荒賀風馬再来
翌日、荒賀風馬が再来したのは若生と奈津と貴美香が午後の茶席を剣道場に設けていた時だった。
その時、若生はふと思い立って弥生に点てらえたお茶を勧めてみた。
弥生は興味なさそうにしばらく眺めていたが、暫くして一口に含んで飲み干した。
クレナイが体を起こして茶碗に鼻を近づけたのは弥生が二口目を付けた時だった。
弥生は茶碗をクレナイに差し出す。
クレナイは長い舌を出しながら残りの茶を舐めとって飲み干したのだった。
「苦いのは嫌いじゃないのでしょうか?」
離れた席からの貴美香だった。
「熊と言うのは雑食で、渋い生栗や山菜なんかも食べるらしいから平気なんじゃないかな」
若生が拙い知識で答えた。
「茶席で熊が茶を堪能するか。他では見られぬ珍景よな。長生きはするものじゃ」
と言いつつ奈津はもう一杯お茶を点て始めた。
「クレナイ用ですか?」
「うぬの姉御用でもある」
「もう一杯点てていただいて宜しいですか?」
「構わぬが?」
「あなたも茶ぐらい飲むのでしょう? 風馬さん」
「薬草を煎じた汁ならば常備してござるが、茶は人を止めて以来でござる」
道場の引き戸を押し開けて風馬が膝をつきながら入ってきた。
奈津等、スレイブより感覚の鋭敏な若生は引き戸の裏で不意に風馬の気配を感じることが出来たのだ。
恐らく風馬は気配をもっと消すことも出来るのだろうが、あえて戸の近くで穏行体制を解いたのだろう。
「お初にお目にかかる。某、荒賀風馬なる忍び崩れ、先日までは山の守り人、今はフリーターと呼ばれるがふさわしい身の眷属にござる」
「結界はどうやって?」
マルリックが侵入を阻む結界を張っていたはずなのだ。
「若生殿に渡した札、変わり身にもなり申す。故に手順を踏めば強固な結界にも道作れ奉る」
「貴美香殿、座布団を」
奈津は新しい茶碗を湯でゆすぎ、茶の準備を始めた。
「あ、はい」
「あいや、お気遣いは御無用にござる。この作務衣、地べたに腰かけ膝つき、更にしばらく洗うてもござらん。床に座ることお許しをいただければ十分にござる」
「この家主の本庄奈津と申す。話には伺っておる。齢500の国産吸血鬼とな?」
「いかにも」
風馬はそれでも床間に正座で座った。
「貴殿の関係者も茶を嗜んでおったところじゃ。一杯いかがかな?」
「かたじけない」
「茶菓子は召されるか? 寒天ならば腹に負担は無しと、そこのヌシ殿で検証済みじゃ」
「お心配りのみ、いただくでござる」
そう言って風馬は前に置かれた茶碗を両手にとり、一息に飲み干した。
「かくも豊かな風味の飲み物でござったか。諸国大名がこぞって好む訳にござるなあ」
「飲まれたことあると言われておったが」
「まったくもって忘れてござった。下忍であった頃、どこぞの家人の残り物をかすめて飲んだのでは、真の味も解せんでござる。」
「武家にかしずいたことなどないと?」
「傭兵、刺客が生業でござったからなあ」
「して用向きはこの熊の監視かえ?」
「いかにも。しかるにその為にはこのお家にしばし居候せねばならぬでござる。まあ、山暮らしの長い身なれば庭の一角にでも場を設けてもらわば雨露寒風ににさらされても構わぬのでご許可願えれば幸いにござる」
「我孫のヌシ殿の負担を半減してもらうためじゃ。左様な扱いはできぬ。ヌシ殿と同じ対屋に空き部屋がある故そこに荷物を運びこむが良かろう」
「身に余る扱いにござるが、外に場を貸していただかなければならぬ理由がござってな。使い魔を二体ほど連れて参ったのでござるが、その一体が土中に固定せねばならぬのでござる」
「なにやら危うきもののようじゃな。その場を動かぬと言うのなら許可しよう」
「命令を出さねば草木と同じゆえ、ご心配にあらず」
「してもう一体はいかなものなのじゃ?」
「か様なものにござる」
風馬が両腕を広げた。
その途端、クレナイが体を起こして唸り声を上げた。
「ぬうっ!?」
若生も只ならぬ妖気に身構えた。
風馬の両脇の下、腕の下側に沿ってから暗幕のような物が道場の両端に向かって広がって行った。
黒、と言うよりそれはこげ茶の毛皮であった。
広がり切った毛皮はザワワと一瞬身震いして直ぐに縮んで風馬の腕から脇にかけて戻っていった。
「ヒムササビ、ムササビの毛皮に呪をかけた使い魔にござる」
「ずいぶん禍々しい気を放っていたけど?」
若生が訊いた。
「本来、付く喪神は式神となるものでござるが、こやつは鬼の血を持って呪を結んでおるため、某専用の魔物となっているのでござる」
「もう一体はどんな使い魔なんですか?」
「双魔と申してな。二対の刃を持つ、あやかしの草にござる。血を与えぬ限り害はござらん」
「人に害をなさぬよう管理するなら許可しよ」
「かたじけない。ここに来る前に考明塾にて話を伺ったのでござるが、冷凍血液なるものを取り扱うておられるとか?」
「いかにも。いくらでもという訳にもまいらぬが、もういく分か余裕はあるゆえ、貴殿の分も用意しよう」
「かたじけない。山野のように獣を狩り血肉をすするという訳にもいかぬでござるからなあ」
「人以外の血でも良いのかえ?」
「吸血衝動は人に対してのみでござるが、栄養補給ならば哺乳類で事足りるでござる。多少部位を選ばねばならんでござるが」
「500年の知恵、借りることも有ろう。今後とも良しなに」
「こちらこそ、良しなに」
奈津と風馬、馬が合うのか合わせているのか、仲たがいするよりはずっと良いと思う若生だった。




