本庄家での会合
本庄家の本宅での集合は午後8時に近くなってからだった。
まず、若生と七緒は本庄奈津に面会を求め、通されたのは20畳ほどの和室の板間であった。
学校の教室の半分ほどの広さで、天井がかなり高い造りになっていた。
「ここは剣道場だったの」
七尾が独り言のように言った。
「今も道場じゃ。もっともここ最近は誰も使こうてはおらなんだがな」
遅れて入ってきた奈津が七尾の言葉を補足した。
奈津は紺色の作務衣を着ていた。
「お体の調子はいかがでしょうか?」
奈津の体調の診断は七緒の責任でもある。
「中々によろしい。腹水がのうなって寝起きが自由になってからは手足も復調しておる」
そう言って奈津は壁に横掛けされていた木刀を手に取った。
「まだ、無理はなさらぬよう」
「振るうとすっぽ抜けてしまいそうじゃの」
言うやいなや奈津は若生に向けて木刀を振るい投げつけた。
若生は顔面に切っ先を向けて飛んできた木刀を掴み取った。
「やはり、尋常でない技量を持っておるようだの?」
と言って奈津はもう一本の木刀を手に取った。
「刀自様!」
「止めるかえ? 七緒」
「止めなくていいよ、七緒先生。付き合うだけだから」
片手に握った木刀を横に垂らしたまま前に、奈津の方に一歩出た。
その瞬間奈津が動いた。
素早い動きではない。
日本舞踊のような緩い動きで若生に迫り右から左に木刀を横薙ぎに振るった。
奈津の切っ先は若生の胴の死角に潜り込む直前に加速して打撃を与えるかに見えたが若生は何とかかわしきった。
「余裕じゃの?」
しかし、若生にとっては余裕どころではなかった。
一昨日、桐谷翔太の格闘技を体験していなかったら確実にわき腹に強烈な打撃を受けていたはずであった。
一撃目と二撃目の変化でヒットさせる桐谷の攻撃パターンとは違ったが、緩い動きと見せかけて死角に入ってからの鋭い変化は何処か共通するものがあった。
攻めてみるか?
桐谷の時は守りに入って失敗した。
今度は怪我をさせないように攻めてみよう。
若生は正面に木刀を向けて構えた。
奈津がにいっと笑いながら正面から迫った。
若生の木刀に奈津の木刀が触れる寸前ひるがえり、若生の右の指二本が砕かれた。
剣道の籠手、しかし奈津が打ってきたのは手首ではなく先の人差し指中指の二本だった。
鍔のない木刀が仇となったダメージである。
しかし若生はその痛みにはかまわず奈津に肉迫し、木刀を打ち合わせたまま後ろ首に右腕を回した。
若生はそのままの勢いで奈津の後ろの壁にぶつかっていった。
強打したのは若生の右腕だけのはずだ。
若生は左でつかんでいた木刀を離して、自分の指の砕けた右腕の手首をつかみ奈津を引き寄せた。
そして、唇を合わせる。
「う」
奈津が息を吸おうとしてもがいた。
「むうっ」
奈津が息を吐こうとして顔を振ろうとした。
若生はやっと唇を離し、奈津の持っていた木刀を左手でつかんで首に回していた右腕を解いた。
「かはあっ!」
奈津は殆ど同時に肺の吸排気を行った。
「おのれ、何ということを・・・」
と言って咳き込んだ。
「ぜええい、七緒! うぬはどういう教育を施しておるのじゃ!?」
咳を我慢しながら奈津は七緒を睨んだ。
「こ、これはその・・・」
「あんたの孫の仕込みだよ。これは」
若生は右の折れた指を引き伸ばし形を整えながら奈津に言ってやった。
「あんたらこそ、あいつにどういう教育してきたんだ?」
「だまらっしゃい!」
「だまんねえよ! スレイブや眷属になりたいなんて思うようになる育て方するんじゃねえよ!」
奈津が言葉を詰まらせたように見えたのは間違いない。
「あんたの息子と嫁なんだよな。育てたの」
「娘と婿じゃ。最も婿が家を出てからはわしと娘の温子とで育てたのじゃが」
若生の放った言葉は思いの外奈津には応えたようだった。
そうか、蓮夏には父親がいないようなものだったのか。
「ああ、まあ、家庭の事情に首突っ込んだのは悪かったよ」
「謝るのはそこではなく、スレイブの件でしょう?」
七緒がやっとで口を挿んできた。
「いや、謝るべきは、それを今の今まで黙っておったことじゃ。わしがスレイブとなったならば一目蓮夏を見らば判るゆえそのまま捨て置くつもりであったか?」
「いえ、それは――」
「俺がほっとけっつったんだよ! まだバレてねえから藪蛇なことすんなっつってよ」
若生の言い訳を阻んだのはいつものジャージではなく中央高校の制服を着た本庄蓮夏だった。
「言っとくが最初はスレイブとか眷属とか抜きにして血だけ与えるつもりだったんだからな」
と言って床間に入り込んで胡坐をかいて座り込んだ。
「このザマは事故みてーなもんだ」
「たわけ! 左様な言い訳を認めることが出来ようか? 宗家存続の危機なるぞ!」
「はっ! あんたが眷属になりゃ全部解決じゃねーか? むしろ100年単位の未来で本庄家は繁栄だぜー」
「やめろ蓮夏! 吸血鬼の生き様なんて綱渡りみたいなもんだ。スレイブより長生きできる保証なんてないんだ」
「ちっ、テメーが言うと説得力あるよなー」
「問題はそこじゃ。聞けば、うぬは他の吸血鬼の恨みを買っておるようじゃな?」
「その問題から派生した危険が迫ってきたという報告が今日の訪問の主旨なのです」
七緒はようやく口調が整いつつあった。
「先日若生が倒したロード・フィルという吸血鬼の配下の眷属が襲撃してくる可能性が出てまいりました。警戒する体制を我らと連携していただきたく、はせ参じた次第です」
「言わぬ事ではない!」
「そいつはフィルに比べりゃ大したことはねー。ビビんじゃねーよ」
「いや、だからこそ厄介なんだ。恐らく直接俺を狙わずにスレイブを狙う可能性が高い」
「具体的には若生のスレイブおよび関係者をここに囲い、迎撃態勢を敷かせて頂きたいと思います」
「この屋敷は太平洋戦争時米軍の内地侵略を迎え撃つ想定をして土地選定したものよ。当時の防空壕も残してある。しかし、ここで事を構えようとは良い度胸じゃの七緒?」
「先生の案じゃない。俺の思い付きだ。周囲の塀から一定に距離があるこの屋敷なら結界を幾重にも張ることが出来ると思ったんだ」
「そしてスレイブを餌にその眷属を釣るか?」
「逆だ。あんた達を結界内に隠して俺達吸血鬼が囮になる。リタ・ギオレンティーノという吸血鬼は他の吸血鬼を索敵する能力を持つ。スレイブや関係者から距離おいた方が安全なんだ」
若生の案に奈津はしばらく考えて答えを出した。
「よかろう。好きにするが良い。七緒、わしの寝室にきてくれ」
「かしこまりました。では若生君、蓮夏たちのこと、よろしくね」
「ガレージを借りるぜ」
七緒と奈津が道場を出る前に蓮夏が声をかけた。
「刀自様! あの、色々、すみませんでした」
一応のようでどうかなとも思ったが、忘れないうちに若生は謝っておいた。




