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青い夕焼け

作者: やしろ

 日直なんて面倒なしきたり、いったい誰が考え出したんだろう。まぁ、面倒だからこそ平等に当番制にしたんだろうけど。

 放課後に教室に残らなくちゃならないことも、1日使ってすっかり白く汚れた黒板を消さなきゃならないのも、テーマに困る学級日誌を書かなきゃならないことも、まぁ、みんなやってることだから我慢しよう。

 でも、一つ、納得いかない。

 私は、教室に残ったもう一人をちらりと見やりながら、胸のなかで、誰にともなく問いかける。

なんで、こいつと二人でやんなきゃいけないわけ?

 「望月さん」

 呼びかけられて、驚く。まさか、思ってること、ダダ漏れだった?

 内心、かなり気まずい私をよそに、その子は弱弱しい笑顔で

 「ごめんね、私、黒板消すから、机だけ整えてくれる?」とだけ言って、すぐに私に背を向けて黒板消しを手に取る。

 その小さい背中を見ながら、思う。

 望月優美。私と同じ名字の、こいつはなんとなく好きになれない。

 そもそも、「望月」なんてそんなにありふれた名字ってわけでもないのにかぶっていること自体、まずおもしろくない。先生たちも、せめてクラスを分けるなり配慮をしてくれれば授業中、私を「やかましい方の望月」と呼ばなくてすむのに。望月優美の方は普通に「望月」って呼ぶくせにね。嫌になるよ、まったく。まぁ、私がうるさいことは否定しないけど。

 それから、性格というか、雰囲気がどうも苦手だ。

 控えめで大人しい優等生。自分で言うのもどうかと思うけど、傍若無人でガサツな私とは真逆だ。それはいいとしても、常に他人の顔色窺ってるのが丸見えなところが嫌い。いちいち人のご機嫌とらなきゃ、自分が窒息すると本気で信じてそうな感じが、見ていてイライラする。

と、そんなことを考えていたら、振り向いた望月優美とまともに視線がぶつかる。

 心のなかとはいえ、悪口を並べ立てていただけに、ちょっと焦る。それを誤魔化すために、

 「何?机なら、ちゃんと並べてるけど」とわざとぶっきらぼうに言う。突き放したような口調に、望月優美は、こっちが申し訳なくなるくらい怯む。

 「あ、ごめん、なんでもないの」しどろもどろに言われ、視線を外されると、さすがに悪いことをしたなと思う。向こうには、何も非はないわけだし。

 「何、はぐらかされても、わかんないよ」私は、なんとか笑顔をつくって、先を促す。相変わらず口調だけは荒いのは、日ごろの癖というやつだ。簡単には抜けない。

 望月優美は、うろうろと目を泳がせ、最後に私のちょっとひきつっているであろう笑顔を見てから、ようやく口を開く。

 「ごめんね、あのね、ちょっと上の方に手が届かないから、そこだけやってもらえると、ありがたいなと思って」そう言って、弱弱しく笑う。別に変なこと頼んでるわけでもないのに、どうしてこんなに申し訳なさそうに言うんだろう。

 「いいよ、私が黒板消すから。っていうか、望月さん、あんた小さいんだから、最初から黒板名乗り出なきゃいいのに」

 私が呆れて言うと、望月優美は、そうだよねと言って、身を縮める。

 「でも、黒板って粉が付くから、嫌かなと思って」

 まただ。なんで、こう、余計に気をまわしたがるんだろう。

 私は、日ごろの彼女の言動を思い出して、ため息をついた。

 少し前に、学級委員を決めるHRがあった。昼休みに会議が入ったり、イベントがあるたびに雑用として駆り出される役なんて誰もやりたがるはずもなく、立候補が出ないまま硬直状態が続いた。

 そして、お決まりの流れではあるけれど、打開策として推薦を募ることになった。こういうのは適材など問題ではなく、押しつけやすいやつをみんなでヨイショするのも、また恒例だ。そして、その標的に望月優美が選ばれた。

