30話 ボリウッド
乗合馬車の乗りかえ地点で、シャザーツク往きの馬車がくるのを待っている。しかしなかなか馬車が現れない。ここは何もない大草原のド真ん中。四方はどこまでも続く緑。町や村なんて見えやしない。もう馬車なんてこないのではないか、という不安に駆られていた。
こんな状況にもかかわらず、リリサは平然とシロツメクサで王冠を作っている。呑気なものだ。トアタラも鼻歌を歌い始めた。
2人とも肝が据わっているなあ。あるいは、おれが物怖じしすぎるだけなのか。それはそうとトアタラの鼻歌……。どこかで聞いたことのあるメロディーだ。
「それ、なんの歌だ」
「ナタン村の村歌です」
「村歌なんてあったのかぁ」
思いだした。ヤモックの奥さんもそんな鼻歌を歌っていたっけ。
リリサがトアタラの頭に王冠を乗せた。
トアタラは無邪気に喜んでいる。
一人旅ではなくてよかった、とつくづく思う。誰かが一緒にいてくれるだけで心強い。もしこんなところで独りぼっちだったらと思うと、ぞっとする。
リリサがこっちに向いた。
「あー、そうだ。佐藤は『魔人のウルミ』の練習をしないとね。この前にもいったけど、ステータスにでてきた例の『はてなマーク』って、特技と関係しているんじゃないかな。いま試してみたらどう? 乗りかえの馬車がくるのを、待ってる間にさ」
練習とかって面倒だし、あんまり好きじゃない。しかしリリサのいうとおりだ。ぼんやり座りこんでいたって仕方がない。おれも土の魔女のように、あの武器を使いこなしてみたいっていうのはある。
んじゃ、やってみるかな。
魔人のウルミを手にとり、特技インドを念じる。
特技を使いますか
はい← いいえ
特技を選択してください
* インド←
特技を選択してください
* 本インド←
* 西インド諸島
ここまでは順調だった。
そして次の画面に移る――。
特技を選択してください
* インド
* インド
* インド
なんだよ。3つともインドじゃわかんねえよ!
文句を口にだしたら画面が変わった。
特技を選択してください
* インド (ボリウッド)
* インド (沐浴)
* インド (カラリパヤット)
表示が追加された。やればできるじゃん。
真ん中の沐浴は、シロウトには危険なやつだ。水を飲んだら激しく腹がくだるのだ。あんなのはもう2度と使いたくない。
でもその上と下の選択肢はなんだ。さっぱり見当がつかない。
ボリウッド? カラリパヤット?
だがどちらかに決断しなくてはならない。とりあえず上段にあったボリウッドを選んだ。
ボリウッドってなんだ?
緊張しているためか、魔人のウルミを握る手が汗ばんできた。
さあ、いよいよ始まる……。
大空から音楽が鳴りはじめた。
タッタッターララ ターターター
ああ、これはお馴染みの踊る方のやつか。
体が勝手に動かされる。しかし魔人のウルミから手が離れてしまった。この特技とウルミは関係ないようだ。
広い大草原にぽつりと残されているのは、おれたち3人のみ。したがって踊りのパートナーとなる者は限られている。トアタラが音楽に操られることはないため、おれのパートナーは必然的にリリサとなる。
ああ、複雑だ……。リリサは可愛い。可愛いのは確かなことだが、いまの体はオトコだ。それはよくわかっている。しかしどうしたものか、ちょっと嬉しいような気もする。
くそっ、どうしてコイツはこんなにキュートなんだ。
体が密着した。互いの顔がよる。
そしてリリサの艶やかな唇が近づいてきた。不覚にも心臓がドキドキする。なんたることか。
頬に軟かな感触……。
これって禁断の口づけというやつなのか。
できれば呪いの解ける満月の夜にもう一度……。
リリサがほんの一瞬だけ苦痛な表情を見せた。おれの頬に触れるのが嫌だったのだろう。だが何ごともなかったように、表情はまたすぐに戻った。表情も強制されているためだ。
リリサの表情は笑顔にもかかわらず、顔色は次第に青ざめていく。そんなに嫌だったのか。
だが……。なんだ、この違和感は。おい、リリサ?
