73話 白い獣神
目を覚ました火の神は、4本の足で巨体を起こした。しかしまだ眠いのか、大きな目が開ききれてない。それでもおれたちを見咎めると、広がった空間の天井を向き、巨大な口を開けた。鋭い牙が露わになった。火の神はふたたびおれたちを見おろし、口から火炎を豪快に噴射した。
しかし火炎はおれたちの立つ場所から大きく逸れていった。
だからといって、ダメージをまったく受けなかったわけでもない。周囲への放熱は強烈で、焦げつくように肌がヒリヒリと痛んだ。
カスミが杖で地面を叩く。玲瓏とした心地よい音が洞窟内に響いた。
軽度の火傷を負った肌は、みるみるうちに癒されていった。
「へえ、回復魔法が使えるのね」とシュラー。
「わたし尼僧なんで」
とかなんとかいっているが、カスミ自身の力ではなく杖の能力だろ。名称は確か『癒しの杖』だったか。
でも、おかげで全快した。感謝するぜ、カスミ。
そんじゃ次はおれの番だな。
みんな見てろよ。これから披露するのは特技インドの4つ目『ゼロの発見』だ。
シン先生から使用を止められてはいたが、ここで使わずどこで使えというのだ。
大きく息を吐き、特技インドを念じた。
初めて使用する特技にはちょっと緊張するが、ワクワクもしている。
脳内に光の文字が浮かびあがった。
特技を使いますか
はい いいえ
(ああ、でてきた。本当に面倒くさい。だがこれをやらなければ先に進めない)
(もちろん『はい』を選択した。するとまた文字が浮かびあがる)
特技を選択してください
* インド
(選択肢は1つしかないのだから、ここは省略できないものだろうか)
(心の中で文句をいいつつ、『インド』を選択する)
(ふたたび文字が浮かびあがった)
特技を選択してください
* 本インド
* 西インド諸島
(くそっ、イライラしてくる。『本インド』を選択)
特技を選択してください
* インド(ボリウッド)
* インド(沐浴)
* インド(カラリパヤット)
* インド(ゼロの発見)
(よし、やっとでてきたぞ。4段目のインド『ゼロの発見』を選択した)
(さあ、これはどんな特技なのだろう。怖いけど楽しみだ)
あなたはゼロの発見を選択しましたね?
(そのとおりだが)
本当にいいのですか?
(もちろんそのつもりだ。早くしてくれ。これ、また時間稼ぎなのか)
わかりました。でも、どうなっても知りませんよ?
発動したら最後、キャンセルは不可能です
いいですか。すべての責任はあなたにあります
おっと、失礼。もちろん覚悟があって選択したのですよね
へぇー、漢ですね。そうですか。ならばいいです
すべてを捨てる勇気ですか。それ美しいですね
ああ、かわいそうに
では発動しま……
「待った待った待った待った! わかったよ、キャンセルだ」
脳内の光は消えた。
そこまで覚悟できるか! なんだよ、ゼロの発見って。
こんなに脅してくるんじゃ、ぜんぜん使えないじゃん。
特技選択をやりなおす。
発動させたのは、無難なカラリパヤットだ。
2体に分身したエルリウスは激しい攻撃を展開していた。
武闘大会での彼との熱戦を思いだす。彼の剣技の恐ろしさについては、身を持って知っているつもりだ。苦戦させられた様々な場面が、いまも脳裏に鮮明に焼きついている。
一方、ガイの闘いぶりは、今回、初めて目にしたことになる。
彼もまた相当なダガー使いの手練れだった。とにかく動きが俊敏だ。武闘大会の初戦で敗退したとはとても思えない。あれは対戦相手との相性の問題だったのか。
「ガイのダガー捌きは驚異的だな。さすがは暗殺師だ」
思わず声にだすと、シュラーの耳に届いてしまったらしい。
「佐藤は誤解しているようだけど、暗殺師が必ずしも武術に優れているわけじゃないの。正面から人を殺すなんて、暗殺師としては下策もいいところ。もはや暗殺なんて呼べないわね。兄が最も得意としているのは毒殺。だから毒には詳しいのよ。ちなみにわたしも一緒に勉強したわ」
毒殺とは怖いな。ガイ&シュラー兄妹は敵に回したくない人物だ。
ここであることに気づいた。
