100話 できればずっとずっと(完)
電話を切った。詳しい話は聞けなかったが、これから急いでリリサの指示した場所へ向かう。
なんだっていうんだ。
どうしてそんなところに、いかなくちゃならないんだ。
実際、東京に到着するまで少々時間がかかったし、さらに郊外へとでていく電車に乗りつがなければならなかった。
窓から見えるのは、田んぼの広がった長閑な景色だ。
少し遠くに風車が見えた。あれは観光用のものだろう。ぼんやり眺めていると、シャザーツク村やナタン村を思いだす。
目的地が近づくにつれ、不安が募ってきた。
嫌な気がしてならない。
電車を降りた。リリサは先に来ているはずだ。早く会って話がしたい。確かめたいことがあるのだ。
人の流れに沿って進む。歩きながら溜息をついた。
彼女は向こうの世界の人間なので、戸籍とかそんなものはない。どう考えても、これから先、普通に生活していくのは難しい。だから……そんなところに呼びだしたのか。
指定された場所に到着した。椅子がたくさん並んでいる。
おれは隅っこに座って待った。
また溜息を漏らした。もう何度目だろう。
周囲を見まわすと、悪いことばかりを考えてしまう。待ちあわせ場所がココっていうのは、やはりそういうことなんだろうな……。
頭を掻き、イヤホンを外す。音楽を聴く気にはなれないし、本を読む気にもなれなかった。座ったまま下を向く。
近くに座っていた人々がいっせいに立ちあがり、スーツケースを転がしながら去っていった。グループ旅行者だったらしい。搭乗手続きの時間にでもなったのだろう。
おれたちの待ちあわせ時間もそろそろか。
リリサが空港の『出発ロビー』を指定した理由って……。ああ、考えたくはない。
心を落ちつかせるために深呼吸した。
おれの勘違いであってほしい。思い過しであってほしい。リリサともお別れなんて寂しすぎる。
いや、待てよ……。リリサはパスポートなんか持っていないはずだ。そもそも戸籍がないから、日本じゃ発行できっこない。そうだよ、リリサが遠い国へ行ってしまうものか。それに海外でも、住む場所を見つけるのは、きっと難しいのでは?
スマホを確認する。待ちあわせ時刻まであと6分――。
頼む。早く来てくれ、リリサ。
おれ、不安で堪らないんだ。
温かいものが両目を覆った。
目隠し?
やっと来てくれたか。ずっと待ってたんだ。
でも目隠しなんてイタズラは、お前の外見にふさわしく、ちょっと子供っぽいぞ。
目隠しがほどかれた。
ゆっくりとふり返る。
「ああ……」
しばらく、それ以上の声がでなかった。
眼前に立つ彼女を見ていると、まるで夢の中にいるようだ。
ぎゅっと抱きしめた。
もう放したくない。
2度とその姿を見られないと思っていた。
ト……ア……タ……ラ…………。
本当か。本当なのか? 幻じゃないよな。
ああ、トアタラ、トアタラ、トアタラ!
溢れでる涙で彼女の髪を濡らしてしまった。
おれの胸もとではシャツがしとどに濡れている。
ここにいるわけも、人間の姿でいるわけも、いまはどうでもいい。理由を聞くのなんて後回しだ。
ただ最高にうれしかった。
「また会えましたね」
「ああ、また会えた。嘘みたいだ」
彼女の背後にはリリサが立っていた。兄とサラもいる。
兄が咳払いする。
「再会の喜びは、その辺でいったん中断してくれないかな。紹介したい人物がほかにいるんだ」
いったんトアタラから離れた。
さきほどまで彼女に触れていたが、嘔吐も失神もなかった。元ムカシトカゲだろうがなんだろうがトアタラだ。彼女が美しいことには変わりがないのだ。
男女がこっちに歩いてくる。
2人とも口の周りを汚している。手に持っているのは、みたらし団子だ。
早くティッシュで口を拭けって。
男がおれに声をかける。
「やあ」
兄が紹介したいという人物とは、こいつらのことか。
そういえば、なんとなく見覚えがあるような……。
あああああああああ!
「お前は魔王!」
いてっ。兄に頭を叩かれた。
「大声をだすな。魔王じゃない、恥ずかしいな。ここは人の大勢いる空港だぞ」
似ているけど、確かにちょっと違う。
魔王ほど若くは見えない。年齢は30歳前後か。
別人だったようだ。
男が口を開く。
「元気そうだな、佐藤」
おれを知っているだと?