 望月さんなら真面目だし、望月さんなら有能だし、望月さんなら、望月さんなら。

 クラスメイトたちの、笑顔にくるまれた押しつけがましさや身勝手さを、望月優美はどう感じていたのかはわからない。

 困ったように笑って、小さく頷いたことは今でも覚えている。

 おかげで硬直状態だった決めごとも終わったから感謝しているといえばそうなんだろうけど、それ以上にバカだなと思った。

 「そんなことしてて、ハゲないわけ?」

 「えっ」

 私の脈絡のない一言に、かなり面喰ったようだ。黒板消しと自分の肩にたらしたみつあみを交互に見比べている。おおかた、チョークの粉には脱毛作用があるとでも受け取ったんだろう。

 私はもう一度ため息をつくと、黒板を消しながら、

 「ほら、机なんていいから、日誌書いてよ。それが一番時間かかるんだから」と急かした。

 背中越しに、急いで日誌をひろげている気配が伝わって来る。

 ほんと、なんでそんなにいちいち人の反応、気にするかな。

 実際に口にしようとして、やめた。なんとなく、答えが聞きたくなかった。

 もっとも、どうせまともに答えられやしないだろうけど。

 そんなに真面目に拭いてるつもりでもないのに、白い粉はどんどん降ってくる。たしかに、こうなることを知ってたら、事前にやりたいなんて言わないね。私なら。

 あの子は、粉をたくさんかぶることを知っていて、それで私にやらせなかった。

 そう思うと、前より望月優美を疎んじる気持ちが薄くなった。

 それはたぶん、彼女の優しさに心打たれたからじゃない。

 そうまでして人にほんの少しだって嫌われないように徹底する、その臆病なさまを否定することができない部分が自分にあることに気づいてしまったからなんだと思う。

 私は、よく友だちにアメリカ人みたいだと言われる。なんでも白黒つけたがるし、曖昧な言い方やまわりくどい表現は苦手だ。

 自分の主張ははっきりする方だし、人に気を使うあまりに言いたいことを我慢するなんて、ばかげていると思う。

 でも、私も一応女子高生として生きていくにあたって、必要最低限の協調性を持たなきゃならないことくらい知っている。

 それはつまり、自分の言いたいことを我慢して集団に従うことであり、思ってもいないことを言わなきゃならないことであったりする。

 中学時代に、それを学んだ。ちょっと高すぎる授業料を払う形で。

 そんな考えを振り払うように、黒板の白っぽい帯を消し、肩にかかった粉を掃うと、望月優美を振り返る。まだ日誌を書いているところだった。

 「どう?進んでる?」

 私は歩み寄ると、彼女の座る席の前にある椅子に座って、日誌を逆の向きから眺める。半分ほど、細かい文字で埋まっていた。

 「へぇ、字、きれいなんだね」私は、素直に感心した。

 「ありがとう、そんなこと、初めて言われた」望月優美は、そう言いながらもシャーペンをすべらせる手を止めない。

 「いやいや、ほんとだって。もっと自信持ちなって」最後の一言は、余計だったかな、と言ってすぐに思った。タイミング、ちょっと不自然だったし。

 望月優美は書く手を止めると、私を見て笑った。

 「ありがとう、そんなこと、初めて言われた」今まで見たどの笑顔とも違う、本当に嬉しそうな顔だった。

 私は、ちょっと驚いてしまって、

 「それはさっきも聞いたってば」と言って視線をそらした。この子、ちゃんと笑えるんだ。あたりまえのことなのに、未知のものを発見したような高揚感があった。

 でも、彼女の次の一言で、そう思ったことも忘れて唖然としてしまった。

 「私ね、本当のこと言うと、望月さんのこと、ちょっと苦手だった」

 日誌を書くためにうつむいているぶん、望月優美の表情は見えなかった。いや、私が見る勇気がなかっただけなんだけど。

 私の反応にかまわず、彼女は続ける。

 「望月さん、私とまるで正反対のタイプじゃない?同じ名字なのにね。先生たちにとって、私は『ただの望月さん』だし。たぶん、クラスのみんなにとってもそう。あなたは影響力も発言力もある望月さんで、私は『ただの望月さん』。私のこと、フルネームで覚えてくれてる人って、このクラスにどれくらいいるんだろうね」

