2話 異世界の村人
夜に起きていても、無駄に腹が減るだけだ。朝までどこかで寝ていよう。異世界転生の初日は野宿からだ。石橋の下で眠りについた。
目が覚めた。陽はまだ顔をだしていないが、結構明るくなってきている。朝食にありつける予定はない。
ああ、そうだ。おれ踊り子なんだっけ。どこかにギルドでもあればいいのだが。おれ1人でカネを稼ぐのはまず無理だが、雑用などの仕事をさせてもらえばメシが食えるかもしれない。
あるんだろ? ギルドが。
ギルドを探さなくちゃ。
朝の農村を歩く。遠い山々に霞がかかっている。道端には壊れた荷車が放置されていた。柵の向こうに牛がいる。丘の上に見える風車が、ゆっくりと動いている。牧歌的で長閑な風景だ。
人がいた。鍬を担いで歩いている。
これから畑に向かうのか。
すれ違うとき、彼の視線はおれに止まった。もの珍しそうな目を向けてきた。おれを舐めまわすように見ている。なんだか恥ずかしくなってきて、腕が無意識に胸部を隠すのだった。たぶん彼は高校の制服が珍しかったのだろう。
「やあ、旅の人かい?」
おれは旅の人なのか? まあ、そうなんだろうな。少なくとも地元民ではない。
「そんなところです」
「もうメシは食ったのか」
「いいえ」
男は担いでいた鍬を地面に立てた。
「ならばウチで食っていくがいい」
「ほ、本当ですか」
「寄ってけ、寄ってけー。わが家に案内しようじゃないか」
信じられなかった。おれにも多少の運はあったようだ。それにしてもなんとイイ人だ。この村に住んでいるのは、きっと優しい人たちばかりなのだろう。
「俺の名はヤモックだ。よろしくな」
「ボク、佐藤っていいます。よろしくお願いします」
握手を交わした。ヤモックさんの推定年齢は40代後半。中背でやや小太り。人のよさが顔に表れている感じだ。
「ところで佐藤。お前さんの職業はなんだ。俺は見てのとおり農夫だ。農夫といったってレベルは14。だからときどき防村の臨時兵士もやらされてるんだ。低報酬でな」
職業をいわないと駄目なのか。いわなければメシを食べさせてもらえないのか。踊り子といえばルックスがよくて華やかなイメージだ。地味なおれが踊り子なんていったら笑われるんじゃないのか? できれば話したくはなかった。しかしメシのためだ。
「えっと、ボクは……」
ヤモックさんがてのひらを向けた。
「おっと待った。俺が当ててやろう。うーん、わかったぞ。勇者だ。そうだろ?」
「とんでもありません」
「じゃあ……。エキゾチックな格好からすると外国の貴族かな」
「違います」
「ははは。次は本気で当てにいくぞ……。うーん」
おれの顔をじろじろ観察する。
「道化師か」
「違います。もしかして顔だけで判断したんですか」
「悪い、悪い。面白いものを顔につけているもんだから」
ああ、わかったぞ。メガネのことだ。この世界にメガネはないのか。
「これ、メガネっていうんです」
メガネを外そうとした。
「か、顔から外れるのか?」
「あたりまえです! 顔の一部じゃありません」
メガネを外し、男に渡す。彼はメガネをのぞいた。
「わあ、これはガラスだな。大聖堂のステンドグラス以外では、見たことがなかった。透明なガラスの向こうが、ぼやけて見えない。のぞき続けると頭も痛くなってくる」
おれは超強烈な近視だ。彼の意見は正しい。
メガネを返してもらい、ふたたびかけた。
「佐藤、お前はすげえ奴だ。そんなものを顔にかけて、よく歩けるものだ。何も見えなくなるだろ? 頭が痛くなるだろ? そうか、わかったぞ。お前の職業は魔法使いだ!」
「いいえ、時間切れだからいっちゃいます。正解は踊り子です」
彼はふたたびおれの顔をじっと見た。沈黙のあと……。
「ふっ」
鼻で笑われた。きっと『その容姿で?』と思ったのだろう。
「ちなみに、なりたくてなった職業じゃありませんから」
「それにしてもよくわからん。どうして目の小さく見えるものを、踊り子がわざわざ身につけるのだ? 修行でもないのだろ」
「これをした方が見やすいんです」
「変わってるな」
ヤモックさんの家に到着した。きょうのおれは運がいい。無一文のおれが早くもメシにありつけたんだからな。実はヤモックさん、年頃の綺麗でかわいい娘さんがいるんじゃないのか。そんな気がしてきた。そうであってほしい。
中へ入れてもらった。太った奥さんがいた。彼女の愛嬌のある笑顔を見てすぐにわかった。ヤモックさん同様、イイ人に違いない。娘さんは存在しなかったが、彼の義兄だという人がいた。名はパチャン。
さっそくテーブルに奥さんの手料理が並べられた。ありがたくいただいた。食材はあっさり味のチキンがメインのようだ。決して豪華ではなかったが、朝食としては結構手間がかかっていると思われる。この世界の人々の優しさには、目頭が熱くなってくる。そして完食した。
食休み後、ヤモックさんが別棟に案内してくれた。アトリエがあるらしい。そこには描きあげた絵が飾ってあるそうだ。義兄パチャンさんの職業が画家なのだという。この世界の美術に早々と触れられるとは、なんとありがたいことだ。彼はどんな絵を描くのだろう。風景画、人物画、宗教画、抽象画……。
