門の向こう側
十歳になった春、王立学院への入学が正式に決まった。
例外規定は、思った以上にあっさり通った。理由は一切表に出なかったが、貴族社会では「公爵家が強く望んだ」という認識で落ち着いたらしい。
事実でもあった。
出立の前夜、屋敷は異様なほど静かだった。
使用人たちは皆、必要以上に動かず、音を立てない。護衛の配置は普段の倍。結界は三重に張られている。
まるで、戦場へ送り出す準備みたいだ、と思った。
俺は自室で、学院指定の制服を眺めていた。
黒を基調とした上着に、家格を示す細い刺繍。耳も尾もない俺の体に、それは少しだけ不釣り合いに見えた。
「……にあわない」
独り言が漏れる。
そのとき、ノックもなく扉が開いた。
公爵だった。
「起きていたか」
「うん」
彼は部屋に入り、扉を閉める。結界が一段階、静かに切り替わるのを感じた。
公爵は俺の前に立ち、制服を一度見てから、視線を俺に戻した。
「怖いか」
少し意外な質問だった。
「……ちょっと」
正直に答える。
「でも、いきたい」
そう言うと、公爵は小さく息を吐いた。
「そう言うと思った」
そして、俺の肩に手を置く。
「学院では、私は常に傍にいられない」
その言葉に、胸がきゅっと縮む。
「だが、忘れるな」
「お前は一人ではない」
ゆっくり、言い聞かせるように。
「名を持ち、家を持ち、守る者がいる」
「それを奪える者はいない」
強い言葉だった。
同時に、どこか祈りにも聞こえた。
翌朝、学院の門は想像以上に大きかった。
白い石造りのアーチ。魔法陣が刻まれ、上空には常に防護結界が張られている。未来ある貴族子弟を守るための、国の象徴。
その前に立った瞬間、視線が集まった。
耳、尾、翼、角――多様な獣人たちの中で、俺だけが違う。
囁き声。
好奇心。
警戒。
そして、値踏み。
「……れおん!」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、アルトが手を振っていた。以前より背が伸び、制服もよく似合っている。
「いっしょだな」
「うん」
それだけで、少し肩の力が抜けた。
入学式は形式的だった。
長い祝辞、規則の読み上げ、学院長の演説。
その途中、壇上から一瞬だけ、視線を感じた。
王族席。
金の装飾に囲まれた席で、若い王子がこちらを見ていた。
興味深そうに。
獲物を見るような目ではなかったが、純粋でもない。
――見られている。
その感覚が、背筋を冷やした。
式が終わり、クラス分けが発表される。
俺とアルトは同じクラスだった。
それを知った瞬間、周囲の空気が微妙に変わる。
辺境伯家と公爵家。
強い家同士が並ぶことで、自然と距離を取る者もいれば、逆に近づこうとする者も出てくる。
「……なあ」
席に着いた直後、前の席の少年が振り返った。
鹿の角を持つ、整った顔立ち。
「人族、だよな?」
一瞬、教室が静まる。
俺は逃げなかった。
「そう」
短く答える。
少年は少しだけ目を細め、それから言った。
「へえ」
「じゃあ、うわさ通りか」
何の噂かは、聞かなくても分かった。
アルトが口を開きかけるのを、俺は小さく手で制した。
大丈夫だ。
これは、避けられない。
――ここが、始まりなんだ。
その日の帰り道、学院の高い塔を見上げながら思った。
この場所で、俺は試される。
人族として。
公爵家の子として。
そして、ただの「レオン」として。
怖い。
でも、不思議と後悔はなかった。
門の向こう側に、もう戻れないとしても。




