第百九十二話 封じられる忘れがたい記憶
「ん・・・・・。」
泰国さんの腕の中で意識を失った私が目を覚ましたのは薄暗い自室でした。
何故ここで寝ているのか。何が起きたのかすぐに理解できませんでしたが
眠い目をこすっていると、地下室での出来事が頭の中に蘇ってきたのです。
「あっ・・・・。」
自らが召喚した化け物。何もできずに殺されていたかもしれないという恐怖。
薄暗い部屋が地下室と重なり私の心はすぐにあの時と同じように恐怖が支配していきました。
強張る体。まともに辺りを見渡すこともできない恐怖に
私は逃げるように布団にくるまり助けを待ちました。
それは・・・両親を失った時に時が戻ってしまった事を示していたのです。
まともに声を上げられずに泣いていると近くから物音が聞こえ、
あの化け物が近くにいるかもしれないと体が完全に固まってしまいました。
また襲われる。その時と同じように体が動かない。
今までにない恐怖は私の意識を奪おうとしましたが聞こえてきたのはあの激しい雄たけびではなく、
聞き慣れた優しい声だったのです。
「・・私です。大丈夫ですよ。」
私を助けてくれた泰国さんの声。その声を聞いた瞬間、
恐怖に支配されていた心に温かい陽が差し、体の強張りが溶けていきました。
溶けた恐怖が溢れるように大量の涙を流していると部屋の灯りが点けられ、
あの日のように布団がまくられると、変わらない胡散臭い顔が私を見ようと覗いてきたのです。
「・・!!!」
その顔を見た時、私の心から完全に恐怖が消え去り
くるまっていた布団から飛び出し泰国さんに飛びつきました。
「ごめんなさい・・・。」
自らが犯した愚行によって起きた危機。そしてその窮地を助けてもらった事に対する非礼。
色々な感情が頭の中に浮かんできていましたが最初に出てきた言葉は謝罪でした。
「・・謝る事などありません。むしろ謝らなければならないのは私の方です・・・。」
泣いている私をなだめるために優しく撫でてくれる泰国さん。
私が一方的に悪いはずなのに・・・罪はないと言ってくれたのです。
その言葉を聞いた私の感情はあふれ出し、涙と共に大きな鳴き声をあげました。
その声に気が付いたおじいさまとおばあさま、そして兼定さんも急いで集まり
私の無事に安堵して私達を見守っていました。
泣きつかれた私はそのまま泰国さんと腕で眠り、
その次の日、そして次の日も私と共に過ごしてくれました。
その間、私は一度も恐怖することなく過ごしていましたが少しでも私の周りに人がいなくなると
心に恐怖が覗かせ学校にもまともに通えていませんでした。
せっかく日常を取り戻したのにまた振り出しに戻った私を見て泰国さんは思う所があったようで、
ふとした瞬間の横顔は何とも言えないような歯がゆい表情をしており、
それはいつしか何かを心に決めたような顔つきに変わったのです。
「千夏さん。少しよろしいですか?」
ある日の晩。いつも通り自室で本を読み終え、楽しいお話を終えた私を泰国さんが声をかけてきました。
「はい。なん・・ですか・・・?」
いつもの優しい顔ではなく、ふとした瞬間に見せる真剣な表情で
私の事を真っすぐに見つめる泰国さんを見た私は何か起きたのかと少し身構えてしまいました。
「大切なお話しがあります。こちらへ来ていただけませんか?」
少し警戒した私でしたが泰国さんに信頼を置いていたので疑いを捨てて素直についていくと、
向かった先はリビング。
先導していた泰国さんがドアを開けるとそこにはおじい様と兼定さんの姿があり、
中央に置かれていたソファーとテーブルがどかされ、
そのかわりに床に書かれた陣とその周りを注連縄が囲むように飾られていました。
「えっ・・・?」
見慣れない光景に思わず足を止めてしまいましたが一歩下がり、
私に隣に立った泰国さんが笑顔を向けながら背中を優しく押して来ました。
「大丈夫ですよ。怖い事は一切ありません。」
