57話 帰還方法
インドからやってきた者ならばここにいるではないか、というシン先生の言葉におれの頭は混乱した。
「あの。おれ……ボクはインドではなく日本という国から……」
「お前の話ではない」
だとすると、まさか。
「えーーーーーーーーーっ?」
彼はゆっくりと首肯した。
インドからきたっていうのが、シン先生だったとは!
嘘だろ? だって顔があまりインド人っぽくない。どちらかといえばコーカソイドよりもモンゴロイドに見える。ああ、でもインドってたくさんの山岳少数民族がいたんだっけ。兄の部屋に写真があったぞ。ガロとかトリプラ族とか……。
「シン先生、本当にあなたはインドからきたんですか」
「そういっておろう?」
まだちょっと信じられない。
じっと考えながらシン先生の顔を見据える。
「では確認のため、問題をださせていただいてもいいでしょうか」
シン先生は面倒臭そうな顔をしたが、「よかろう」と質問を許可してくれた。
どんな問題をだそうか……。
「インドの首都は?」
「ニューデリー」
シン先生は即答だった。
「正解です。偶然かもしれませんので、出題を続けさせてもらいます。第2問、インド最大都市は?」
「ポンペイ」
これも即答だった。
あれ? ポンペイで合ってたっけ。
でもポンペイといわれれば、そんな気もしてきた。
まあ、正解でいいや。
※不正解です。ポンペイ(Pompei)はイタリアの古代都市です。
ちなみに正解であるムンバイの旧名はボンベイ(Bombay)です。
「えーと……正解です。では最後の問題です。シヴァ神の腹に乗って踊る女神は?」
「カルカッタ」
※軽くないと思います。正解はカーリーです。
ちなみにカルカッタは現在のコルカタです。
また即答とは。さすがシン先生!
「せ、正解です」
どの解答にも『正解です』とはいったが、2問目と3問目について、本当はあまりわからずに問題をだしていた。だけどあれだけ自信を持って答えていたのだから、きっとシン先生の解答は正しいのだろう。
もっとも解答の正否なんて、実はまったく関係なかった。それっぽい言葉さえ返ってくればよかったのだ。つまりニューデリーもポンペイもカルカッタも、もとの世界からきた人物でなかったら、そんな解答が口からでてくるなんてありえない、ってことだ。
つまり彼がインドからきたというのは本当だ。嘘ではなかったのだ。
リリサが耳語する。
「ちょっと、佐藤。彼はあなたと同郷の人だったの?」
「一応、同じ世界からきたみたいだけど、同郷というには無理があるかな。国は別々だし、文化や習慣もまるで違うし」
とはいえ、同じ世界からきたことに違いはない。そんな人物といまこうして会話している……。
感極まって涙をこぼしてしまった。カッコ悪いな、おれ。
「佐藤とかいったか。このとおり『インドからきた人物』に会ったわけだ。何か聞きたいことでもあったのだろ?」
涙をぬぐった。
「はい。先日話したことですけど、ボクはもとの世界に帰りたいんです。どうすれば帰れるのでしょう。インドからきたシン先生ならば、もちろん帰る方法をご存じですよね?」
シン先生は重々しい表情で首を横にふった。
「知らん。だいたい佐藤とは状況が違うのだ。お前は向こうで死んだのだろ。では、その肉体はどうした? 我が肉体ならばまだもとの世界にある。深い瞑想により、意識のみがこの世界に迷いこんでいるだけなのでな」
おれの状況ってシン先生とは違うのか。
「じゃあシン先生はこっちとあっちの世界を、自由に往復できるってことですね」
「本来はな」
「本来は? それ、どういうことですか」
シン先生は茶をすすった。
「戻れなくなった」
「えっ」
「肉体へ帰る道がふさがれたのだ。魔王の呪いによって」
リリサがすたすたと前にでてきた。
「ならば決まりね。一緒に魔王を倒しましょ」
名案だ。さすがはリリサ!