アトリエに入れてもらった。たくさんの絵が飾ってあったが、なんとなく直視が難しい。すべて裸婦画だったのだ。ヤモックさんがいう。
「何を恥ずかしがっているのだ、佐藤。もしかしてドーテーか?」
「ち、違います」
※嘘です。ドーテーです。
「ならば問題ないな」
実のところ別に恥ずかしがっていたわけではない。もとの世界では裸婦画くらいそこらじゅうに転がっているのだ。別にこのくらいじゃドキっともしないさ。ただ他人の前で凝視なんてできないだろ。きわどい萌え絵なら、おれだって中学時代にたくさん描いてきた。
「どうだ、佐藤。感想は?」
「とても綺麗な絵ばかりだと思います」
「参考までに、一番気に入った絵はどれだ」
「そうですねえ。これなんか魅力的だと思います」
その絵の前に立ち、指差した。
「佐藤! お前はなんという目利きなのだろう。まさかプロではあるまいな」
「プ、プロだなんていいすぎです」
「この絵はな、360,000マニーの値打ちがあるのだ」
「360,000マニーですって?」
※佐藤は通貨単位マニーの価値がわかりません。
ヤモックさんは嬉々とした顔を近づけてきた。小声でいう。
「だが、佐藤。目利きのお前にならば、たった15,000マニーでゆずってやろう。きょうは佐藤のような人物に知りあえてとても機嫌がいいのだ」
「すみません。とてもありがたい話ですが遠慮しておきます。逆に気がひけてしまいます。この絵はほかの人に適正価格の360,000マニーで売るべきですよ」
「何を遠慮などするのだ。佐藤は実に謙虚な男だ。よし、決めた。特別に13,000マニーでゆずろう。ほかの人々にはいうなよ。これは内緒のフレンドプライスだ」
「いいえ、買うつもりはありません」
「そっか。ならば仕方がない」
どっと疲れがでた。まさか商売が始まるとは思ってもいなかったのだ。実際、買えるわけがない。残念ながら無一文なのだ。
「ところで佐藤」
「今度はなんでしょう」
「佐藤の目から見て、最も美しいと思う婦人はどの絵のものだ」
「買うつもりはありませんよ」
「わかってる、わかってる。ただ佐藤の好みのタイプを知りたかっただけだ」
「じゃあ、そうですねぇ、あれなんか見惚れてしまいそうです」
ヤモックさんとパチャンさんの眼光に、おれはブルッと刹那に震えた。
パチャンさんがいう。
「若い頃に描いたものだ。確か23年前かなあ。モデルは妹だ」
えっ、パチャンさんの妹というと、これってヤモックさんの奥さんの若い頃?
なんだかこの絵に萎えてきた。いやいや、そんなふうに思ってはならない。だけど……。
ヤモックさんが自慢げにいう。
「綺麗だろ?」
「はい、とても」
「250,000マニー。当然フレンドプライスだ」
「いいえ、買うつもりはありませんから」
「ははは。いわずともわかってる。11,000マニー。これより下はありえない」
「だから買いませんって」
「仕方がない、9,500マニー。ラストプライスだ」
ヤモックさんの顔が厳しくなった。
「あの。ボク、おカネを持っていないんです」
「はあ?」
ヤモックさんとパチャンさんは互いの顔を見合わせた。
「なんの冗談だ、フレンドよ。無一文が旅などできるはずがない」
「本当です。ポケットの中を調べてもらって構いません」
彼らはたちまちおれを素っ裸にし、衣類の中を調べるのだった。
「ちっ、本当に無一文か」
「ではボク、帰らせてもらいます」
脱がされた衣服を着る。
「待て、佐藤。このまま帰れるわけがないよな。カミさんの作った料理8マニー。アトリエ見学料5マニー。合計13マニーだ」
「それはひどいです。有料だとはいってなかったじゃないですか」
「無料だともいってない」
「でもそういうことは初めからいうべきでしょ」
ヤモックは憤怒の形相で声を荒げた。
「何をいうか、佐藤。お前、頭がおかしいんじゃないのか。有料が受けいれられないというのなら、お前がそれを先にいっておくべきだったのだ。よく考えてみろ。初対面の人物に誰が無料でメシをだす? 誰が無料でアトリエを見学させる? そんなことが常識的にありえるものか。俺たちの言葉になあ、『郷にいったら郷に従え』っていうのがある。地域ごとに先祖代々ひき継がれてきたルールってものがある。部外者たる旅人にその伝統や風習、規則を批判される覚えはない。嫌ならよそへいけ。ただし、佐藤。お前は13マニーを支払う義務がある。よそへいくなら支払ってからだ」
もとの世界にも『郷にいったら郷に従え』という言葉はあった。彼の話は正論だ。反論の余地なんてありゃしない。
「13マニーの件、わかりました。でもいまはおカネがありません。少し時間をください。どこかでバイトでもして必ず返します」
「まあ、仕方ないな」
「ですが、ヤモックさん」
「なんだ」
「13マニーを半分にまけてくれませんか。6.5マニー。フレンドプライスで」
ヤモックが苦笑する。
「フレンドプライスか。よし、小数点以下もまけてやろう。6マニーでいい。佐藤が無一文だという現状は理解している。だがなるべく早く返せよ」
根は優しい人なのかもしれない?




