第二百七十四話 比留間刃
「魔の根源と呼ばれる事件。これは当時の祈祷課課長である上杉影定から皇へ、
そして業へと依頼された護衛任務の事を指す。
当時長であった俺は信頼できる部下を送り込んだ。
織田から聞いているとは思うが・・・その少し前に起きた京都百鬼夜行での失態を挽回するため、
全ての技術を俺自身で教え込んだ息子や娘と呼べる奴らを送った。
護衛とはいっても、万が一の事が無ければただ見守るだけで任務は終わる。
儀式を行うサキュバス達も手慣れており、何事も無く終わる・・・はずだった。」
長野さんは視線を大穴に向ける。はずという慢心が結果生んだがこれだと
俺達に見せつけている様だった。
「護衛の最中、百鬼夜行で業に失望した隊員が儀式の邪魔に入った。
必死に諫めていた子孫達が襲われ、サキュバスの始祖の怒りを買った。
怒る狂った始祖は暴れまわり、その知らせを聞いた俺や影定が何とか諫めたが・・・
大きな被害が出てしまった。」
儀式の現場を残しているだけで、他の場所はさらにひどかったと長野さんは言う。
サキュバスの始祖。楓から聞いた話しだがサキュバスというのは進化を経て
その姿に成ったと言われている。
という事は・・・事件の名の通り悪魔の根源と呼べる存在なのだろう。
「俺の弟子達も被害を受け、長い事目を覚まさなかった。
事件から一年ほどたった後、眼を覚ました彼らから聞いた話しでは
近くにいた涼音の両親も被害を食い止める戦い・・・命を落としたと言われている。
業の失態の被害者にも関わらず、業のために命を張ってくれた彼らの忘れ形見である
涼音の身柄を確保しようとしたが・・・時すでに遅し、既に平さんの元へ渡っていた。」
これが真相・・・。口で語る分には何とも呆気ない思えてしまうが、
語れるほどの過程が生まれないほど圧倒的にな力を持った相手と対峙していたという事だろう。
「・・涼音。誕生日は四月だったな?」
話し終えた長野さんは突然涼音に誕生日を尋ねる。
少し前、みんなで涼音の誕生日を祝った。俺が転校してきた時の様にアルさんが
大きなケーキを用意してくれており、何とか胃に入れようと苦しい顔を浮かべていたが、
その場の全員があまりにおかしな表情をしていたと涼音が笑いだすと
釣られたみんなの笑い声で食堂が満たされた事を鮮明に覚えている。
一体なぜそんなことを聞くのかと訝しむが、話しは進まないとゆっくり首を縦に振る。
そうかと呟いた長野さんは影に沈み、涼音の前に地を這っていた俺の影から出てくる。
そしてゆっくりと一歩踏み出しながら懐に手を伸ばすと、
もう片方の手で純恋の手首を握り、握られた手を懐から取り出すと
手の中に隠された何かを涼音に握らせた。
「両親と戦った俺の弟子から受け取っていた物だ。
死を覚悟した彼らが・・・十八歳になったら渡してくれと言われたらしい。」
他の者に見せるな。見せるのであれば・・・これからの人生を共に歩む覚悟を持った者と
一緒に見ろと呟き再び影に戻っていく。
「これが八海で起きた事件。業が隠さなければほどの大事件の正体であり、
八海を隠さなければならない理由だ。
これ以上、お前達に語れる事は———————————————————————」
無い。そう言い放とうとする長野さんの声をかき消すほどの咆哮が静かな森にこだまする。
「法螺を吹くな!!この・・・裏切者が!!!」
八海に踏み入れた俺達の中から放たれた声ではないと一気に警戒を高め、
辺りを警戒するが怪しい人物の影は見えない。
「たったそれだけか!?八海で起きた事件は・・・今まで業が犯してきた罪が
積み重なって起きた必然!!業の長を押し付け、逃げたお前は・・・まだ逃げ続ける気か!!!」
一体どこから声が聞こえているのかと空気で辺りを探ると何者かが
木々をなぎ倒しながらこちらへ迫ってきている。
「出来る奴は神融和をしてくれ!!」
空気から伝わってくる強者が纏う気配。それを裏付けるかのように苛立ちの周りに
辺りに放つ力は強く、陰の力が含まれていた。
「間接的と言えど・・・被害にあっている彼らに少しでも罪を償うのかと
期待していた自分が阿保らしい!!生き恥を晒しているその姿は目障りだ!!
