第二百七十八話 狂気の兆候
ゆっくりと距離を詰めていく。燃える様な闘志と殺気を向けてくる片野の感情を逆撫でるように。
ここまでの戦いを振り返ると、感情のコントロール、冷静さを失った時に
敵に隙を突かれる場面が多くなった。
その要因としては・・・あまり言いたくはないが仲間の存在が大きい。
仲間を生かすため、殺さないために立ち回ることが多かったために
そのリソースを回さないといけない状況に陥っていた。
「来るか。じゃあこれで—————————————」
相手に悟らせないほどの静かな殺意。それがどれだけ敵にとって厄介なことだというのを
理解している。
片野が俺に向けて攻撃を仕掛けるために詠唱を試みたが、
詠唱を響かせるための空気の動きを全て止めて無音の状況を作りあげた。
「・・・・!?」
まるで水面に浮かんだ餌を喰らおうとする鯉の様に、奴は口を開閉させるが
何も発せられない状況に混乱している。
敵に何もさせないことが何よりも効果的。そして・・・静かな殺気こそ、
こういった状況に置いて効果を発揮する。
「空渡り(からわたり)。」
あの時、ショッピングモールでハスターの声を聞いた時だ。
泰兄を失ったことがあまりに大きく、振り返ることが出来なかったが時が経ったことで
あの日起きた出来事を思い返すことが出来た事であの時の感覚を思い出せた。
影渡りは確かに非常に有用な技だが利点であり不利な点である一時離脱。
姿を隠せ、敵の攻撃を避けられる代わりに戦場に一切関与できず
その間敵が新たな仕掛けを施したり、出てきた所を狙い撃ちされるリスクがある。
だが空気と一体になれば戦場から離れることなく、分子レベルで攻撃を避けられる
空渡りであれば敵から目を話すことなく隙が生まれた際にすぐに攻撃に転じることができる。
「・・・・・・・!!」
混乱している中、奴は俺が近づいてきている事を分かっている。
空気にならない六華が宙に浮かびながらこちらに近づいてきているのが
瞳にはっきりと写っているが反撃できない。何も発することが出来ずに頭も正常に働いていない。
実体のない俺を前にしたその表情は恐怖を抱いている。
ゆっくりと、ただゆっくりと近づく俺を前にして心が恐怖で支配されそうになるが
その一歩手前で思い出したかのように勢いよく両手を胸の前で合わせる。
八咫烏様の輝きをその体で反射させていた緑の鉱石の動きが変わってることを視界の隅で
捕えると、突然現れた緑の壁が俺を挟みこもうと両端から迫ってきていた。
死神が刀を持って間近まで迫っている光景を前にして、防衛本能が働いたのか
詠唱を必要としない魔術の存在を思いつき、咄嗟に行動に移したのだろう。
だが物を動かすという事は、空気を動かす事と同義。
迫り来る壁に押された空気が押しつぶされて逃げ場を失い壁から逃げるように動いていく。
わざわざ動く必要がない俺は奴の動きを観察しながら流れに身を任せて
悠々と壁から逃れた。
攻撃手段を手にした片野は腕や手の動きを使って俺に鉱石を向けるが
空気と一体となった俺に攻撃は当たることはない。
攻撃手段を手にし、まるで馬鹿の一つ覚えみたいに雑に打ち放つ姿は
奴の経験不足が浮き彫りになっていく。
前回の時もそうだったが、強力な力に似合わないほどに幼い体では
実戦を積むには時間が足りなかった様だ。
このまま追い詰めてやってもいいが・・・出来れば泰兄からどういう扱いをされていたのか
知りたくなってくる。
(・・阿保か俺は。)
少し優位が取れたから取って生まれた余裕を隙に変えてしまうのはあまりに愚策だ。
こういう欲望をそのままに動いて来て、どれだけ仲間を危機に陥れたと思っている。
