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74話 氷

 リリサの新魔法『氷剣』は凄絶だった。

 降りそそぐ氷の刃が、火の神の動きを封じたのだ。


 火の神は力を失ったように地面に伏していく。

 リリサの顔もげっそりしていた。この魔法で相当な精神力を消耗したのだろう。


 しかし火の神は最後の力をふりしぼったかのように咆哮した。その声はけたたましく、また悲しげだった。4つの足でふたたび真っ白な巨躯を起こす。


「みんな、離れて!」


 リリサが叫び、指で菱形を作る。

 よほど疲労困憊しているのだろう。肩全体で呼吸していた。

 それなのにまだ魔法を繰りだすつもりでいるようだ。


「とどめね。これも新魔法よ。『氷柱』を見せてあげる!」


 パリリという空気の破裂音とともに、指で作られた小さな菱形から、氷の柱がまっすぐ伸びながら広がっていく。たちまち氷は火の神の体全体を覆ってしまった。周囲も一気に極寒と化した。


 巨大な相手を氷漬けにしてしまうとは、なんたることか。

 しかも『火』の神だぞ。


 リリサの魔力に、この場の誰もが驚愕と戦慄を覚えたに違いない。魔法使いを生業としているシュラーでさえ、蒼白となった顔をひきつらせているだ。最も困惑しているのは、氷柱を放った本人かもしれない。そのリリサは腰を抜かしたのか、地面に尻もちをつき、ただ茫然と巨大な氷の柱を眺めていた。


 我に返ったおれは、リリサに近づき、肩をぽんと叩いた。


「やったな。おれたちは勝ったんだ。リリサのおかげでな」


 リリサが顔をあげる。目には涙が溜まっていた。洞窟に入る前までは、シュラーの魔法への劣等感やら焦燥感やらでひどく悄気ていた。それなのにどうだ、さっきの新魔法は。


「ねえ。いまのって……わたしの魔法なのよね」

「そうだとも」


 手をぎゅっと握ってきた。


「嘘みたい。だって……」


 噤んだ口もとが震えている。


「嘘でも夢でもない。リリサの魔法だ。これがリリサの実力なんだよ」


 呪いをかけた魔王を(ほふ)ってやるための、大きな一歩を踏みだしたんだ。

 おれもリリサに負けてはいられない。特技インドに磨きをかけなくては。



「油断しないで。まだ終わってないわ」


 そう叫ぶのはカスミだ。杖でコツコツと岩の壁を叩く。氷漬けの火の神を見ろといわんばかりに、その杖を前方に向けた。


 間もなくして氷に亀裂が入った。

 カスミのいったとおり、中から火の神が姿を見せた。


 ふたたび火の神が咆哮する。

 鼓膜が裂けそうなほどの大音量に、一瞬、身がすくんだ。


 ところが火の神はそれっきりほとんど動かない。わずかに震えているだけだ。

 やがて火の神の巨体は地面に伏した。その目が完全に閉じる。


 トアタラは火の神によじのぼり、両手で仔龍の短剣をふりあげた。動かぬ巨体に何度も短剣をつき刺している。


 おれは彼女に手をふりながら叫んだ。


「トアタラ、もういい。おりてくるんだ。すでに奴は死んでいる」


 仮に火の神がまだ生きていたとしても、刃渡りの短い剣で致命傷を与えることはまずない。


 いつの間にか隣にカスミがいた。嘲るような横目を送りつけてくる。


「相手は神よ。死ぬわけがないじゃない。だけどもう当分は動けそうにないから、わたしたちを襲うこともできないわね」


 ちょうどそのときだった――。


 トアタラの仔龍の短剣が、突如として眩しく光った。彼女はキャッといって、ふりあげた手からそれを放した。仔龍の短剣が地面に落ちる。なおも黄色く光っていた。


 短剣が変形していく。ノの字型に緩やかなカーブのかかっていた刃が、Sの字型に波をうった。しかも刃渡りが長くなったのだ。


 火の神の上からトアタラがおりてきた。彼女はその奇妙な剣を拾いあげ、不思議そうに見つめた。

 彼女に近づいてきたシュラーが、その背中に声をかける。


「気持ち悪いわね、その剣。まるで生きているみたい」

「本当ですね。でも頼もしい剣です」



 ちなみに後日、ステータス確認で知ったことだが、形状の変化した『仔龍の短剣』は名称まで『黄龍の聖剣』と変わっていた。しかもその所持による攻撃力加減値は、+75から+465と大幅な増加となっていた。逆に魔力は-20から-75というように、著しく減少する武器となったのだった。


 皆のレベルのあがり方も尋常ではなかった。通常ならば強敵を倒したとしても、レベルは1つずつしかあがらないのに、どうしたことか今回は全員が何段階もアップしていた。大活躍したリリサに至ってはレベルが一気に11もあがっていた。その場にいあわせただけのセシエでさえ、レベルが2つアップしていたのだ。さすが、相手が火の神だけのことはあった。



 セシエが大きなくしゃみをした。

 あちこちに大小の氷塊が散らばっている。いまだに空気がひんやりと冷たい。

 動かなくなった火の神の体には、まるで毛布のように霜が覆っている。


 人を喰らう獣神を、人の手で倒してしまった。

 犠牲となっていった人々の仇を討つことができたといえよう。

 もう当分は誰も人身御供とされずに済むはずだ。

 誇ろう。これはおれたちの――とりわけリリサの――偉業なのだ。


「化け物は退治できたわ。さっさと帰りましょ」


 勝利の余韻をカスミが壊す。

 彼女はそっけなく歩きだすと、またすぐに止まるのだった。


「足もとが暗いんだけど。シュラー、早くして」

「ご、ごめんなさい」


 シュラーが慌てて詠唱を始める。

 すると奥の方まで光が射していった。



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