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ジャズイール第六皇子〈1〉

 天井こそ高いが、壁面まで含めても装飾の類はほとんど何もない。謁見の間と呼ぶにはいささか殺風景な空間だ。

 ニルバド皇国の紋章である三つ首を持つ黄金の蛇のみ、謁見を許された者の目に嫌でも入るよう上部に掲げられている。


 ジャズイール第六皇子にとって、この要塞都市ターシュカでそれほど長く腰を据えるつもりはないのかもしれない。あくまで進軍のための拠点であり、通過点。

 そんなところにも交易拡大を望んでいたテスレウとの見解の違いが垣間見える。


 まだ姿を見せない要塞の主を待ちながら、レンはそんなことを考えていた。マルコは随分と離れた位置で控えており、視線を交わすのも難しい。

 それから程なくしてジャズイールが現れる。


「おまえが噂の〈遠見〉か。ドレスの似合わぬ貧相な女だな」


 いきなり尊大に言い放ち、三段上に据えられた椅子へどかっと腰掛けた。

 大国の皇子でありながら礼儀作法などあったものではないが、なぜかその粗野な動作に優美さは失われていない。


 彼の外見はかつてサラが形容した通りの人物であった。

 長身痩躯に灰色の髪、褐色の肌。何より美しい男だ。

 けれどもその美しさは見惚れる類のものではなく、恐ろしくて目を逸らしてしまうといった方が実感に近い。


 膝をつき、レンは深々と頭を下げる。


「お目にかかれて光栄です、ジャズイール殿下」


 さらに挨拶を淀みなく続けようとした。


「殿下の名声はヴァレリアにおいても──」


「つまらぬ美辞麗句の類はそこまでにしよう。聞くに堪えん」


 背もたれに体を預けて、気怠さを隠そうともしないジャズイールによって射竦められてしまう。

 早くも機嫌を損ねてしまったか、と体を強張らせたレンだったが、意外にもここでジャズイールが身を乗り出してきた。


「さっそくおまえに問うてみたいことがある。ヴァレリアが誇る〈遠見〉とは、いったいどういう者たちなのだ」


 当人の口から聞いてみたかった、と興味深そうに彼は告げる。


「ご所望ならば」


 すぐさまそう答えたレンだったが、頭の中では忙しなくジャズイール第六皇子の人物像について修正をかけていた。

 闘争を好む面に注目しがちだったが、そればかりではなさそうだ。


 合理的であるかどうかに重きを置き、無駄を好まない。王侯貴族によく見られる傾向とは真逆を行く男のようだ。色気のないこの謁見の間や、挨拶を嫌う今のやりとりがレンの推測を充分に裏打ちしてくれていた。


 レンは先代〈遠見〉であるサラから聞かされた知識と体験を総動員し、さも自らが身をもって経験してきた事柄であるかのように述べていく。


「ほう、ほうほう」


 幸いにしてジャズイールの食いつきは悪くなかった。途中で口を挟んでくることもなく、時折相槌を打つのみで耳を傾けてくれていた。

 そして滔々と語り終えたレンは彼の反応を待つ。


 ジャズイールは唐突に席を立った。そのまま段を下り、膝をついているレンのところまでやってくる。

 レンには彼の意図が読めない。


「こちらを見よ。一つだけ質問させてもらおうか、〈遠見〉の娘」


 その求めに従いおずおずと顔を上げれば、傲然と見下ろしてきているジャズイールの視線と交錯する。

 底なしの沼のような漆黒の瞳を細め、彼は訊ねてきた。


「おまえは嘘偽りなく、正真正銘の〈遠見〉なのだな」


「もちろんでございます、殿下」


 本当は偽物であろうとも、こう返答するしかレンには選択肢がない。


「ならばよい」


 納得したのか、ジャズイールはあっさりと引き下がる。

 どうやら言葉による確証がほしかったのだろう。疑われているわけではなかったのだとわかり、レンも心の底から安堵した。


     ◇


 謁見に引き続いて催された晩餐会では、レンがこれまでに見たことも聞いたこともない料理ばかりが大皿で饗された。色合いからしてまるで異なるし、もちろん味など想像の外だ。

 遠くヴァレリア共和国からやってきたレンを主賓とする食事なのだが、ここにきて文化の違いを強く実感させられてしまう。


「どうぞレン殿。ニルバド自慢の料理の数々、ご賞味あれ」


 それでも隣に座ったテスレウから勧められては断るわけにもいかない。

 腹を括り、冷菜であろう皿から取り分ける。くすんだ色をした葉で何かを包んでいるらしい。

 しかし一口目で彼女の不安は払拭された。


「──美味しい!」


「それはよかった。ですがまだまだ他にもありますのでね」


 実際、テスレウの言葉に嘘はなかった。

 どれもこれもが初めての味だったにもかかわらず、レンの舌は大いに喜んだ。

 特に気に入ったのが肉料理だった。様々な獣の肉にたっぷりと香辛料を振りかけ、串焼きにした皿は独り占めにしたいほどの強烈な印象を残した。


 レンの近くにはマルコも陣取っている。テスレウの配慮によるものだ。

 彼は勧められた白い酒へわずかに口をつけ、空腹にならない程度に料理をつまんでいるようだ。護衛役として非常に抑制のきいた振る舞いである。


 対照的に晩餐会の主人であるはずのジャズイール第六皇子は、開会して早々に姿を消していた。テスレウによればよくあることなのだそうだ。

 レンとしてはそのおかげで、過度に緊張することもなく晩餐会に臨めていた部分は否定できない。食事もきちんと喉を通ってくれた。

 ニルバド皇国での初日としては、事前に想定していた中でも最高の部類に入る。これならばどうにかやっていけそうだ、とレンも自信を深めつつあった。


 だが晩餐会も終わりに近づいた頃、テスレウへそっと耳打ちする者が現れる。

 小さく頷いた彼がレンへと向き直った。


「殿下からの言伝です。宴もたけなわになれば、レン殿に別棟である収蔵庫へお越しいただきたいとのこと」


 お一人で、とテスレウは付け加える。


「おそらくはこれまでに殿下が集めてきた美術品を案内されるおつもりでしょう。あの方はそういったものに目がありませんから、結構な数ですよ」


 つまりは戦利品を自慢したいってことか、とレンも納得する。

 普段はそういう相手がいないのであれば、初対面のレンを誘ってくるのも無理はない。収集家というものは見せる相手がいてこそだ。


 だがここまで出しゃばることをよしとしなかったマルコが懸念を表明する。


「さすがにレン様お一人では」


「殿下もお一人です。ですのでおとなしく従っていただきたい」


 対するテスレウもここは譲らない。


「大丈夫ですよ、マルコ」


 なだめるようにレンが言った。

 マルコと違い、彼女はさほど心配をしていない。


「ジャズイール殿下がわたしを疎んで消すおつもりであれば、先ほどの謁見の直後にでも首を刎ねられていたでしょう」


「それはそうかもしれませんが」


 なおも不服そうなマルコだったが、最終的にはレンの決定を受け入れた。

 ここはヴァレリアではなくニルバドだ。ジャズイールからの要求に対してはできるかぎり従う必要がある。そのことはマルコも理解しているのだ。


「じゃあ、行ってきますね」


 そう言い残し、レンは晩餐会の会場を後にした。

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