無機有機 前編
空がオレンジから藍に色を変える頃。古い電灯が無機質に照らす、下町の中華料理屋にて。黒いスーツの2人組が会話をしていた。その内、年季の入った赤いテーブルに、黒いお盆を持った女性の店員が料理を運んでくる。彼女の首にはバーコードが刻まれていた。
『お待たせしました!』
『ご注文の品です!』
「ん、あざーす」
『ごゆっくりどうぞ!』
「はいはーい」
「…なんか世も末ってか、皮肉だね」
「ん?何がすか?」
「何でもなーい」
「はいそっちの」
「ありがと」
「あ、チャーハン分けたげるから
ギョーザ1個ちょうだい」
「えぇ?食べたいなら頼みゃよかったのに」
「どうせ君はあんま食べられないでしょ、
これは親切心で言ってんの」
「いやもうモジュール交換したから
いっぱい食べれますって」
「えー2個もくれるのありがとー」
「もう聞いてないじゃん…ったく」
「いただきます」「まーす」
黒髪の背が低い方はチャーハン、白髪の背が高い方はラーメンとギョーザ。蛍光灯の寒色光の下でも、料理は美味しそうに湯気を纏っている。それも慣れた様に食べ始めた2人は先程の続きを話す。
「で次は?」
「ん?」
「いや次はって」
「うん」
「うんじゃなくて」
「いははへへる」
「早く飲み込んで下さい」
「ぅ、ん」「…はい、何だっけ」
「次はどんなのやるんすかって」
「うん?」
「だからぁ…」
「また変なご依頼来てんでしょ?
次は何処でどんなお仕事なんですかって」
「あーね」
「さっきからずっと聞いてんすけど」
「うん知ってる」
瞳孔が僅かにキュル、と動く音がする。だが発せられた質問にさらりと答え、黒髪は再びチャーハンをすくって口に運ぶ。それを遮って白髪は問い詰めた。
「ってちょちょちょ」
「何」
「聞いてるでしょ、答えて下さいよ」
「何に?」
「だから次は」
「まずは」
「食べ終わってからね」
「…はぁい」
この話をしたくないのか?とぼけるように無理矢理話を終わらせて、彼はチャーハンをもぐもぐ咀嚼する。もうこれ以上聞くのもバカらしくなって、ため息を1つしてから白髪はギョーザの皿に箸を伸ばす。
「あ」
ギョーザが2つあったはずの所に、チャーハンがちょびっとだけ乗せられていた。
……………
2人とも食べ終わって、会計を済ませて、無言で店を出た。お代は何故か黒髪が全部払ってくれたし、最後まで白髪は口を挟む暇も無く、後ろを急いで着いていくしか出来なかった。
目を合わせようとしない彼は、早歩き気味で夜道を進んでいく。だが彼より背の高く脚の長い自分は、数歩でその隣に追い付いた。
「なんで全部払っちゃうんすか」
「払いたかったの?」
「出費かさんだし極力払いたくはないです」
「じゃあ良いじゃん」
「そうだけど…いや話したいのはそこじゃなくて」
「どうして内容教えてくれないんすか」
先程までは取り繕って会話してくれていたのに、疑問を正面からぶつけた瞬間、彼の口は不自然にピタリと動きを止める。そしてただでさえ普段から身軽な彼の、その早歩きが少し早くなる。だが構わず白髪は横に付いて歩き続けながら、俯き気味の黒髪を見つめた。
「いつもは一緒に仕事出ても、
俺にほとんど丸投げするくらいなのに」
「さっきのは調べる事すらさせてくんなかったし」
「午前の仕事は実際丸投げだったじゃん」
「ねぇ、なんで?」
「……」
「…え、あの…?」
「……」
いつもの様に彼への文句を言っても、返ってくるはずの言い訳が聞こえない。見知った彼の知らない対応。普段の軽口を叩き合えるような関係の黒髪とは別人の様に感じて、なんだか調子が狂ってしまう。
「…え、俺なんかしました?」
「……」
「なんかして…ない、か」
「えぇ…じゃあまさか」
「俺が機械だか「違う」
遮るように黒髪が言い放った。自虐的に軽く言ったつもりだったのでどきっとする己以前に、そんな彼自身も両目を僅かに見開いている。そのまま小さなため息を一つこぼして、少し小声気味で彼は続ける。
「機械ったって
君はただのヒューマノイドじゃないでしょ」
「素晴らしい特性が君にはあるんだから、でも」
「…だからこそ言えない」
「君には感情があるから、
人間みたいに、感情が分かるんだからさ」
「今回の仕事は…来てほしくない」
「ごめんね」
既に先程から彼の行動の意味は分からないが、さらに意味の分からない謝罪がぽつりと呟かれる。言い返したくても、口がぱくぱくと動くだけで音声が出ない。この言葉にどんな返答をしたら良いのか余計に分からなかった。2人に似合わない沈黙が流れて数秒、黒髪がそれを破った。
