42話 トサカ鬼
峠を越えたおれたちは、ひたすら山をおりていった。霧はすっかり晴れている。
突然、トアタラの足が止まった。
「わたしたち、誰かに見られていませんか?」
はて。そんな気配は感じとれないが。
リリサも首を横にふる。しかしその幼顔は険しさで染められていった。
「トアタラがそういうのなら、何かがいるのかもしれないわね。用心していきましょ」
魔物でもいるってことだろうか。
ああ、そうだった。おれたちはトサカ鬼という魔物を探しているのだ。そいつがおれたちを狙っていてもおかしくない。だとすると、タシナバンバ渓谷にだいぶ近づいてきたということになる。
案内人に話しかけることは、シン先生から固く禁じられていた。しかし案内に関することならば許されている。
「おい、案内人。タシナバンバ渓谷ってもう近いのか」
案内人は無視して歩いている。
もう一度問う。
「なあ、近いのか」
案内人は舌打ちしてから首肯した。
いちいち舌打ちしないでもらいたい。
だが近いとなると、本当にトサカ鬼から見られているのかもしれない。
トサカ鬼……いったいどんな鬼なのだ。どんな特徴を持ち、どんな武器を持っている? シン先生やクルス村の人々から話を聞いたり、文献等でしっかり調べたりしてくるべきだった。峠の番人だって、尋ねれば教えてくれたかもしれない。
少なくとも鬼というからには、やはり凶暴なのだろう。
はたしてそいつと闘って勝てるのか? いやいや何をいっている。勝てるのか、ではなく、勝たなければならないのだ。
そのためには先手をとることが大切だ。逆に不意打ちを喰らうことがあってはならない。
張りつめた空気の中、みなの神経はピリピリしていた。
リリサがあたりを見まわす。
「なるべく固まって歩きましょ。最後尾はわたしに任せて」
「いいや、リリサ。最も注意の必要な殿はおれが務める」
リリサが顔をのぞきこんできた。
「へぇー」
「なんだよ」
「わたしを女の子扱いしてくれるんだー」
おっと忘れていた。いまのリリサの体はオトコだったんだ。しかも幼く見えるが年長者だ。危険な役割を買ってでるようなことを、わざわざしなくてもよかったのかもしれない。まあ、いまさら撤回するつもりはないけど。
「一応、礼をいうわ。ありがと」
仲間たちの後方から、山の斜面をゆっくり進む。
勾配が増してきた。
左側は崖の壁、右側は谷。遥か下方に川が見える。
川は徐々に近くなってきた。滝のような轟音が下から響いてくる。川は激流だ。落ちたら助かるまい。
「見つけました」
トアタラが声をあげた。
何を見つけたのかと尋ねてみたところ、川辺の岩場に黒い影が見えたとのことだ。
かといって急ぐわけにはいかない。足場が悪いので注意を怠れば、死を招く結果になる。
ようやく谷底の岩場に到着。
トアタラの目撃した黒い影が、この辺に潜んでいるのかもしれない。だが大きな岩がゴツゴツしていて視界が悪い。相手がトサカ鬼だったとすれば、手分けして探すというのは危険極まりない。効率の悪いことだが、まとまって探すことにした。
「聞こえました」
またトアタラだ。
大きな岩の陰の横穴から、人間の声に似た音が聞こえたのだという。
彼女は鬼探しの才能でもあるのだろうか。
おれたちは横穴の手前に立った。
きっと穴の奥にはトサカ鬼という魔物がいる。おれたちはいまから入っていく。正直いって恐ろしい。胸は深い不安で締めつけられ、心拍数が激しく上昇している。
しかしトサカ鬼の角を持ちかえらなくてはならない。それがシン先生に占ってもらうための条件なのだ。もとの世界に戻るにはどうしても必要なことだ。
それにしても、ずいぶんと深そうな洞窟だ。
懐中電灯はもちろんのこと、松明すらない。
しかしおれたちには、頼りになるリリサがいる。
「わたしの出番かな♪」
「はい、出番です」
「よろしい~」
リリサは笑顔で首肯し、炎球を発生させた。ふわりと宙を浮いている。
4人で洞窟に入っていった。思った以上に奥行きがある。
ずっと先に小さな光が見えた。やはりこの洞窟には何かがいるのだ。
奥の光に近づいていく。敵に気づかれぬよう、途中で炎球を消した。それから極力足音も。
おれたちの視線が人型生物の姿をとらえた。
2mもあろうかという背丈だ。ちょうど背中を向けている。おれたちの接近に、まだ気づいてなさそうだ。近くに火が焚かれている。手に持っているのは鍋のようだ。調理でもしているのか。
頭部に2本の角が確認できた。角と角の間にはトサカのようなものが生えている。探し求めていたトサカ鬼に相違なかろう。
油断しているいまがチャンスだ。
案内人を除いたおれたちは顔を見合わせ、静かに首肯した。
互いの意思が通じあった。
おれが魔人のウルミを持ち、トアタラが仔龍の短剣を手にする。そしてリリサが両手の指で菱形を作った。
それぇーーーーーー。
おれたちは突撃した。
トサカ鬼はふり返った際に、足がもつれてコケた。
リリサの炎球がトサカ鬼に直撃。
トサカ鬼が叫喚をあげる。立ちあがろうとして、またコケた。よほど慌てているのだと思われる。それでも這いながら、奥の壁へと寄っていく。結果として逃げ道からは、逆に遠ざかったわけだ。
魔人のウルミを突きつける。
トサカ鬼は座った姿勢で壁に背をつけた。両手で頭を隠す。首を左右にふりながら悲鳴をあげている。恐怖に震えて、泣きじゃくっている。
これがトサカ鬼か?
なんだか拍子抜けだ。魔人のウルミをさげた。
「おい、答えろ。お前はトサカ鬼だな?」
トサカ鬼は首を縦にふった。
「そんじゃ、お前の角をよこせ」
トサカ鬼は泣きわめきつづけながら、激しく顔を歪ませた。まるでこの世の終わりだといわんばかりに。
「帰るぞ」
顔を伏せ、トサカ鬼に背中を向けた。
するとリリサがいう。
「いいの、佐藤? このトサカ鬼から角を奪わなくて」
「これ見て、奪えるわけがなかろう」
トサカ鬼はインドラの雷が放たれるときまで、村々を襲い、人々を悩ませていたという。しかしそれは300年以上も昔の話だ。
トサカ鬼が何百年生きるのかは知らないが、こいつ本人が人間の村々を襲ったという証拠もない。
横穴の出口へと歩いていく。疲労に満ちた足取りだった。
インドからきたという人物の居場所を、シン先生に占ってもらえなくなった。
ほかの3人が追ってくる。
右手に並んだトアタラが、ちらちらと視線を送っている。
「トアタラのいいたがってることを、わたしが代弁してやるわ」
リリサはそういって左隣に並び、小さな右肩で小突いてきた。
そして小声でいう。
「やるじゃん、佐藤」
トアタラが首肯する。
「何もやっちゃいねえよ」
おれは長い溜息をついた。




