺にやってきた。
対岸は遠い。夜釣りの舟も見つからない。
見えるのは川向こうに並ぶ民家の小さな明かりだけ。
「きょう、川を越えるのは無理だったかな」
セシエが小石を川に蹴りとばしながら呟いた。
しかしリリサは笑みを浮かべるのだった。
「なんとかなりそうね」
おいおい。なんとかって、どうするつもりだ?
リリサが腕まくりする。別にデマカセをいったわけではなさそうだ。その自信に溢れたような目を見ればわかる。きっと何か方法があるのだ。
対岸に両手を突きだし、指で菱形を作っているが……。
そんなリリサに尋ねる。
「まさか、魔法で?」
「昼間、見たでしょ? わたしの氷柱。あれを橋の代わりににするの」
おいおい、無茶だろ。
確かに氷柱の魔法は強力だったけど、対岸まではかなりの距離があるぞ。
「見てなさい。わたしの全力を!」
菱形に息を吹きかけた。
メキメキメキ……と、身の縮まるような恐ろしい轟音が鳴りひびく。
空気中の水分が一気に氷結し、月明かりに輝く光景は幻想的だった。
そしてズドンと巨大な氷の柱が水面に横たわった。
すっげえ。リリサ……こいつ、とんでもねえな。化け物か。
「さあ、この上を歩けるわね?」
確かに氷上を歩いていけそうだ。しかしみんな唖然としたまま動かなかった。
するとリリサが自ら1番手として氷の柱に乗っかった。
「ほら。見て、見て。つり橋よりずっと頑丈でしょ」
氷の柱の上でぴょんぴょんとジャンプをして見せている。
しかしつるりと滑って尻もちをついた。
おれはリリサを指差して笑ってやった。
「ハハハ。何やってるんだよ。調子に乗ってるからだ」
何ごともなかったように、黙って立ちあがるリリサ。
そして指で菱形を作り、足もとの氷に向ける。
「こんな橋、いますぐ破壊してやるわ!」
「待てーーーっ」
慌ててリリサを止めにいった。
「リリサ、暴れるな。やめてくれ。痛い、痛い。わかった、降参だ。謝るから」
氷の橋の手前でエルリウスが手をふっている。
「キミたち2人は、いつもじゃれ合ってるけど、本当に仲がいいんだねえ」
何をいうか、エルリウス。じゃれ合ってなんかねえぞ。
リリサも目を剥いて、エルリウスを睨んでいる。
「はあ? 馬鹿いわないで。わたしたちのどこが『仲がいい』のよ!」
「いてっ」
最後におれの足を踏んづけるのはやめてくれ。
ほかのみんなも、氷の上にあがってきた。
セシエは滑るまいと、用心棒2人の肩を掴んでいる。
滑りやすいからって、大袈裟な。実はシュラーに触りたいだけじゃないのか?
あっ、滑った。
見事な滑りっぷりだった。
ガイとシュラーも巻きぞえを食い、一緒にコケてしまった。
おれの横にトアタラが並ぶ。ちらりとおれの顔をうかがった。
「リリサの魔法って、すばらしいですね」
「そうだな」
「ところで、佐藤。ジャライラの町にいたときのような特訓、最近はほとんどされていないようですけど、どうかなさいましたか?」
昨晩、両生類のカエル相手に特訓したが、彼女のいうとおり久々だった。
それはそうと、笑顔を見せるトアタラだったが、目もとは笑っていなかった。
な、なんだ? ちょっと怖いぞ。
「えっと、特訓だよな。もちろん続け……」
「やはりなんでもありません。わたしのいったことは、気にしないでください」
「……あ、うん」
トアタラは足を速めていってしまった。
今度は何故かカスミに後頭部を叩かれた。
「ひどいじゃないか、カスミ」
「何が『あ、うん』よ。あんた、本当にどうしようもないわね」
「え?」
カスミはトアタラを追っていってしまった。
水面に横たわる氷の橋を渡っている。
氷床に若干の起伏はあるが、歩くにはじゅうぶんな幅はあった。
長い氷の柱はどこまでも続いていく。
それにしても頑強な氷だ。足で強く踏みたたこうが、びくともしない。
エルリウスも感心している。
「もしかしてリリサの魔法って、ボボブマを超えたのではないかな。佐藤はどう思う?」
「ボボブマを越えたなんて、ちょっと褒めすぎじゃないですか」
口ではそう答えておいた。けれどもボボブマの場合はネオ・インドラを発するまでに、とんでもなく時間がかかっていた。一方で、リリサの氷柱は一瞬だった。そう考えるとリリサに軍配をあげたくなる。
みんなの足は途中で止まった。対岸まであと10数mというところだった。
なのに氷の橋はここで終わっていたのだ。その先は水面だ。
「心配しないで。単純に氷柱を継ぎたせば済む話でしょ」
リリサはふたたび菱形を作った。
またもや慌ててリリサを止める。
「待て待て待て! 向きを変えろ。この先に民家があるだろ」
「もちろん加減するつもりだったわよ。だけど万一のこともあるしね。わかった、ちょっと向きを変えるわ」
民家のない方に菱形を向ける。
たちまち氷の橋は完成した。
岸に到着。
さてこれから先が問題だ。おれたちのような大人数を、こんな真夜中に迎えてくれる宿屋はあるだろうか? まず小さな民宿では嫌がられるだろう。大きな宿屋があればいいのだが、ここはちっぽけな町だ。もっと都会へいかなければなるまい。そのためには馬車が必要だが、真夜中に馬車なんて見つかりにくい。では、どうしたらいいのか。
「お嬢さん方、野宿は大丈夫かな?」
エルリウスが女性陣に尋ねた。おれも宿屋は諦めるしかないと思う。
ちなみにトアタラ、リリサ、カスミは、おれと一緒に野宿した経験がある。だから問題なかろう。
また、シュラーがいうには、彼女もこれまで頻繁に野宿をしてきたそうだ。
じゃあ、決まりかな。
「野宿など無理だ」
反対したのはセシエだ。
用心棒のガイとシュラーが溜息を漏らす。
さて、困った。
カスミがリリサに何やら耳語している。
リリサは首肯すると、いきなり歌いはじめた。
なんだ、いったい?
歌女リリサの歌は心地よかった。
翌朝、おれたちは草むらの中で目を覚ました。
夕べの歌がリリサの特技『眠りの唄』だったことを、皆、いま初めて知らされた。
ポヌーカに関する話は、まだあともう少し続きます。




