23話 煮えたつ泥水
グラナチャは土の魔女だったのだ。
だがギルドの仲間たちは誰も信じてくれないだろう。
トアタラが危ない。命を狙われている。
おれもグラナチャのあとから、ギルドの建物からとびだした。
土の魔女には知られている――彼女さえも操ってしまう特技『インド』は、トアタラにはまったく無効だということを。
トアタラは特技インドが発動中でも、自由に動ける唯一の存在なのだ。すなわちみんなが強制的に踊らされている間、トアタラだけは誰にでも攻撃が可能だということだ。
ゆえに土の魔女はトアタラの存在を恐れているはずだ。
さきほどオルファゴによって、トアタラの居所がみんなに知られてしまった。その途端、グラナチャすなわち土の魔女はギルドの建物をでていった。彼女が向かったのはトアタラの働くペットショップに間違いない。
「待て、佐藤。どこへいくつもりだ。どうしてグラナチャが土の魔女なんだよ」
先輩たちが追いかけてくる。彼らに答えている暇はない。ペットショップに急がなければならないのだ。しかし持久力に乏しかったため、すぐに追いつかれてしまった。
「放してください。居所のバレたトアタラが狙われているんです。トアタラは特技インドの効かない特殊な存在なのです!」
「トアタラって誰だ。ああ、佐藤と同居している例のオンナのことか。もしそれが本当だとしたら、そんな特性のことを何故黙っていた?」
「友人を危険にさらしたくなかったんです。おれ、急ぎますんで」
先輩たちをふりきった。
彼らはついてくる。しかしもう、おれを捕まえようとはしていないようだ。歌女のリリサが走りながら並んできた。
「佐藤はいつからグラナチャが土の魔女だってわかってたの?」
「頭の片隅に何かひっかかるものは前からあったけど、それをはっきり認識できたのはいまさっきだ」
「協力してもいいわ。だから一応、説明を聞かせてくれないかしら」
そういうのならば、走りながら話してやろう。
リリサが参戦してきた日、イベント会場の近場に現れた土の魔女は、おれの顔を見て逃げた。それは土の魔女が特技インドのことをすでに知り、その力を恐れていたからに決まってる。初めてギルドを訪れた日にまで遡るが、ギルドの仲間に特技インドを披露してやったことがあったんだ。みんなが驚愕してたっけ。その場の誰もが強制的に音楽に操られた。もちろんグラナチャも例外じゃなかった。
町でこの特技を知っているのは、トアタラとギルドメンバーのみだ。もし土の魔女がギルドメンバーだったら、特技インドを知っていることに得心がいく。
それにさあ、もう聞いてるだろ? 土の魔女がおれの宿泊する部屋に、忍びこんだという事実もあるってこと。あれは『リリサが参戦してきた日』の晩のことだ。おれに心臓食いを邪魔されたんで、腹を立ててその日のうちに報復にきたってところだろう。おれが1人のところを狙ってさ。
宿泊場所を知っている人物は限られている。宿を紹介してくれたオルファゴや事務のシャスラなどギルドの関係者、あるいは宿で働いている人たちのみだ。つまりギルドの関係者または宿の主人や従業員でなかったら、おれの居場所についての情報はなかなか掴めないはず。しかし土の魔女は知っていた。ほら、見ろ。これで土の魔女はギルドメンバーだったって可能性がますます高くなる。
ちなみに土の魔女は、おれ1人だけならば怖くないはずだ。くり返していうけどさ、彼女が恐れているのは、曲に強制されないような第三者の存在だ。なぜならもしそんな人物が存在した場合、踊らされているときに攻撃でも受けたら、まったく抵抗できずにやられてしまうからだ。
土の魔女はおれの宿泊する部屋に忍びこんだとき、あたりを用心深そうに見回した。きっと危険な第三者の有無を確認していたんだ。もちろんそこにはおれ1人しかいなかった。
