59話 放浪貴族
仔龍の短剣で負傷したエルリウスがうずくまる。
白地に金色のつる草模様の馬車が、目の前の大通りに停車した。
馬車の車両から1人の若者がとびだしてくる。
「エルリウスっ」
若者は叫び、剣を抜いた。エルリウスの持つレイピアによく似ている。
全身から放つ殺気は、おれたちに向けられていた。
「お前たち、そこを退け。エルリウスから離れろ!」
彼はなんなのだ。
いわれたとおりにその場から後退した。
若者がエルリウスの上体を、優しく抱えおこす。
イミグレの兵士たちは彼ら2人をとり囲んだ。
みな剣を構えており、穏やかではない。
ところが突然、兵士の1人が慌てたように、背筋をぴんと伸ばして敬礼する。
「こ、これはフアイ・ノーロア・サーフ・ヰズナ様」
若者にいっているようだが、これまた長い名前だ。
ほかの兵士たちも、いっせいに敬礼した。
フアイという若者が兵士たちにいう。
「彼の身元保証人はボクだ。問題あるかい?」
「い、いいえ。ですが当国の規則ですので、お手続きだけは為されますようお願い申しあげます」
「わかった。でもちょっと待ってくれ」
フアイはそういって上着の内ポケットから宝石をとりだした。
「エルリウスの傷を癒してくれ」
てのひらの宝石がきらきらと光った。しかしすぐに消えていった。
かつて同じものを見たことがある。その消えた宝石は『回復魔法の結晶』ではないか。
エルリウスが自力で立ちあがった。宝石の魔法が効いたようだ。
「フアイ、すまない。助かったよ」
そしてこっちに向いた。
「キミたち本当に強いね。また負けたよ」
「いいえ、今回は3人がかりだったので、勝ったなんて思ってません。でもまさかエルリウスだったなんてビックリですよ」
フアイがじっとおれを見つめている。
「もしやキミは確か武闘大会の準決勝でエルリウスに勝利した……」
「佐藤っす」
「ああ、そうそう。キミの名前は佐藤だった。実はボクも大会に参加していたんだ。本戦にはあがれなかったけどね。あの大会、必ずエルリウスが優勝すると思ってたのにな。いやあ、上には上がいるもんだ」
エルリウスがフアイとともにイミグレへと向かっていく。入国の手続きを済ませる必要があるからだ。
それにしても何故エルリウスは密入国なんて犯そうとしたのだろう? 彼がここでフアイに会ったことも、偶然というには出来すぎのような気がするけど……。
エルリウスは足を止め、ふり向いた。
「キミたち、あとで一緒に夕食なんてどうだい?」
夕食の誘いはありがたいが、次の町に急ぎたかった。トジェの実の種子を求めてポヌーカの町へいかなければならないのだ。
ところがエルリウスに断りを入れる直前、カスミが勝手に返事をしてしまうのだった。
「はい、喜んで。ご一緒しましょう」
エルリウスは手をふり、イミグレ事務所に入っていった。
おれはカスミを睨めつけやったが、まったく気にもされないのが悔しい。
アクビがでた。待つのは退屈だ。
リリサが道端でしゃがみ込む。そして片手でおいでおいでとトアタラを呼んだ。
「この草はカラスノエンドウっていって豆柄が笛になるの」
ビー、ビーーーーィビー。
「ほらね」
「わたしもやってみます」
ビイーーーーーーー。
「吹けました」
「上手い、上手い」
ビーーーーーー。
ビービービー。
「うるさいっ!」
エルリウスたちはなかなか帰ってこない。これほどまで待たされるとは思ってもみなかった。でもカスミが夕食をOKしてしまったので、このまま待ちつづけなくてはならない。まったく余計なことをしてくれたものだ。
そのカスミもイライラしているようだ。顔が不機嫌になっている。
彼女と目が合うと、舌打ちされてしまった。おれが悪いのか?
ようやくエルリウスたちが戻ってきた。疲労困憊した顔になっている。
話を聞いてみると、手続きに途轍もなく手こずったらしい。しかしこれでも、もしフアイがいなかったらここまで早く入国はできなかったのだという。それどころか入国拒否されていた可能性が高かったらしい。
だが腑に落ちない。おれも出入国手続きには苦労したが、エルリウスのときほどではなかった。お偉い貴族様なのにどうしてなのだろう。されはさておき、フアイという若者はエルリウスの親友であり、また従兄弟でもあるという。当然、彼も貴族だったのだ。
おれたちはフアイの馬車に乗せられた。
これまで乗ってきた乗合馬車とは、乗り心地がまるで違う。
さすがお歴々の乗る馬車は快適だ。
「ところでエルリウス。左腕はどんな具合です?」
魔人のウルミで切断した腕のことがずっと心配だった。
彼はにっこりと微笑んだ。
「大魔術師に診てもらったから、もう大丈夫だ。このとおりきちんと繋がっているし、痛みはまったくない。傷痕もやがて消えるらしい」
「よかった! あの、ついでに教えてくれませんか……」
「なんだい」
大魔術師のところで診てもらうのと、回復魔法の結晶を使うのとでは、何か違いはあるのだろうか? ずっと気になっていたことだ。
それについて尋ねてみると、エルリウスはこう答えた。
「回復魔法の結晶には即効性がある。だけどこの左腕のように完全に切断されてしまった場合や、病気などの場合は、回復魔法の結晶ではどうにもならない。大魔術師のところで診てもらわないとね。そのうえ回復魔法の結晶は極めて入手困難だ。その分、高額にもなる。それに大魔術師に診てもらうのなら、そのあとのケアもある。まあ、通うのが面倒だという人もいるだろうけどね」
なるほど。要するに回復魔法の結晶が使えるのならば、そっちの方が手っとり早いということだな。
もう一つ。密入国を図った理由について聞いてみたい……。しかしそれはさすがに野暮ってものだ。ここで尋ねるのは我慢することにしよう。
ところが図らずもフアイが話題をそっちに近づけてくれた。
「それにしてもエルリウスは密入国しようだなんて、ずいぶん無茶なことを考えたね。もしボクが通りかからなかったらどうしてたのさ?」
これはいい流れだ。
おれは期待した。貴族のくせに密入国を試みた理由を聞けるかもしれないと。
「エルリウスはフアイが通りかかるのを、知っていたのではありませんか」
そう推測したのはトアタラだ。
エルリウスが感心する。
「いかにも。通りかかるのを確信していたから、あの時間を狙ったのさ。佐藤たちに阻止されてしまうことは想定外だったけどね。それにしてもトアタラ、キミの洞察力はたいしたものだ。すべてを見透してしまいそうな黒瞳は、伊達ではなかったんだね」
おーい、褒めすぎだって。
ほら、トアタラが恐縮してうつむいてしまったじゃないか。
トアタラもいちいち真に受ける必要はないぞ。
ああいうタイプの男はなあ、異性に対していつも言葉が軽いし、大袈裟なんだ。
それはそうと、エルリウスはフアイが通りかかるのをわかっていた?