 何も言うことができない私の様子を知ってか知らずか、彼女は早口に言う。

 「私ね、望月優美っていうの。優しくて、美しいって書くの。笑っちゃうよね。そんないい子に育ってほしいって願望、露骨に出すぎだよね。そんなんだからさ、周りの人みんなが私に非の打ちどころのないいい子になってほしいって思ってるんじゃないかって気になるの。ほんとは、そんなの自意識過剰だってわかってるの。みんな、そんなに私に注目してないしね。でも、ううん、だからこそって言うのかな、私、誰からも認められるいい子になりたかった」

 だからね、と区切ると、私を見て、すごく寂しそうな笑顔で言う。

 「だから私、望月さんが、自然体のくせに、気を使うことなんて大嫌いのくせに、あっさりなじめちゃう望月さんが、羨ましかった」

 私は、しばらく何も言えなかった。人の本音を、初めて聞いた気がして、それにびびってしまったんだと思う。

 でも、わかったことが、一つある。

 そうか、だから私は望月優美が嫌いだったんだ。

 それがわかって、自分の弱点を見つけてしまったような気がした。

 「あのね、私、望月あかりっていうの」

 今度は、彼女が面喰う番だった。私は、続ける。

 「平仮名で、あかり。まわりすべてを照らし出してしまえるような明るい子に育ってほしいからなんだって。そこまで露骨に命名されちゃうと、そうならなきゃいけないような気がしてさ、はりきっちゃった結果が、これ。中学のときはね、勘違いしててさ、自分の我を通してばっかで、気が付くと孤立してたわけ。バカだよね。完全に、はき違えちゃってさ。だから、協調性とか、集団で生きていくために必要なノウハウ持ってる子が、嫌いだった。だって、ずるいじゃない。私はそんなもの、持ってないのにさ」

 望月優美は、ただ目を見開いて私の言葉に聞き入っている。

 「だからね、高校入ってからは、ちょっと我慢することも覚えた。でも、あいかわらず、人の顔色見ることは苦手だった。だから、それを普通にやっちゃう人は嫌いだった。」

 これから先に言うことは、私が中学以来ずっと目を背けてきたことだったけど、言うことにためらいは感じなかった。

 「私、なんだかんだ言って、結局人に好かれたいんだと思う。自分を押し込めることが必要だとわかってても、人と関わりたいって思う。私を見ていてほしいって思う。だから、望月優美、私、あんたのこと嫌いだった」

 私は、彼女の目を、しっかり見て、言う。

 「だって、あなたと私って、すごく似てるんだもん」

 ようやくわかった。

 どうして同じ名字が嫌だったのか。彼女が人の顔色窺うことに腹を立てたのか。

 同じなのだ。私も、彼女も。

 人に嫌われたくない一心で、レッテルをはがすことができない。

 まるで正反対のようでいて、根本は同じ。だからこそ、お互いの持ち物に歪んだ執着を見せてしまうんだろう。

 望月優美は、しばらく何も言わなかった。

 そして、深いため息をつくと、至近距離にいる私がようやく聞きとれるくらいの小さな声で、

 「そうだね」とつぶやいた。

 「私、やっぱりあかりちゃんのこと、苦手」

 「私も。優美のこと苦手」

 私たちはお互い見つめあうと、同時に言った。

 「だから、望月さんってよぶの、やめる」

 そう言って、同時に吹き出した。

 笑いながら、思った。同じことを、たぶん、優美も思っているはずだ。

 今は嫌いでも、先のことはわからない。そして、お互いが嫌いじゃなくなるときは、たぶん、今よりずっと、自分を好きになっているはずだと。

 「さ、行こう。日誌出して、帰ろう」

 私は、まだ書き終わっていないと焦る優美を急かしながら、考える。

 日直の仕事が全部終わったら、優美と自販機に行ってジュースを買おう。それを飲みながら、二人でのんびり帰ろう。

 窓から差し込む茜色の夕焼けは、まだ青い面影を残す空の色には馴染みきれていない。

 でも、そのグラデーションがあまりにも澄み切っていて、見惚れた。

 明日は、きっと晴れる。


いろんなタイプの人がいますが、誰かに好かれたい、見ていてほしいという思いはみんな持っていると思います。感想いただけると嬉しいです。

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