このまま空気を止めて・・・殺してしまった方が仲間を守ることができる。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
奴の周りの空気を止める。先ほどまでは奴が発する詠唱を封じるだけであり
呼吸をが可能なほどに留めておいたが、どう考えてもこいつを生かす理由はない。
仲間を護る。そして・・・八海を護る。全てを護るには敵を退けるだけでは無理だ。
人間誰であっても感情はある。感情というのは今まで過程で築き上げた性格が
今置かれている状況によっておこる化学反応。
奴は賀茂忠行を心酔し、泰兄を慕っていた。
仮にここで生かしておいても・・・必ず俺の前に戻ってくる。
いや、たったそれだけならまだいい。俺の仲間達を襲い、殺されかねない。
こいつは今まで俺が戦ってきた、戦ってくれた人達の様に俺の味方ではない。
完全なる敵。これから戦う奴らは誰一人として生かしておけば
復讐という感情を持っていついかなる時も俺達の命を狙ってくる。
「・・・・・・!!」
体を必死で動かし、空気を止めている俺を何とかしようとするが全てすり抜けてしまう。
自らの実力不足、そして俺への恨みが込められた視線を俺にぶつけてくるが
決して届くことはない。
例え魂魄融合をしていたとしても、人間という要素が混じっている以上は
生命を維持するために空気を必要とする。
俺はこの地球上で生きる生命の大半の生殺与奪権を握っている。
「終わりだ。俺と戦えるなんて思っていたようだが・・・勘違いだったな。」
顔から血の気が引いていく姿を見て、自然と口が開く。
心の底から出た言葉なのだろうが・・・それにしては今までにないほど
無意識下というか、喉に引っかかることなくストレートに放たれたように思える。
『龍穂。早く殺してやれ。勘違いも甚だしい思い上がりをしている
勘違いをした大馬鹿者を消し去ってやれ。』
自分でも発したことがないような侮蔑の出所をハスターの声を聞いて理解する。
クトゥルフの子。という事は奴が宿している神のガタノゾアは甥にあたる。
だが・・・その親とすこぶる仲が悪く、その甥が舐めてかかってきていることに対して
大いに腹を立てていた。
だが・・・過程は別にしても俺にもその感情はある。だからこそ、
まるで潤滑油が喉を覆っている様に何も引っかかることなく言葉が出てきたのだろう。
「ぐっ・・・カハッ・・・!!」
奴は死ぬ。あっさりと。ここまでして、ルルイエまで俺達を意気揚々と連れてきて
片野の人生はここで終わる。
それでいい。俺達は敵対しているのだから。
そうしなければ俺は命を奪われる。命潰えた時が結果、その時点の過程の結果が表れる。
そしてそれ以降は・・・何もない。あの恨めしい視線も恨み言も、煽りも全て消えてなくなる。
それでいい。俺は空気を止め続けるために腕を伸ばして手を広げる。
それが・・・俺がこれから歩むたたか———————————————
「アカン!!!」
奴の命の灯が消える直前。背面部に何かがぶつかり伸ばした腕が引かれる。
「龍穂がそれをしたらアカン!!命を奪えば・・・”あいつら”と一緒や!!!」
片野を殺すことに集中していたのか背後から接近していた純恋に気が付かず
完全に不意を打たれてしまう。
何故純恋が空気と同化している俺を捕えることが出来たのかを考える事さえせずに、
俺は純恋の願いの意味が・・・理解できなかった。
「・・いや、あいつを殺さないと純恋達が・・・。」
「私達を信用できないんか!?私達があんな奴に殺されるっちゅうんか!?