その首を・・・この手で落としてやる!!!」
倒れる大木の音が辺り響き渡り、咆哮を上げていた主が姿を現す。
先程兼兄が言っていた・・・片野東亜との戦いで姿を見せた男が得物である刀を手に持ちながら
怒りの満ちた表情で現れた。
「・・阿保はお前だよ。」
罵られていた長野さんだったが奴が姿を現した瞬間、待っていたと言わんばかりに
得物を取り出しながら指をくわえると、辺りに大きな笛の音が響き渡る。
先ほどまで一切気配を感じさせなかった森の中から黒い装束を身にまとった者たちが
ぞろぞろと姿を現し始めた。
「ここまでよく姿を隠したもんだ。お前が儀式を台無しにしあの場からいなくなった時、
かなりの人数が業からの脱退を申し出たが・・・俺に失望したわけではなく
お前を捕えるために動かせてくれと俺に願ったからだ。
あれだけの騒動が続いている中で人数を減らしては立て直しが出来ないと断っていたが・・・
やっとその時が来た。これだけの人数がお前の帰りを待っていたんだぞ?」
釣れた・・・という事なのだろう。
八海の捜査で千仞の幹部を釣ると言っていたのはこいつの事だったんだ。
現れた後の隊員。顔を隠してはいるが、業の里で見た老人達がいることが分かる。
裏切者を倒してくれと言っていたが、任務が無ければ里から離れられないはずなのに
どうしてここにいるのか。そんな疑問が一瞬頭に浮かぶがすぐに切り替えて奴に集中する。
持っている得物は一つ。札の数は持っていない。
どうやって結界内に侵入したのか分からないが、俺達だけと戦う気でここへ来ているとしても
備えがあまりに少なすぎる。それだけ奴が持っている力に自信があるのだろうか?
それとも油断か・・・。どちらにせよ、隙を突かせてもらうと魔術を唱えようとすると
空気を引き裂きながらこちらに急接近する人物の存在を感じとる。
「まったく・・・置いてくなよ!!!」
京都で戦った片野も顔を出し、奴の隣に立ってこちらを眺めた。
「・・いた。あの時の借りがこれで返せるな。」
片野が俺を見つけると嬉しそうに微笑む。
まるで好物を見つけた子供の様に、すぐさま戦場になり得るこの場で浮かべる純度の高い微笑みは
狂気的と言っていいだろう。
「それに・・・”土御門”の一件もある。俺がもらうけど・・・いいよな?」
片野は泰兄に因縁があるような事を言い放つ。
かたき討ちにしては距離のある言いかたに疑問を抱きながらも
あの時つけられなかった決着はいずれ果たさなければならないと俺も思っていた。
ここで幹部二人を倒せれば星空に取って大きな戦果となる。引く理由は一切ない。
今にもこちらに向かって弾け飛びそうな片野だが、奴が手を前に出し止めに入る。
「・・私は比留間刃。お前達に言いたいことがある。」
長野さんに向けてあれだけの怒りを浮かべていたにも関わらず、俺達に向かって開かれた口からは
穏やかな口調が響き渡る。
「俺は・・・元業だ。この日ノ本の深淵に触れ、業を離れた身。
賀茂龍穂。これから貴様の血肉の全てをわが主に捧げるために首を跳ねる。
だがその前に・・・お前の仲間達に一言言っておきたい。」
得物である刀。まるで鮮血の様に真っ赤に染まっている刀身を切先をこちらに向ける。
「俺達はその男の血肉にしか興味がない。大人しく退けば・・・見逃してやる。
我らは地の果てまで追う手段を持っているが、決して後は追わず平穏な暮らしを約束しよう。」
ここに来て、ここまで来て。比留間は俺と仲間達を引き離そうと交渉を試みてきた。
同じような提案をされてきた仲間達はこの提案を飲むことはないだろう。
「貴様らは見てきたはずだ。賀茂家の使命によって犠牲になった人々を。
徳川、平。それに奥の二人もそうだ。奴がいなければ大切な者たちと、大切な時間を共有できた。
戦い、勝利するという事は何かを得るという事ではない。失う物も・・・あるのだぞ。」
比留間の口調は何かを思い出している様に物悲しい。
京都百鬼夜行を目の当たりにし、比留間は何を思ったのだろうか?