「だ、誰なんですか、あなたは」
「シンだ」
「シン……? えっ、シン先生? まさか」
男は大きく首肯した。
いやいや、シン先生はこんな好青年ではなかったぞ。もっと凄みがあってワイルドで、仙骨を帯びたような容貌だったはず。それにあのときは4~50代に見えていたが。
「驚くのも無理はない。佐藤と会ったときは修行中のようなものだったからな。人相もだいぶ変わっていただろう」
いいや、人相どころか……。あれ? よく見ればシン先生の面影もあるような。
髭をバッサリと剃ればこうも変わるのか。
「こっちの世界に意識が戻れたのは、佐藤のおかげだ。お前が魔王を消し去ってくれたからな。感謝しているぞ。いまインドのコルカタからバンコク経由の便で帰国したところだ」
「帰国? ここ出発ロビーですけど」
それについては、兄がこう説明した。
「到着ロビーって、店とかが少ないだろ? でも賑やかな出発ロビーだったら、ほら、歩いていて楽しいじゃないか。土産物屋の商品を眺めるのって楽しいし、これから旅立つ人々のウキウキした顔を見ているだけで、こっちまで幸せな気分になってくる。サラやリリサを連れて歩きまわるにはちょうどいいんだ」
「それで出発ロビーでの待ちあわせだったのか。おれ、てっきり……」
「へえ、意外だな。俺がまたインドにでも行ったら、寂しくなるって心配してたのか」
「兄貴のことじゃない!」
リリサが遠いところへ行ってしまうのかと思ったんだ。
「こ、こんにちは」
シン先生の連れが挨拶してきた。
「はあ、こんにちは……? あっ!」
その顔を思いだした。人間に戻ったニナだ。
彼女はトアタラを追い、『インドへの扉』を潜っていったんだっけ。
「もしかしてインドからシン先生に連れられて?」
「そうとも」と横からシン先生。「トアタラとニナを連れてきた」
でもおかしいぞ。
「それじゃパスポートとかどうしたんですか」
今度はトアタラがにっこり笑い、あるものを見せてくれた。
「佐藤、これがわかりますか」
「なんだろう。これ……白闇の鏡?」
ぼろぼろに砕けたものが、固めなおされている。だけどこれは透明化魔法のアイテム『白闇の鏡』に相違ない。
それを使ったのか。
「はい、そうです。魔力の低い人々には、わたしたちの姿が見えなくなります。おかげで飛行機という竜に乗ることができました。乗りつぐたびに壊れていって、いまはもう使えなくなりましたけど」
なんてことだ。電車のキセルについては聞いたこともあったが、飛行機のキセルなんて耳にしたのは初めてだ。
「どうして白闇の鏡がそこに?」
「ニナが持ってきてくれました。向こうの世界から持ってこられるのは、着衣したものと、手でしっかり握ったものだけらしいのです。ニナの話では、これがインドへの扉に引っかかったとき、しっかりと手にとって外したのだそうです」
ニナがこっちを向き、『わたしを褒めろ』なんて顔をしている。
頭を撫でてやった。
「あー、よしよし。偉い、偉い」
――魔物だったお前を、殺さないでおいて、本当によかった――
と声にするのを、ぐっと呑みこんだ。
あのときは、いろいろ怖がらせたりして悪かったな。まさか人間だったなんて知らなかったから。
そしてトアタラにまた会わせてくれて「ありがとう」
「どういたしまして、です」
ニナが屈託のない笑顔を見せている。
「ところで兄貴。シン先生と知りあいだったなんて意外だな」
「向こうの世界でサラと一緒に世話になったんだ。サラの占いの師匠こそ、シン先生だ」
そうだったのか。
おれはシン先生の顔をうかがった。
「あなたはいったい何者なんですか?」
「慎也という名がある。インドにいる時間の方が長いが、一応、日本国籍を持っている。日本人の母から生まれた私生児でな。のちに知ったことだが、父は異世界の有名な魔法使いだったそうだ。ちなみに1度も会ったことはない」
帰りの電車の中で、兄がいろいろ説明してくれた。
兄はインドで死んだのち、向こうの世界で嫁とシン先生と会った。そのときシン先生は占いで、弟のおれもそこにやってくることを予言した。
ただしこっちと向こうの世界には、時間の流れの速度に隔たりが見られ、おれが訪れたのは兄の去った300年以上もあとになる。
ちなみ、おれがシャザーツク村で初めてシン先生と面会した際、彼は面白がって何も知らないフリをしていたらしい。
――未練を残して死んだのなら、あの世からでもインドを目指せ――
その言葉は、シン先生から兄を介しての伝言だったらしい。
おれがシン先生に会いにくるために。
自宅のあるマンションに到着した。
おれ、兄夫婦、リリサ、トアタラ、シン先生、ニナの7人がいる。
エレベータで4階にのぼる。
ここで不思議なことがあった。
何故か玄関前に、おれの通学鞄が置かれていたのだ。
学校の教室に残してきたのに。
いったい誰が届けてくれたのだろう? クラスに友達はいないはずだが……。
少し気味が悪い。
鞄にはメモがついていた。ちょっと女っぽい字だ。
『忘れ物です。住所は小魚遊先生から聞いていました』
意味不明だ。
おれは小魚遊先生なんて知らない。学校にそんな先生がいただろうか。
あとで知ったことだが、兄に小魚遊という珍しい姓の友人がいたらしい。
それ以上のことはわからないままとなった。
みんながおれの部屋に入ってくる。7人だとかなり狭く感じてしまう。
いきなりシン先生が、フローリングの床に魔法陣を描きやがった。
しかも油性マジックで。
「ちょっと何してくれちゃったんですか! ああ、もう。消すの大変ですよ」
「何って、決まっているだろ。新たな異世界へ行くのだ」
「えっ、新たな異世界?」
ここでトアタラが口を開く。
「佐藤。わたしがいま人間でいられるのは、どうしてだと思います?」
「えーと、それは……」
彼女は返事を待たず、話を続けた。
「シン先生が呪いをかけてくれたのです」
「呪い? そんなことが魔王以外にもできるのか」
「はい。実は、シン先生って魔王の血をひいているのだそうです。お父さんが魔王に作られた息子らしいのです」
なんと……。それじゃ、シン先生は魔王の孫にあたるのか!?