ああ、そういうことだったのかもしれない。
「ところでトジェにも毒はありますよね?」
「へぇー。よく知ってたわね」
年上のお姉さんに感心されると嬉しいものだ。
「やっぱりそうでしたか。単なる推測だったんですけど。トジェの生息地や葉っぱの形について、ガイは詳しく教えてくれました。ずいぶん精通しているようでしたが、それはトジェが毒を持つ植物だったからかなって、さっき思ったんです」
「なるほどね。冴えてるじゃない。でも兄はここ数年、トジェの樹液採取なんてしてないのよ。樹液から毒素を抽出するのに、とても手間がかかるから」
いててて。誰かに耳をひっぱられた。
横目に見てみると、リリサではないか。柳眉を逆立てている。
「集中しなさい! いまは戦闘中よ。みんな真剣に闘ってるの」
ごもっとも。
あらためて魔人のウルミを握りなおし、ムチのようにビュンビュンとふり回す。
シュラーとリリサも様々な魔法を連発した。
火の神はまだ寝起きのせいか、ぼんやりしたふうであり、敏捷性を大きく欠いていた。奴の繰りだす攻撃なんて空振りばかりだ。逆におれたちの剣や魔法を浴びつづけている。それでも防御力は異様なほど高かった。実のところ、ダメージを喰らったようすはほとんどない。
そんな白い獣神の攻撃に変化があった。
まずいことにターゲットを1人に絞ったようだ。貧乏くじをひいたのはトアタラだった。
巨大な前足を高くふりあげ、トアタラに狙いをつけている。
もはや彼女はそこから逃げることなんて不可能な状況だった。両手に持った仔龍の短剣を、ただじっと正面に構えている。
トアタラが危ない!
洞窟に入る前のトアタラの言葉を思いだした。
……イザとなりましたら、わたしが佐藤を守りますから……
僅か1秒足らずの間に、頭の中で何度も反芻した。
違う、おれがトアタラを守るんだ!
彼女のもとへ猛ダッシュする。おれが駆けつけたところで何もできないかもしれない。奴の強大な前足には、どんな防御をしようと、一瞬のうちに踏みつぶされるだけだろう。それでも夢中で走っていた。
トアタラの方へと手を伸ばす。
彼女の素肌に触れれば、もちろんおれは気絶する。顔が間近にくれば嘔吐する。
だがそんなことまで、この頭は回っちゃいなかった。
地面を大きく蹴り、一気に跳びこんだ。
同時に火の神の前足がトアタラを襲ってきた――。
ここでリリサが叫ぶ。
「いっけぇーーーーーーーー! わたしの新魔法」
指で作った菱形から、無数の氷塊が噴きだした。それらがいったん洞窟の天井を覆いつくすと、氷の剣となって豪雨のごとく降りそそいだ。辺りの空気は凍るように冷えきった。
火の神の動きは止まった。間一髪だった。
数多の氷の刃が頑強な白い毛皮を貫いていた。
「どうかしら? この魔法は『氷剣』っていうの」
「最高よ。すごいじゃない」
シュラーがリリサの魔法を褒めた。エルリウスもガイも感心している。
だがおれは、この偉大な新魔法の余韻に陶酔している余裕なんて、まったくなかった。
「大丈夫か、トアタラ?」
トアタラがうっすらと紅潮する。
「はい。佐藤こそ大丈夫ですか」
「少し擦りむいただけだ。どうってことない」
「そうではなくて、その……。こんなに接近して平気なのですか」
えっ?
おれは硬い岩床に転がっている。がっちりトアタラを抱えながら。
たったいま、そんな状況に気づいてしまった。
彼女の素肌への直接的な接触はないため、失神に至ることはなかった。しかしその顔がすぐ鼻先に迫っており、いまさらながら吐気を催すのだった。
んぐぐぐぐ。吐いてたまるか。
吐くな、堪えろ、堪えろ、堪えろ。ここは友情のために堪えるんだ。
そしてこの病気みたいなものを克服するのだ!
「佐藤が嘔吐しない……。もう大丈夫なのですね。この日をどれほど待っていたことでしょう。わたし、うれ……」
トアタラが目にいっぱい涙を溜めたところで、おれは我慢しきれずに吐いてしまった。
あー、やってしまった。
しかも彼女の衣服まで汚している。
本当にごめん。




