99話 登校(後篇)
水道で顔を洗った。
ふり向くとカスミがいた。いいや、亜澄さんだ。
眩しいほどに明るい笑顔は、きのうと同じだった。
「きょうは人気者じゃない、佐藤くん」
「そんなことあるかよ。さっきちょっと、ほかの生徒と話しただけだ」
人気者とはまったく大袈裟すぎる。別になりたくもねぇーし。
「わたしも佐藤くんの絵、見せてもらったよ」
「ふうん。見られるのは構わない。でもわざわざ?」
「この休み時間、美紅が佐藤くんのノート、みんなに見せてるから」
美紅って誰だ。席がおれの隣の奴のことだろうか。
「そっか」
「絵、巧いんだね。とっても綺麗だった」
絵が綺麗だといった――。
おれは鳥肌が立った。
「わかるのかっ。あの絵の美しさが! モデルは絶世の美少女なんだ」
興奮して、思わずそんなことを口にしてしまった。
彼女はまるで何もかも承知しているかように、大きくうなずいて見せた。
「古風ないい方すれば、あれは佐藤くんにとって『俺の嫁』なのかな」
「まあ、そんなところだ」
すると彼女の微笑はイタズラっぽさを帯びてきた。
「じゃあ、きのうショッピングモールにいた女の子は? あの子は違うの?」
当然リリサのことだ。
「あいつだって同じだ。おれにはさあ、何がなんでも守ってやりたいヤツが3人もいるんだ。あの絵の子と、きのうのと、それからもう1人……」
あれ? どうしてこんなことを、亜澄さんに話しているのだろう。
「へえ、もう1人ってどんな人?」
「どうでもいいじゃん。他人に話すことじゃない」
「誰にも話さないからさー、こっそり教えてよ。どんな人」
おれはカスミさながらに舌打ちした。
「もう1人っていうのは、無愛想で、無遠慮で、すぐ舌打ちするし、高飛車で、威圧的で……。だけど根はとてもいいヤツなんだ。そいつのいいところを見つけてやれる人物なんて、なかなか現れるもんじゃないだろうから、おれが傍にいて守ってやりたいんだ」
それとさ、亜澄さん。アンタによく似ているんだ。
彼女は一瞬だけ、あっと口を開けたが、すぐに閉じた。
「そ? 会ってみたいなあ」
もし本当に会ったら、互いにビックリするだろうな。
同じ顔が並ぶのだから。
亜澄さんは立ち去りかけたが、その足を止めた。
「ああ、いけない! とても大事なことを忘れてた。あのことをもう1度だけ確認にきたのに。あのさ、佐藤くん。あさっての土曜日だけど、本当の本当に、都合はつかないの? クラスの子たちから、佐藤くんをぜひ誘ってみてほしいって、いわれちゃってて。男子も女子もたくさんくるし。どうかなあ」
首を横にふった。
「ごめん。いろいろと忙しくて」
「そーいうだろうと思った。うん、わかった。いいよ、こっちは気にしなくて」
亜澄さんは踵を返した。
数歩進んでから、またふり向く。
そしてきょう1番の笑みを見せてくれた。
「今度こそ、じゃあね」
じゃあね、といった。教室へ向かうだけなのに。
まるで永遠の別れのようだった。
おれは無意識に手をふっていた。
さて、次は現国だ。
再度、顔を洗ってから、教室に戻った。
もうノートには絵を描かないと決め、授業に挑んだ。
脳ミソは数学のときほどカオスになっていない。
いまのところ集中できている。
だが、そんな安穏なひとときをぶっ壊す声があった。
「さーーーーとぉーーーーーー」
リリサの声だとすぐにわかった。
この大音量は彼女の声魔法『遠声』だ。
窓際に座る生徒たちが外に注目する。
リリサが学校にきている……。
家で留守番を頼んでおいたのに、どういうことだ。
そもそもどうして、この学校の所在地を知っている?
兄の仕業だな。あいつめ、面白がってやってるんだろ。
おれも立ちあがって窓の外をのぞく。
リリサを発見。門の外に立っている。隣にいるのはサラだ。
義姉の仕業だったか!
「さーーーーとぉーーーーーー」
リリサが呼びつづける。
ここは無視するしかない。他人のふりだ。
授業は一時中断された。
生徒たちが窓側に集まり、教師までも寄っていった。
生徒の一部がこっちを見る。おれは首を横にふった。
佐藤なんて苗字、校内にはいくらでもいるのだ。
「さーーーーとぉーーーーーー」
ああ、やめてくれ。
呼び声はここまでだった。義姉とともに去っていくリリサの後姿が見えた。
いったいなんだったのだろう。
亜澄さんと目が合った。
そうだ。彼女はリリサの顔を知っているんだった。
しかし他言するつもりはないらしい。黙って席に着いてくれた。
授業が再開された。
おれはもう授業に集中できなくなっていた。
リリサのことを考える。
まさか何か緊急事態に?
嫌な予感がした。
こっちの世界で、リリサの面倒を見てやれるのはおれだけだ。
リリサのためなら恥を掻いたっていい。
腹をくくり、手をあげた。
「すみません。頭痛いんで保健室いってきます」
これで多くの生徒たちが察しただろう。
そうさ。彼女が呼んだ『サトォー』っておれのことだ。
教師の許可を得て、教室をでた。
保健室にはいかず、家へ向かう。
ところが家には誰もいなかった。
リリサも兄も義姉もどこへいったんだ?
スマホの電源を入れたその瞬間、電話がかかってきた。兄からだ。
電話にでるや否や、こっちから口を開いた。
「兄貴っ、いま……」
「わっ、佐藤? へえ、本当に魔法みたい♪」
電話の向こうはリリサだった。通話にはしゃいでいる。
兄から借りて、かけてきたのか。
ということは、そこに兄もいっしょにいるのだろう。
「リリサっ。お前、何やってるんだ?」
「すぐきて。早く」
彼女はそういった。
次回が最終話になります。
投稿は5月19日(土)の予定です。