「この日ノ本は既に荒み切っている。上に行けば行くほど、抵抗する間もなく命を落とすだろう。
戦わず、逃げることもまた大切な何かを護る事に繋がる。
逃げるのであれば今だ。今であれば・・・見逃せる。」
これ以上、俺に大切なものを奪わないでくれと願っているかのように呟く。
確かに・・・俺と関わったことで大切な人達を失った人は多くいる。
「・・あまりバカにしないでいただけますか?」
この中の誰かが逃げ出しても・・・文句は何一つないと待ち構えていると
いつも冷静な千夏さんが小さな怒りと共に口を開いた。
「そのような事、我々は何度も聞かされてきました。
貴方は一つ大きな勘違いをしています。今まで命を散らして来た方々は・・・
我々に”託した”のです。」
「・・託した?」
「ここまで来てやっと気が付きました。
御爺様と泰国は龍穂君と共に荒んだ日ノ本を変えて欲しいと私に託したのです。
我々の敵は千仞だけではなく、今の体制を築いたこの日ノ本。
自らの死と引き換えに大切な存在と・・・決意を私にくれました。」
仙蔵さんと泰兄の死は千夏さんにとって大きなショックを与えた。
それでも千夏さんは立ち直り、ずっと俺の隣で戦ってくれている。
「・・今まで倒れた人達だけやないで。私の母さんは闘病で亡くなったけど・・・
私に人間の強さをまざまざと見せつけてくれた。
あの時の母さんがかけてくれた言葉は今でも私を立ち上がらせてくれる。
もっとも、眼を逸らしていたら何も感じなかったと思うけどな。」
死は恐ろしい。人間の生存本能に刻まれた恐怖が脳に刻み込まれている。
だが、だからこそ。死の間際の姿は直視した人間に強く訴えかけ、
残された言葉を強く脳に刻み込む。
それは勇気、決意に変わり、残された人間を大きく変えるほどだ。
「アンタ、逃げたんやろ。何を見たのか分からんけど・・・その場から逃げたはずや。
確かに大切が亡くなった時、失った者ばかり数えてしまう。
やけどな、前に向かって歩き出さんとあの世から怒られてしまうと、
残された意味を探して何とかして歩き出すのが人っちゅうもんや。
見たくないもんから逃げて、前を向かずにずっと背中を向けている。
アンタみたいな臆病者に、目を逸らさずに戦ってきた龍穂が負けるはずない。」
記憶の封印が完全に解かれる前。俺は何も知らされずただ戦ってきた。
命を取ろうとする者達を退けてきたが・・・進めば進むほど、彼らが何をしたかったのかを
理解してきている。彼らが引いた道筋が・・・俺達の道筋になっている。
仙蔵さん、平、泰兄。彼らが残したものの全てを俺は未だに知り得ていないが・・・
それらを直視することで進める事を確かに実感していた。
千夏さんや純恋の言葉を聞いた全員が、強く得物を握る。
「・・逃げていいんだぞ?」
新しく加入した木下は俺の使命とは何一つ関係ない。
これから激しい命の取り合いが始まる事を察して火嶽が声をかけるが、鼻で笑う。
「龍穂さん達が俺より強い理由がほんのちょっと分かったよ。
何も失っていないし、これからも失いたくない俺がこの差を埋めるにはただ鍛錬を積んだだけじゃ
絶対に届かない。だから・・・俺は逃げない。逃げないで・・・強くなる。」
姉との差を埋めるにはどんな道でも歩む。そう決めた木下には逃げる選択肢はない。
誰一人として逃げようとしない光景を見た比留間の周りにはどす黒い神力が溢れ始める。
「・・片野。」
逃げないのであれば容赦はしないと本気で俺達を殺そうと全力で向かってくるのだろう。
神融和をし、いつでも戦える体制を整えていたが、片野が指を鳴らすと
足の裏で感じていた地面の感触が突然消える。
「!?」
下を見ると、草が生える地面があった場所に古臭い扉が突然現れる。
既に扉は開いており、先にある闇に俺達を誘おうとするが空気を操作して全員を浮かせる。
「空気読めよ。」
再び指の音が聞こえてくると、のぞかせていた闇から腕が伸びてきて体を引き込んでいく。
闇から伸びた手に掴まれた瞬間、空気の操作が遮断され抵抗することなく扉の先へ取り込まれる。
「クソッ・・・!!」
取り込まれる瞬間、俺達を見つめる兼兄や毛利先生、アルさん。
伊達様や長野さん、先ほど現れた業の方々を視界に捕える。
部隊を分断し、俺達を殺す気だと理解した頃には視界が闇に包まれた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
少しでも興味を持っていただけたのなら評価やブックマーク等を付けていただけると
励みになりますのでよろしくお願いします!