どういうことだ。予知の特技でも持っているのか。
エルリウスがうち明ける――。
「なあに、簡単な話さ。フアイはきっちり7日に1度、友人の見舞いで病院に通っているんだ。あの国境ゲート前は通り道ってわけだ。いつも面会時間のぎりぎりまでいるから、帰りは必ずこの時間になる。とても正確にね」
しかしおれが本当に知りたいのは、そんなことではない。貴族たるエルリウスがどうして普通に入国できなかったのだろう。密入国を図らなくてはならない理由ってなんなのだ。残念ながら話はそこまでいかなかった。
西クタナはの町は、東クタナに比べるとちょっと寂れていた。
それでもレストラン街はあった。
馬車は狭い路地に入れないので、その場でおりた。
レストラン街に入っていくと、エルリウスがあたりを見回した。
「さて、どの店に入ろうか」
「エルリウスは普段どんなものを口にしているの?」
尋ねたのはカスミだ。
エルリウスは少し考えてから、スープ麺の屋台を指差した。
へえ、ああいうところか。驚くほど庶民的だ。
カスミが舌打ちする。そしてフアイに向いた。
「フアイはいつもどんなものを?」
「実をいうと、外食はあまりしないんだ。ただあの店には入ったことがある」
指の先には鶏肉レストランがあった。鶏肉といえばこの世界では高級食材だ。
エルリウスが慌てだす。
「待ってくれ、フアイ。鶏肉なんてボクには持ち合わせがない」
カスミの表情はわかりやすかった。
この貧乏貴族がっ! といっている。
「支払いのことは気にしないでくれ。この国を訪れたゲストたちをもてなしたいんだ」
「ありがとうございますっ」
と誰よりも早くカスミが礼をいった。
トアタラもリリサも嬉しそうだ。貴族様のエルリウスまでもが喜んでいる。
おれは鶏より牛の方がよかった。
店内の装飾はいかにも高級料理店といった見栄えだった。
客層もお上品そうだ。
店員にテーブルへと案内される。
「待ってくれ」
そういったのはエルリウスだ。
どうしたのだろう。立ちどまる彼の視線の先を確認してみた。
新たに来店した客がいる。3人組だ。敵か?
そのうちの1人と目が合った。そのままじっとこっちを見ている。
彼はおれを知っている?
そういえば、あの薄褐色の顔には見覚えがあったような。
はて、いつのことだったか。確か……。
そう、あれは武闘大会で予選通過者が控室に集められたときだ。つまり彼は本戦トーナメント出場者だったのだ。ただし名前までは知らない。
エルリウスが呼びかける。
「ガイガーシュトッフじゃないか」
名前だけならば、よく覚えているぞ。ああ、彼がおれのガイガーだったのか! 武闘大会の本戦出場が決まったときのことだが、初戦相手として熱望していた人物こそ、ガイガーシュトッフ(Lv.27)に他ならない。残念ながら武闘大会での対戦は叶わなかったが、それでも彼は初戦で順当に負けていた。
彼もおれたちに気づいたようだ。
「お前は準優勝した佐藤。おやっ、ベスト4に残ったエルリウス様もいるとは」
――様? そっか、貴族だもんな。おれもエルリウスには『様』をつけて呼ぶべきだったのか。
ところでガイガーシュトッフは中年男と若い女を連れている。若い女については彼と同じく薄褐色の肌だ。
エルリウスが爽やかな微笑みを送る。
「キミたちもボクたちと夕食をともにしないか。それからボクのことはエルリウスと呼んでほしい」
おーい、エルリウス。支払いはフアイだということを忘れてはいないか?
ガイガーシュトッフは中年男の顔をうかがった。
その男が首肯し、同席が決まった。
高級レストランでの会食は大人数となった。おれ、トアタラ、リリサ、カスミ、エルリウス、フアイという面子に、ガイガーシュトッフたち3人が加わったのだ。
ガイガーシュトッフ側のメンバーが順に名乗っていく。
1人目は下級官人セシエ。四角い顔の中年男だ。
2人目が暗殺師ガイガーシュトッフ。セシエに雇われた用心棒。
3人目は魔法使いシュラー。彼女もセシエの用心棒だった。