部屋で特技を発動し、土の魔女と踊ったんだが、奇妙な感じがあった。それがなんなのか懸命に考えてみたけど、そのときは思いもつかなかった。だけどいまならわかる。おれがかつてメレンゲを一緒に踊ったパートナーは、グラナチャと土の魔女の2人だけだが、その両者がすべてにおいてあまりにも重なっていた――つまり宿屋で土の魔女と踊っていたときの奇妙な感じは、彼女と踊るのが2度目だというデジャヴにも似たものだったのだ。
そして踊らされている最中、土の魔女の恐れていたことが、実際に起きた――。突然現れたトアタラに、右脇腹を短剣で刺されたんだ。特技に無効なトアタラの存在を、土の魔女が知ってしまったのはまさしくこのときだ。
もし彼女がまた襲ってくるとしたら、おれとトアタラが一緒にいないときを狙うはずだ。ところがおれたちが同居してしまったため、夜討ちにはこれなくなった。かといってギルドのみんなのいる前で、おれを殺すこともできなかった。
きょうふたたびグラナチャとメレンゲを踊ることになった。彼女が右手をあげたとき、ほんの一瞬だが痛そうに顔を歪めたような気がした。曲に強制されているにもかかわらず、その右手は真上まであがらなかった。あがらなかったのは、きっと右脇腹に深い傷を負っていたからだ。右手をまっすぐあげると、皮膚がつっぱったのだろう。それから右脇腹に大量の汗をかいていた――しかしそれは“汗”ではなく“血”だった。右手をあげたことでまた開いた傷口から、じんわりと滲みでていたんだ。おれの“てのひら”は赤く染められた。トアタラに刺された傷はまだ完治していなかったのだろう。
ギルドメンバーのうちグラナチャこそが土の魔女なのだと、ここでやっと結論づけることができたわけだ。
そして何よりも――ああ、どうしてもと早く気づかなかったのだろう――あの強烈な化粧品の匂い。あんなのをつけているのはグラナチャと土の魔女くらいなものだ。鼻がきつかったぜ。
わかってくれたかな、リリサ。
これだけじゃ、納得できないか? だけどもうすぐ『おれの推測が正しい』ってことが証明される。トアタラのもとに必ず土の魔女が現れるんだからな。
「佐藤の話、信じてあげるわ。急ぎましょ」
「まあ、リリサについても妙なところがあるけどさ」
「わたしのことは詮索しないでよ」
五叉路にでた。
その先にペットショップが見えた。
トアタラはまだ無事か?
店の中に視線を注ぎ、目を凝らす。
いた。彼女の姿が確認できた。
「トアタラ、逃げろ!」
声は届かなかった。こっちにまったく気づかない。
もっと近づかなければ無理か。
「わたしに任せて。声魔法があるの。遠声!」
リリサが指で菱形を作った。口に菱形を近づける。
トーアーターラー にーげーてー
大声が大気を揺らす。通行人の誰もがその音量に、身をすくめるほど驚いていた。さすがに声はトアタラまで届いたようだ。こっちに向いてくれた。おれを見咎めると店からとびだした。
しかしそこへ土の魔女が現れた。トアタラを殺しにやってきたのだ。
残念なことだが、おれのいったとおりになってしまった。
土の魔女がトアタラの前に立ちはだかる。逃がさないつもりのようだ。
おれの友人を助けなくては! 急いで特技を念じた。
特技を使いますか →「はい」を選択
特技を選択してください →「インド」を選択
ああ、早く早く!
焦燥感にかられる……。
特技を選択してください →「西インド諸島」を選択
特技を選択してください →「メレンゲ」を選択
申しわけございませんが、野外では使用できません。
もう、こんなときに!
だったら初めからそんな選択肢をだすなよっ。
トアタラが危ないんだ。
選択肢「インド」まで戻って「本インド」を選ぶ。
特技インドの発動を急いでいるとき――。
土の魔女が“煮えたつ泥水”を噴きだした。
周囲には大勢の通行人がいる。土の魔女は“煮えたつ泥水”で、女たちを次々と粘土像に変えていった。
ペットショップの前にでていた店員ミレラも、煮えたつ泥水の犠牲者となってしまった。
そしてトアタラもそれを避けきれなかった……。
トアタラの美しい全身が粘土像となっていく。
「トアタラーーーーーーーーっ!」