それよりもグラナチャの甥というのが信じられん。
トアタラは爪先を床についたまま、片足でくるりと1回転して見せた。
「わたし、人間の姿をとても気に入っています。ずっとこのままでいたいと思っています。でもシン先生は、魔王ほど強力な呪いをかけられないそうです。この体、まもなくムカシトカゲに戻ってしまうみたいです。完全な人間でいるためには、もっときちんと呪いをかけなおしてもらわなくてはなりません」
それについてシン先生が補足する――。
「魔力の不安定なこっちの世界では、きちんとした魔法や呪いはかけられない。だからふたたび異世界へ行き、呪いをかけなおしてくる必要があるのだ。ただし簡単ではない。厄介な問題は山ほどある」
ちなみにナタン村などのあったところとは、また別の異世界なのだという。
どんな世界のなのだろう。
シン先生は首を左右に倒し、ゴキゴキと関節を鳴らす。
「普段ならば意識のみを異世界に飛ばすだけだが、今回は彼女に呪いをかけてやるのでな、俺も肉体ごと行かなくてはなるまい。さーて、そろそろ出発するぞ。トアタラ、ニナ」
口にしたのは2人の名だった。
「ニナも一緒なのか?」
「はい、わたしがこの世界に住むのは無理そうです。それで別の世界に行ってみるつもりです。短い間でしたがお世話になりました」
「そっか、元気で……。違った。お元気でいてください、ニナーリャ王女様」
「くすぐったいです。ニナでいいですよ」
そしてリリサも彼女に別れをいう。
「それじゃ、ニナ。あなたのことは忘れないわ」
互いに手をふった。
トアタラがおれとリリサの前に立つ。
3人で手を握りあった。
「佐藤、リリサ。完全な人間になって帰ってくるつもりです。それまで少しだけ待っていてください」
「絶対に帰ってくるんだよな?」
「もちろんです。だって佐藤やリリサと一緒にいたいから、行ってくるんですよ」
彼女はそういって笑顔を見せてくれた。そしてシン先生の横に立った。反対側にニナも立った。いよいよ出発するようだ。
シン先生が彼女たちとともに魔法陣に入る。
「では行ってくる」とシン先生。
3人の体が次第に透明化していく。兄とサラが3人に手をふっている。
おれは手を半分あげたところで、そのままおろしてしまった。
「なあ、リリサ。おれたちも行かないか」
途端にリリサの顔が晴れ晴れとしていく。
それが彼女の答えだったようだ。
「佐藤、そうこなくちゃ」
リリサの手を握り、魔法陣にとびこんだ。
「兄貴、わりい。学校の休学手続きを頼む。親にも謝っといてくれ」
「しねえよ。向こうの世界に沈没すんな。早めに戻ってこい」
おれの手がトアタラに届いた。
これから新たな旅が始まる。
またトアタラとリリサと一緒だ。それにシン先生とニナもいる。
カスミがいないのはとても残念だけど、いつか再会できるような気がしてならない。
いま激しくワクワクしている。
だって旅って最高に楽しいものだから。
できればずっとずっと旅していたい。(完)
この物語はこれで完結となります。
感想を書いてくださった方、評価をつけてくださった方、ブックマークをしてくださった方、最後まで読んでくださった方々には、心から感謝いたします。
ひと休みしたら、また何か書きたくなると思います。そのときはよろしくお願いします。




