僕と彼女の奴隷生活
この物語は、「僕と少女の奴隷生活」の前日譚になります。この作品だけでも楽しめますが、この後に「僕と少女の奴隷生活」を読んでいただけると、より楽しめます
──これは、"僕"が「僕」になる前の物語。
失ったもの。
通りすぎていくもの。
変えられないもの。
たくさん見せられて──思い知らされた。
終わりの見えない時間を、ただひたすら。
苦悩と苦痛──耳を裂く程の痛みと共に。
奪われてきた。
踏み潰されてきた。
大切なものを、全部。
だから「僕」は心に決めた。
全てから目を向けて──ずっと流され続けていることを。
眼前で激しく燃え盛る炎。
鼻腔に否応なく侵入する、煙の匂い。
そして、自分の背後で愉快げに笑う男の声。
それが、一番古く残った記憶。
僕達の運命を告げた────始まりの日。
ゆっくりと目を開けて、体を起こした。
どれくらい意識を失っていたのだろう。
いつも通り、窓も何もない真っ白な部屋の片隅に、ぼろ雑巾のように放り出されていた。
ここは、ある富豪の屋敷。
僕と妹は────もう何年も、この屋敷で飼われている。
「わしがお前らを親から買った。今日から、お前たちの飼い主だ」
燃え広がり、崩れていく家だったもの。
煌々と燃え盛る炎を呆然と見つめる僕と妹に、男がひどく醜悪な笑みを向けた。
「安心しろ。睡眠も食事も不自由はしない。お前らの両親に代わって、きちんと面倒をみてやるからな」
嘘と欲望にまみれた、不快な笑顔。
僕と妹はその男に連れられて──。
「────」
無限とも思える、暴力を受け続けていた。
引き取られた日から、一日も欠かさず──ずっと。
目をくり貫かれ、腕をへし折られて。
踏みつけられて、手足を潰されて。
燃える炎の中に蹴り落とされて、全身を余すところなく切り刻まれた。
今日も僕らは悲鳴をあげる。
泣いて喚いて、許しを乞う。
それを聞いて男はこの上なく楽しそうに──喜悦の笑みを浮かべるのだ。
この屋敷には、お抱えの治療術師が何人もいて、どんな怪我もたちどころに治せてしまう。
だから彼らは加減などしない。
躊躇なく腕を振るい、体に刃物を突き立てる。
僕と妹は、互いに目の前で暴力に晒される。
妹に手を伸ばせばその腕は踏みつけられて。
妹に呼び掛ければ、口内にナイフを突っ込まれて喉笛まで切り裂かれた。
呼吸にもならない、出来損ないの息を吐き出す血塗れの僕に浴びせられるのは嘲笑だ。
無様な姿、襤褸屑、奴隷に似合いの姿────。
そんな言葉と共に、意識は暗転していく。
そして、全てが治療された状態でいつの間にか部屋に戻されている。
この生活を、何年続けたか分からない。
度重なるストレスのせいか、記憶の欠損が酷く──思い出していることが、いつのものなのか分からない。
自分はこれから、どうなるのだろう。
人権などとっくに奪われ、見世物として飼われ続けて。
死んでいないだけで、生きているわけではないこの状況で。
僕はいったい、どうするべきなのだろう。
考えるだけで、頭が割れるように痛む。
長い間暴力に晒され、思考を放棄した出来損ないの脳味噌は、物考えようとすると頭痛が生じるようになった。
逃げようとしたことも、あった気がする。
それでも今、ここにいるということは、逃げられなかったのだろう。
停滞しきった思考は何の役にも立たなくて、ただ眼前の現実を享受するだけだった。
「……ノエル……」
妹の名前を口にする。
両親を失った僕に残された、たった一人の大切な肉親。
笑顔の素敵な、優しい妹。
花畑が大好きで、よく花冠を作っては、僕にプレゼントしてくれた。
アンスリウムの花言葉は情熱なんですって──お兄様にぴったりね、なんて笑ってた。
ああ──愛しい愛しい妹ノエル。
どんなに記憶が欠けたとしても、失うことのできない名前。
自分はどうなってもいい。
だからどうか、彼女だけは──。
「───」
視界が不確かに、ゆっくりと闇に溶けていく。
眼前の現実は黒く、黒く塗りつぶされて。
全てを投げ出すようにして、微睡みに閉ざされた。
この数日、食べ物を口に入れていない。
ある日から突然、食事が一切出なくなった。
空腹がひどい。
喉の渇きがひどい。
餓死すれば、この苦悶から解放されるだろうか。
そんなことを考えて、小さな笑いが溢れた。
「…………え?」
眼前に深皿が置かれた。
その中には、赤い色のスープ。
様々な野菜と、見たことのない肉が浮いている。
「食事だ。ご主人様からお前に飯を食わせていいと命令が出たんでな。喜んで食べるといい」
その男は、にやにやと楽しそうな笑みを浮かべている。
眼前のスープと、僕。
その2つに視線をやりながら──この上なく楽しそうに。
──どくん。
心臓が高鳴った。
だめだ。
これは、だめだ。
分からないけど、何かが、致命的に。
──どくん。
心臓が高鳴った。
予感がする。
確信がある。
これは、僕を壊すものだと。
──どくん。
心臓が高鳴って。
「よく味わって食えよ? お前の大切な大切な──妹の肉が入ったスープをな」
自分が動く前に、複数人の黒服に取り抑えられ、四肢の自由を奪われた。
「ここ数日何も食べてないんだ。そろそろ限界だろう?遠慮はいらん、たくさん食べるといい」
口の中に流し込まれる。
口も鼻も全部塞がれて、吐き出すことも許されずに。
「ぐ、ぶ──う、ぅ──」
咀嚼を、させられる。
嚥下を、させられる。
否応なく、させられている。
流れ込んでいく──何が?
僕は、何を食べさせられている?
分からないものが胃を圧迫する。
勧笑、嬉笑、哄笑、嘲笑、毀笑、軽笑、絶笑、放笑。
注がれているのは、あらゆる嘲りの笑い声。
亀裂が走る。
妹の、姿。
亀裂が、走る。
妹の、声。
亀裂が、走、る。
妹の、顔。
「────あ、れ」
砕けて、割れた。
取り返しのつかないものがたった今、僕の中から消えていった。
何だろう。
何か、何かとても大切なものが。
分からない。
僕は、一体、何を。
何を、忘れてしまったんだろう
────。
思考に靄が広がっている。
何も分からない。
分からなくて。
分からないから。
「ノエ……ル……?」
閉じていく意識の中で、無意識のうちに呟いていた、それが。
何を意味をする言葉か──僕には分からなかった。
兄妹愛を書いているから、これは兄×妹(キリッ