確かに本気を出した龍穂からしてみれば邪魔者かもしれへんけど、
私達はアンタにそうさせへんために頑張ってきたんやで!?」
純恋の表情から察するに・・・純恋は俺が片野を殺すことを恐れている。
どう考えてもこれは道理。戦いとは命の奪い合いであり、敗北とはすなわち死だ。
それを必死に止めようとする純恋の行動の意味。
「・・先を考えろということだ。」
純恋の不意打ちを喰らい、空気との同化が解かれると青さんも俺の腕を掴んでくる。
「お前さんが人を殺すことはいくらでもできる。それは純恋にも桃子にも、
そこにいる全員が共通して持っている力だ。
だが一度でも殺人を犯した時、何が起こるか分かるか?」
殺人を犯した時・・・。
「・・法に裁かれます。」
「そうだ。それすなわちお前が有している陰陽師という資格に傷をつけることになる。
そうなれば・・・分かるな?」
この出来事は任務として記録は残せない。
八海の禁則地で起きた事件など、兼兄が表に出すわけがないからだ。
だとすれば、俺は任務という大義名分を持たずに殺人を犯したことになり、
神道省への入寮は難しくなるだろう。
「人には人の役目がある。闇に葬る役目は兼定に任せろ。
自分が最終的にどうなりたいか。しっかり考えてから行動しろ。」
青さんだけではなく、八咫烏様も俺の頭に止まり嘴で叩いてくる。
「陰の力に飲み込まれるな。阿呆が。お前はただ命の取り合いをする獣ではないのだぞ?」
八咫烏様が近くに来たからだろうか?俺の中の殺意が徐々に薄れていく。
体の中の陰と陽の力の配分が崩れて沸き上がった感情が殺意なんだ。
「ガハッ!!」
純恋に意識を取られ、空気の固定を解いてしまい片野は必死に空気を取り込む。
膝を着き、涸渇していた生命維持に必要な空気を肺に取り込み体に染み渡らせていく。
「ゆ・・だん・・・したな・・・。」
殺されかけていた片野が言い放ったのは弱音ではなく、俺の失態への指摘。
ここで殺しておけば全てが終わっていたと言い放つが一歩手前まで追い詰めたことは確かだ。
奴の言葉は強がりにしか聞こえない。
「仲間ってもんは・・・足を引っ張るだけだ・・・。
忠行様が俺達を単体で行動させるのが良い証拠・・・。
俺達のような強い力を持った奴らは一人で戦った方が真価が発揮されるんだよ・・・!」
今度は純恋達を侮辱する。確かに・・・純恋達と共に戦えば色々と気配りが増えてしまうが
俺が道を逸れそうになった時、こうして正しい道へと引き戻してくれる。
奴にとってしてみれば役に立たないように見えるかもしれないが、
大切で欠かせない俺の大切な仲間達だ。
「お前には中途半端な姿じゃ勝てないってよくわかったよ。
思っていた以上にあった力の差を埋めるには・・・無茶をさせてもらうよ。」
魂魄融合での神融和が全力ではないと呟く片野。
これ以上の引き出しがあるとするなら・・・確かに脅威だ。
今まで戦ってきた人達が見せてきた力なのであれば・・・平さんが使った様な力だろうか?
あの骸骨のような神を前面に引き出してくる力なのであれば脅威だが・・・
人の形を保っているのなら勝機は十分ある。
「見せてやるよ・・・!!」
片膝を着きながら、服をまくり印に手を突っ込んでいく。
皮膚を貫き、何故か自傷をしている姿を後ろに仲間達は驚愕するが
流れ出した血が片野の体を包んでいく。
「・・青さんは後ろへ。純恋達のカバーをお願いします。」
初めて見る動きだ。奴から流れ出る血は命に支障が出るほどに大量に溢れ出ており
奴の体所か、さらに大きくなっていく。
後ろにいる猛と遜色ないほどの大きさになり、さすがにこれはマズイと
黒牛を打ち込むが、血の中にいる何かに防がれてしまう。
「この姿を見せるのはお前達で最後だと祈るよ。
なんせ・・・こうなってしまえば誰も止められないからな・・・。」
俺のアルデバランを阻むような化け物。その正体は・・・すぐさま明かされた。
身にまとっていた血が重力を思い出したのか、一気に地面に落ちていく。
血の衣を剥いだ片野の姿はこのようの者とは思えないほどにおぞましく、
そして何故か神々しく感じるような姿だった。
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