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7.常軌を逸した夫

 何故茉央は、泊まりもせずに夜行バスでとんぼ返りなどという強行軍を敢行したのか。

 折角奏一郎の目の届かないところでTAKUYAとふたりきりの夜を過ごすことが出来ただろうに、その貴重な機会をわざわざ潰してまで朝一で帰宅したのには、何か理由があるのか。

 そんなことを悶々と考えながら、奏一郎は旅行鞄の中身を引っ張り出して、次々と片付けてゆく美貌の妻のせわしない姿をぼんやりと眺めていた。


「いきなり夜行やなんて、しんどくなかったか?」

「うん、流石にちょっと疲れたけど、でもそんなこといってられなくて」


 奏一郎の問いかけに対し、茉央は機嫌良さそうに笑みを返した。

 TAKUYAとの一夜を諦めてまで戻ってきたのには、何か重要な理由がある筈だ。

 それは一体何なのか――借りた漫画を読む体を装いながら、奏一郎はひたすら考えに考え、そしてひとつの推測に辿り着いた。


(俺が茉央の浮気に気付いていることに、茉央も勘づいたってか……?)


 だから慌てて引き返してきて、奏一郎が抱いている疑念を何とか誤魔化そうという魂胆か。

 どういう経緯でこちらの意図が漏れたのか一切不明だが、しかしそう考えれば全てに合点がゆく。

 茉央は、自分が浮気などしていないアピールを示すことで、奏一郎からの疑惑の視線を逸らそうという策に出たのだろう。


(流石、オンナは女優……いい得て妙やな)


 そうまでして、TAKUYAとの関係を隠したいのか。そうすることが、茉央にとっては都合が良いのか。

 普通の男ならばもっと早い段階で詰め寄って、妻の口を割らせようとするだろうが、奏一郎はそうはしなかった。

 彼にとっての最優先事項は茉央を傷つけず、そして彼女が幸せに過ごすこと、だ。

 例え茉央の浮気によって奏一郎自身が傷つこうとも、それは些細な問題に過ぎない。茉央さえ幸せで居てくれれば、自分が浮気され、捨てられることなどさしたる問題ではない。

 であれば、茉央のこの必死の誤魔化し作戦にも乗ってやるべきだろう。

 彼女の努力が実を結んだと茉央自身に思い込ませることが出来れば、それが茉央にとっての幸せに繋がる。


(エエよ。俺は茉央に騙され続けるピエロで()ろうやないか……それがお前の望みなら、なんぼでも道化に徹したるよ。その代わり、しっかり幸せになってくれよ)


 奏一郎は改めて腹を括った。

 これから先は茉央が幸せを掴む為のTAKUYAへの当て馬、噛ませ犬になろう。

 普通、こんな考え方は異常だと思われるだろう。精神が破綻していると見なされてもおかしくはない。だがそれでも構わない。

 奏一郎にとっては、茉央が全てだった。


「ふぅ~、やぁっと片付いた……あ、で、ねぇねぇ、奏さん。今日、時間ある?」


 ひと段落ついたところで、茉央がソファーの隣にぴょこんと勢い良く座り込んできた。

 一体何事かと小首を傾げる奏一郎に、彼女はどこぞのチラシを取り出して自身の豊満な胸の前で掲げた。


「じゃーん……ねぇ、この限定コラボカフェ、行かない?」

「お……それ、黄金の撃鉄の?」


 茉央から手渡されたカラフルなチラシを、じぃっと凝視した奏一郎。

 どうやら今日が最終日らしい。


「ホントはね、わたしひとりで行こっかなって思ってたんだけど、何っていうか、ちょっとおひとり様は微妙にハードルが高くって……でも奏さんと一緒なら、行けそうかなって気がしててね」


 成程――奏一郎は内心で苦笑を漏らした。

 ひとりで行くなんていいながら、実はTAKUYAと一緒に行く為の予行演習なのだろう。

 このチラシによれば、来月に別の地域で同様のコラボカフェが開催されることになっている。きっとTAKUYAとは、次の機会を待って一緒に行くつもりであるのに違いない。

 だがその前に、まずは奏一郎を使ってどの程度のレベルなのか、わざわざ足を運ぶだけの価値があるのかどうかを見極めようという訳か。

 TAKUYAと一発勝負に出て、もしも大外れしてしまったら何かと気まずくなるから、まずは浮気にすら気付いていない夫を騙して、先行調査しておこうという作戦らしい。


(エエよ、乗ったる……それで茉央が楽しいんならな)


 自分から大切な妻を奪おうとしている男の為に一肌脱ぐなど、常軌を逸していると思われるだろう。

 それでも奏一郎は、首を縦に振った。

 憎き間男よりも、目の前の愛すべき妻の幸せの方が遥かに重要だ。奏一郎自身の心が如何にずたずたに切り裂かれようとも、茉央さえ笑顔で居てくれればそれで良い。


「こらぁ、是非行っとかなぁあかんな。茉央が行けるタイミングになったら、早速顔出してみよか」

「やった……ありがと! じゃ、すぐ準備するから!」


 茉央の美貌が、一気に華やかな笑みに彩られた。

 そうして彼女は、弾ける様な勢いでバスルームに飛び込んだ。シャワーを浴びたら、すぐにでも出かけるつもりだろう。

 本当に嬉しそうだ。見ていて気持ちが良い程に。


◆ ◇ ◆


 それから小一時間後、ふたりは駅近のコンセプトカフェへと足を運んでいた。

 店内に一歩足を踏み入れると、黄金の撃鉄の世界観をそのまま再現した様な雰囲気の内装がふたりを出迎え、キャストらも登場人物に扮した姿で決め台詞を交えながら挨拶してくれた。


「わぁ~……すっごい本格的ぃ~」


 奏一郎の腕にしがみついて嬌声を上げている茉央は、心底楽しそうに店内をぐるりと見渡している。


「うん、こらぁマジで凄いな。あっちこっちに、ファンなら絶対分かるやろうってな小ネタが仕込んであるのもエエ感じやがな」


 茉央の良妻偽装に敢えて騙された体で付き合っただけなのだが、これなら案外楽しめそうだ。

 TAKUYAの為の予行演習とは分かっていても、茉央とこうして久々にデート出来たのだから、そこはもう純粋にこの時間を満喫すれば良いだろう。

 そして今日の記憶もまた、ひとつの思い出にすれば良い。

 茉央と別れた後に、こんなこともあったなと過去を振り返ることが出来れば、それだけで万々歳だろう。


「ね、奏さん、何、注文する? ふたりでさ、なるべく沢山、特典貰える様に戦略立てなくちゃ」


 うっきうきの笑顔でメニューを広げる茉央。

 こんなにも楽しそうに、こんなにも幸せそうにしているのに、これが全て演技なのか。

 そう考えると再び悲しみや悔しさが込み上げてきたが、しかし奏一郎は笑顔に徹した。

 今、自分が負の感情を抱えていることを茉央に悟られてはならない。

 彼女にはただひたすら幸せに、今の時間を楽しんで貰いたかった。

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