シン先生がいてくれたら心強い。ぜひ同行してもらいたい。
「断る。向こうの世界に戻れないからといって、特には不便を感じておらん。この世界にずっと留まっているのもいいと思っているのだ」
なんと。帰るつもりはないらしい。
非常に残念だ。せっかくまた仲間が増えると思ったのに。
おれたちだけでやるしかないのか……。でも仕方あるまい。魔王討伐のような危険なことに、無理に誘うなんてできないからな。
「念のため教えてください。もし魔王がいなくなったら、ボクももとの世界に帰れるのでしょうか」
「さあな。ただいえることは、魔王の呪いがあるかぎり絶対に不可能。だがもし魔王が消えれば、この世界のすべての呪いが解かれる」
「わかりました。もう一つ教えてください。魔王を倒す方法について……」
シン先生は頭をふった。
「無理だ。我が占いの魔力は魔王に到底及ばない。したがって仮に占ったとしても、答えはでてこないのだ」
レベル99のシン先生の力でも、魔王に到底及ばないとは。
魔王とはそれほどまでに強大なのか。
彼の絶望的な回答にがっくりと肩を落とした。リリサも同様だった。
「ならばおれの特技について占ってもらえますか。この先、おれはどれほど強力な特技を身につけることができるのでしょう?」
もしおれが魔王討伐に関われるのだとしたら、特技以外には考えられない。腕力や魔力については凡人にすぎないのだから。
シン先生はにやりと歯を見せた。
占いの料金は210マニーとのことだ。
占ってもらえるのだったら安いものだ。
シン先生にその額のカネを支払った。すると彼は目を閉じ、詠唱を始めた。
そして結果がでた。
「佐藤の最大特技は『ゼロの発見』だ……」
ゼロの発見? ああ、思いだした。あれはエルリウスとの対戦中、特技インドを発動したときのことだ。確かにそんな選択肢がでてきた。
じゃあ、最大特技はもうすでに取得済みだったのか。
「……後にも先にも、それを上まわる特技はでてこないだろう。しかし詳細については、我が占いでも皆目わからん。その力も未知数だ。ただし非常に恐ろしいものであることは確かだ。決してむやみに使用するでないぞ」
210マニーも払ったのにたったそれだけだった。『ゼロの発見』の実態も結局よくわからないままだ。ただ恐ろしいものであることだけは理解した。
占ってくれたシン先生に礼をいった。
シン先生は去ろうとするおれたちを呼びとめた。
「待て待て。もし魔王と闘おうというのなら、『魔界に通ずる扉の鍵』が必要だ」
「魔界に通ずる扉の鍵?」
また怪しげな。
「といっても鍵の形をしているわけではない。便宜的にそう呼んでいるだけだ」
「なんでもいいけど、それを手に入れるために、すべきことってなんです?」
「なあに。簡単だ。作ればいいだけの話だ。材料もほとんどそろっている。あとは乾燥させたトジェの実の種子のみ。それさえあれば作ってやってもいい」
そいつはありがたい。
リリサと2人で大喜びした。両手でハイタッチをかわす。
トアタラも両手をあげたが……。ごめん、まだ触れることはできない。
リリサはおれに肘鉄を喰らわせ、トアタラとハイタッチした。
「気にしなくとも平気です。わたし、もう慣れっこですから」
「本当にごめん……」
ここでシン先生が咳ばらいした。
なんとなく予測できる。
鍵を作るにはやはり条件があるというのだろう。
「ただし有料だ」
ほら、きた。
「わかってます。いくら払えばいいんですか」
「佐藤の持ち金すべてと引換えだ」
「なーんだ。そんなことくらい」
おれはもともとカネには執着していない。カネなんて全部くれてやるさ。
「待て待て。現在の所持金ということではない。もちろんいま持っているカネはすべていただく。しかしそれで終わりではないのだ。そこの者のように、今後いっさいのカネを持てなくなる、ということだ。我が呪いによってな」
シン先生のいう『そこの者』とは案内人のことだ。
しかしそんな無茶苦茶な条件をだして、いったい何がしたいのだろう。
「あのう。聞いてもいいですか。現在の所持金をシン先生に渡すというのは理解できます。だけど今後もカネを持てなくなることで、あなたにメリットがあるように思えません」
「それは簡単な話だ。ただ面白いからだ。魔王を倒すのをやめれば、あるいは魔王を倒してしまえば、またカネを所持することができるようになる。どうだ?」
突然トアタラが大声をあげた。
「呆れましたっ。どうしてそんな酷い条件をだしてくるのでしょう。これは嫌がらせだと思います! いまの所持金では不足だということですか? もしそうでしたら、分割支払いの提案でもなさればいいではないですか」
トアタラの剣幕にリリサが目を丸くしている。おれもビックリだ。
シン先生は鼻の頭を掻きながら、そっぽを向いた。
「誰も強制しておらん。鍵を作ってほしくば、そうしろといているだけだ。自分たちで鍵を作ってもいいのだからな」
トアタラが震えている。リリサが肩に手を乗せると、彼女はうつむいた。
おれも彼女に「ありがとう」と告げた。
鍵を作ってもらうため、結局彼の条件をのむことにした。
これから先、おれは一文無しだ。しかしリリサとトアタラはありがたいことに、魔王を倒すまでの間、おれのカネの面倒をみると約束してくれた。
さて。鍵を作ってもらうには、材料をとってこなければならない。その材料とはトジェの実の種子だ。トジェの木はこの世界の各地にあるらしいが、数十年に1度しか実をつけないそうだ。シン先生の占いによれば、ちょうどこの時期に実をつけている地域は、この世界でたった1ヶ所だけらしい。ポヌーカという町だ。
おれたち3人はポヌーカへ向かうことになった。
部屋からでようとしたところで、案内人が呼びとめる。
「わたしも魔王を倒したい。あんたたちに同行してもいいかしら」
かしら?
もしかして案内人ってオンナだったのか。
案内人がシン先生に向く。顔を隠す仮面に手をかけた。
「もうこれ、外してもいいんでしょ?」
「好きにするがいい。契約は終わったのだ」
案内人の仮面はシン先生との契約だったらしい。
そして仮面が外された。
「あああああ!」
叫んだのはおれだ。こんなことってあるだろうか。
夢ではないのかと頬をつねってみる。夢ではなかった。
「亜澄さん?」
仮面の奥から現れたのは、亜澄さんの顔だった。




