益田四郎時貞
「邪魔をするぞ。総大将殿」
「これまで通り四郎でよしなに」
声も若いが顔も若い美丈夫が上座から返答した。
部屋というより幅の広い廊下のような一室であった。
もちろん窓などない地下である。
「覚悟を決めたか四郎殿」
「今宵十五夜、月の記す基準も容易い」
「飛び鬼でなくても良いのだな?」
「ここより逃亡を企てるなら飛び鬼の血が良いが、敵を屠り続けるならばヘリペラアス殿の血が役立とうぞ」
「では腕を出されよ」
益田四郎時貞は和服の袖をまくって左腕をこちらに向けた。
「ここしばらく、まともに風呂にも入っておらぬ。せめて患部は磨いてござる。許されよ」
「なんの、精気に満ち満ちた臭気。お気に咎めることあらず」
出されたひじの先が目前に引き寄せ、牙を立てる感触と血臭が伝わる。
出血が治まった頃合いで口を離すヘリペラアスと呼ばれたフィル。
「ところで、かの宮本武蔵を退けたそうな?」
「退けたのではない。攻め込まれ良いようにかき回された挙句逃げられたのよ。今頃幕府軍は〔出会い〕までの侵攻策を弄しておろうな」
「再び斥候として見えるか?」
「左の手の甲砕いておいた。彼の者両手を用いて二刀を振るうそうな。暫しは先陣を切ったりはすまい」
「ふむ、然るに想定以上に鬼の数が減った。新たな鬼を手配せねばな」
「手は打っておる。敵の首、味方の首をな、使える胴体に挿げ替えるのよ」
幕府軍は元信者である鬼の首を切り落としては、頭を割って陽に晒すという対策を行っていた。
それに対し、死骸も敵味方問わず回収する指示をフィルは出していた。
「使い物になろうか?」
「そのままではな、砦の上から我の血を挿入させ突き落せば、勝手に暴れ回ってくれるわな」
「阿鼻叫喚になろうな」
クロスブラッドの禁忌については四郎も理解していたようだ。
「幕府軍に真のヘルを見せてくれようぞ」
この時フィルが笑っていたかどうかは定かではないが、益田四郎時貞こと天草四郎は諦めたような表情でこちらを見て頷いた。
「よー、若生」
蓮夏の声が若生のロード・フィルの記憶再生を打ち消した。
「夕飯はカレーか?」
確かめるまでもなく調理中の匂いから判ってはいたが聞いてみた。
「あー、カレーだな」
「悪い、続かねえ話題振っちまったな」
「でもねーよ。今まで聞いたことなかったけど、吸血鬼がメシ食ったらどーなるんだ?」
「水気の多いものなら消化されないで出てくる。下痢だな」
「そりゃー、きつい下り方なのかー?」
「きつくはないが、かなり早い勢いで下ってくるから、食ったら小一時間はトイレから離れられねえなあ」
「乾きもんを食ったらどーなるんだ?」
「気分が悪くなる。吐きたくても吐き出せないってやつだな」
「そりゃ治るのか?」
「水がぶ飲みすればな」
「その後はトイレに直行か?」
「ああ、上から吐く方が多いがな」
「やっぱ、一緒に飯付き合えってのは無理か」
「なんだ、誘ってくれるのか? 飲み会なんかどうだ?」
「酒なんか婆あが許さねーよ」
「ノンアルコールでジュースで乾杯とか? あー、なんつったかな、お茶会でもいいんじゃね?」
「盛り上がらねーなー」
「盛り上げる必要はないんだ。静かにダベって静かに解散するんだ。あの面々なら話題に事欠かくことはないだろう」
「話題に事欠かねーのは確かだが、静かにってのはぜってー無理!」
「それもやってみれば分かる。明日の夕食後ここに集合って事でどう?」
「特に異論もねー。適当にドリンク持ち込んでくりゃいいんだな?」
「基本、自由参加でな。ところで桐谷先輩は?」
「皿洗いしてるぜ」
「意外に協調性あるんだな」
「褒めても頭に乗るだけだぜ。聞かせんなよ」
「大丈夫。まだ聞かれてない。ここからは聞かれるかもだけどな」
若生がそう言った直後、桐谷が顔を出した。
若生には桐谷がこちらに歩いてきていたのが聞き取れていたらしい。
「よー、交代すっかー?」
「はい、対屋ってどんな間取りでしたか?」
「あー、結構広かったぜ。和室が三部屋の3LDK」
「バストイレ付ぃー」
蓮夏が続ける。
「俺、手前の部屋入ったからー」
「じゃあ、隣の部屋使おっかな?」
若生は自分の旅行バッグを持って剣道場を出て、すぐに振り返った。
「すぐに戻るけど、喧嘩してたら怒るからね」
蓮夏と桐谷は互いに気まずそうに顔を合わせて、次にそっぽを向いた。
対屋に入る前に母屋の方を振り返る。
両方の造りも平屋で二階はない。
広い敷地を有効に使った木造建築だった。
玄関から入った廊下から襖が三対同じ間隔で続いている。
真ん中の襖を空けて和室を伺い、若生はここで良いかと思いながら荷物を置き、先ほどのフラッシュバックを振り返ってみる。
まだ二回だが、明らかにあれは連続性を持ち始めている。
今までのランダムに脈絡もなく浮かんでいたロード・フィルの記憶とは違っていた。
今までとは違って何を見たのかも思い出せる。
はっきりと記憶の説明もできる。
思い当たることはあった。
今までと違い、会話が日本語だったからだ。
しかも、登場人物の中に現存する知人まで存在し、似かより過ぎる人物もいるのだ。
このまま、記憶の再生を繰り返していていいものかという疑問を若生は抱え始めていた。
記憶量の割合は元の若生のものに比べて圧倒的にフィルのものが多い。
このままでは自分はフィルの記憶の影響を受けてしまうことになるだろう。
最悪、人格が記憶に乗っ取られるか、分裂してしまうこともありうる。
しかし、なんともフィルの刺激的で武勇に満ち満ちた記憶であろうか?
舞台は島原の乱。
対象は彼の宮本武蔵と天草四郎なのだ。
恐らくは最強であろう武士が自分に望んでくるかの如くの臨場を体感できるのだ。
謎に満ちたあのミステリアスな人物が目の前で語るのだ。
若生が追憶を拒むには余りにも魅力に満ちたフィルの記憶だった。