きちんと踊っているのに、ようすがおかしい。
一方、視界の隅でトアタラがあたふたしている。
あの慌てぶり……何があった?
彼女が仔龍の短剣を握っている。その剣先は赤く染まっていた。
まさか。
ようやく把握できた。短剣で刺されたのは、一緒に踊っているリリサだ。
トアタラ、教えてくれ。何があった?
そう叫びたかったが、全身が操られているため、口にできない。
曲が終わるのを待つしかなかった。
トアタラがリリサを背中から抱きしめる。しかし激しく踊る彼女にふり払われてしまった。リリサ同様、トアタラも真っ青な顔になっていた。
しばらくして、やっと曲が終わってくれた。
同時にリリサは倒れ、そのまま地面に伏した。
「リリサっ!」
早く止血しなければ。
刺されたところは背中だ。しかし止血の正しい方法がわからない。おれはシャツを脱ぎ、リリサの背中に押しあてた。応急処置の方法がこれしか思い浮かばない。トアタラが涙を流している。
「ごめんなさい、ごめんなさい。わたし……」
ふと思いだした。
おれには宝石があったではないか。『回復魔法の結晶』というものだ。これをいま使わずにいつ使う?
ポケットから宝石をとりだした。そして願い、叫ぶ……。
「リリサの傷を治してくれ」
てのひらの上で宝石が神々しく光った。眩しい光は周囲一帯を白く染めた。
そして宝石が砕けちった。宙を舞った光の粒子は、シャボンのように消えていった。
リリサが伏した状態から、むっくりと起きあがる。
おれとトアタラは、同時にリリサの名を呼んだ。
「「リリサ」」
「あれ?」
リリサが不思議そうに首をひねった。
「もう痛くない」
宝石の回復魔法が効いたようだ。顔の色つやもよくなっている。
おれは安堵のため息をついた。その隣でトアタラが必死に謝っている。
「ごめんなさい、リリサ。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
リリサがふくれる。
「もー! 突然どうしたのよ、トアタラ」
そりゃ怒るだろう。下手をしたら命を落としていたのだから。
「ごめんなさい。いままで佐藤が踊るとき、相手はいつも悪い人だった。山賊の長とか土の魔女とか。それでわたし、心の奥から妙なモヤモヤが広がって、冷静でいられなくなってきて……。ふと気づいてみればリリサを刺していたの」
トアタラは震えていた。
リリサの腹の虫はまだ治まっていないようだ。
「わたしをそんな悪党たちと一緒にしないでよ!」
「ごめんさない」
トアタラが深く低頭する。
「まっ、いいわ。貴重な『回復魔法の結晶』を使ってくれたようだし。佐藤、ありがとう。だけど今後、わたしのいるところでは、踊りの特技は絶対に使用しないこと」
「おう、了解した」
リリサのいるところであの特技を使うのはやめた……満月の夜を除いては。
そのリリサが顔をじっと見据えている。はっ、考えていることがバレたのか。いや、まさか。それはありえない。
リリサは目を細めて「ふうん」とだけいった。そしてニコニコしながら、その視線をトアタラに移す。さらに肘で彼女を軽く小突いた。なんだ? その笑顔や動作の意味が皆目わからない。
「何が『ふうん』なんだよ」
「佐藤は知らなくていいこと」
リリサは「べー」と舌をだした。教えてはくれないつもりのようだ。
しかし困ったことにその舌が艶めかしい。吸いつきたくなるほどに。
……オトコだなんて残念すぎる。リリサに呪いをかけた奴が心底憎い。
遠くから馬車が近づいてくる。
おお、やっときたか。
胸をなでおろした。だけどどこへ向かう馬車だ? シャザーツク往きか? そうであってくれ。
2輪車両の小さな馬車だった。3人で手をふると馬車は止まってくれた。シャザーツク往きだという。よかった。当たりだ。
客車に乗りこんだ。乗客たちは衣類が血に染まったリリサとおれに驚いている。
「いやあ、魔物が現れまして」
リリサに代わって、そういっておいた。
おれたちを乗せた乗合馬車が出発する。