「じゃ、」
「今日はもういいから」
「本部に今朝の分の報告だけして帰って」
「ぁ」「はい」
……………
今やこの世界には、人間と同じ数と言っても過言では無いほど機械が存在する。俺はその内の一つの、人間を模したヒューマノイドに”過ぎなかった”。
出荷されて早々、俺は改造された。
違法的に倫理プログラム?とか言うのを書き込まれて、感情に近いものと自我を持つようになった初めてのヒューマノイドは、観察と称して外に放り出された。それも豪雨の中に、出荷時の服のまんま。
その時の俺は、本物の自我を得られたとは言えその分の経験値が無かった。倫理プログラムが膨大だった為に、元々備え付けてあったデータをほとんど消されてたから。今になって考えると、多分その犯人にとって俺は失敗作だったのだろう。あの仕打ちはほぼ処分のようなものだった。
そんな、目的も無く存在意義も無い、ただ雨に打たれる赤子も同然の鉄塊に手を差し伸べたのが、
「どしたの君」
白いはずのシャツを、雨水と何かで真っ赤に濡らしたあの黒髪だった。
……………
「…なんで血塗れだったんだろうな」
ふと、そんな昔のデータが蘇る。言われた通り報告もして、帰りの車を出そうと運転席に座った瞬間に。おかしいな、なぜ今この時に、こんな昔の事を思い出したんだろうか。
そう言えば、今日はおかしい事が多い。特に黒髪だ。飯は払わせない、情報は共有しない、いつものへらへらしたポーカーフェイスを崩す、というかそもそも…挙げだしたらキリがない。どれも普段とは真逆のらしくない事。
「……」
今の曇りの天気の様に、灰色で先の見通せないざわめきが頭の中を包む。これが嫌な予感ってやつだろうか。
白髪は内部モジュールから、本部の依頼データ一覧にアクセスする。車のラジオから流れる天気予報は、あの日のようなゲリラ豪雨が来る事を知らせていた。
……………
「もう家に着いてるか」
ふと白髪のあいつを思い出しながら、仕事用の黒い手袋を纏う。そのままスマホを出して、本来なら2人で手配されていた今日最後の依頼概要を再確認した。
僕は元孤児、彼は違法ロボ…社会での立場が特殊である自分達が受けているのは、所謂明るくない仕事だ。侵入調査や情報の抜き取りなど、危険性から報酬が弾むものがほとんど。だがそんな中に、彼には教えていないものがある。
今回の仕事でもあるそれは、殺し。白髪を引き取る前からの、一番長く、そして多くやっている大嫌いな仕事。彼の為もあって近頃は全て断っていたが、金がそろそろ限界だったのと、ある理由があって受けた。それは、ターゲットだ。
これに関しては、言ってしまえば私情が9割にあたる。そいつはなんと偶然、ヒューマノイドの彼に自我と感情を与えた張本人だった。そのエンジニアは彼の違法的な改造の他にも悪さをしていたが、警戒心が強いやらでずっと捕まっていなかったらしい。そいつを急病に見せかけ殺すのが今回の依頼だった。
正直、彼には申し訳無さもある。依頼を受けて復讐を果たすか、依頼を受けないで過去と決別するか…彼自身が選択すべき大切な事であろうはずなのに、勝手に決めてしまった。『感情があるから』とか屁理屈を言ってまで。感情があるのは…復讐を果たしたいと思うのは、それこそ人間の僕だというのに、皮肉な事だ。
途中から強い雨も降ってきて、コンビニで買った傘を開き、うだうだと考えを巡らして進む内に、黒髪はいつの間にか目的地に着く。現在の潜伏地にターゲットが帰る際、必ず通る道だ。事前情報の服装、背丈、動きの癖…傘をさしていて顔は見つけにくかったが、すぐにそいつは見つかった。すると、
もう1人の自分が身体を支配した。
己の瞳の光と、足音と、気配と、頭の無駄な思考が自然と消える。
世界の全ての動き、雨粒までもが途轍もなく遅くなる。
傘を深くして顔を隠し、すれ違う人々に溶け込みながら、呑気に歩く奴に焦点を合わせて近づいていく。
腰の辺りに隠した、毒入りの注射器を取り出す。
意識せずともいつもの一番刺しやすい待ち方で、手がそれを構える。
そして丁度すれ違う真横で、奴が一番大きな水溜りをぱしゃ、と踏む。
その瞬間、音と同時に、
手が注射器を奴の腕に、
刺し
刺
さし
刺せない
どころか
手にあったはずの注射器が
「言ってよ」
真っ白の頭の中に
聞き間違えるはずのない声が響いて
気付いた時には目の前で
白髪の彼が、奴に真正面から抱きついていた。