泰国さんと共に勉強した中で陣とは神力を使った儀式などに使われることは分かっていましたので
ここで何かが行われる事は察していました。
ですがそれは神社などで行わることが主であり、
何故祖父の家で、そしてリビングなのかと理解できずにいましたが
泰国さんの言葉を聞いてここで立ち止まることなどできないと私は足を進めました。
「・・本当にやるんだな。」
リビングに入ってきた泰国さんに向かって兼定さんが尋ねると返事をしないまま頷きました。
いつも優しい表情を浮かべていたおじい様でしたが、
二人の姿を見ていた顔はどこか悲し気でしたが決して止める気配は見せず頷いた事を確認すると、
札を取り出し陣に近づいていったのです。
「千夏さん。あなたに・・お願いがあるのです。」
膝を着き、私と目線を合わせた泰国さんは優しい表情に戻り口を開きました。
「なん・・ですか・・・?」
「あなたが抱えている怖い記憶を・・・私に封印させていただきたいのです。」
——————————————————————————————————————————————
悲しい過去。そして泰兄の献身的なメンタルケア。
そして・・・記憶の封印。自らの過去を語る千夏さんの表情は語るごとに暗くなっていく。
「それで・・・記憶の封印をされたっちゅうことか。」
「今になって分かる事ですが・・・あのお二人は我々、そして日ノ本のために尽力されていました。
それらが忙しくなるにつれ、私と会える時間が少なくなる事は明白。
だからこそ私の記憶を封印することを選んだのでしょう。
泰国さんの傍を離れられず、外にも出歩けない私を見る泰国さんは
どこか影を落としたような表情を時々浮かべていましたからね・・・。」
泰兄は優秀な人だ。それはあの人の若さと立場を見ればすぐに理解できる。
神道省に入るタイミングと重なっていたのかもしれない。そうなれば千夏さんの傍にいられない。
「千夏さんは・・記憶の封印を受け入れたんですか?」
幼くとも賢い千夏さんであれば。
記憶が封印されると泰兄達との楽しい思い出が無くなる事は察することはできただろう。
それだけ懐いていたのなら強く拒否する事が目に見えていた。
「・・はぐらかされたのです。怖い記憶を封印するだけだと。
龍穂君のお察しの通り、私も薄々感づいてはいました。
もしかすると楽しい記憶も封印されてしまうのではないのだろうかと。
ですが・・・その代わりに一体の式神をくれたのです。」
———————————————————————————————————————————————
怪しみ、足を動かそうとしない私に泰国さんは一枚の札を見せてきました。
「これは・・・?」
「教えたはずですよ?これは札。中に物を封じる事が出来る物です。」
その札を優しく私の手に持たせ、神力を流し込み札の中の物を出すと
小さな雀が私の手に乗っていたのです。
「すず・・め・・・?」
「少し早いですが仙蔵さんから許可を得たのです。
あなたの新しい・・お友達。小さな体ですが先祖代々徳川家に仕えてきた
由緒ある式神ですからきっと頼りになるはずです。」
雀は私の方を見て一鳴きして飛び立ち肩に乗ってきました。
そして小さな足で跳ねるように移動し、まるで親しい友のように顔を頬にこすりつけてきたのです。
初めての式神。そしてその愛くるしい姿に私の心は奪われ心を染めた不安は無くなりつつありました。
「そして・・・まだ先の話しになりますがあなたに私のお友達を紹介したいのです。」
「お友達・・・?」
「ええ。あなたの一つ下の男の子。明るく元気で・・・何より頼りになる子です。」
学校で作ったお友達はほとんどが女の子だった私は休み時間に本を読んで過ごしている中、
窓に写る活発な姿の中に混ざることができないかなと密かに思っていました。
「男の子・・・。」
「事情があってなかなか外に出ることは出来ませんが、”いずれ”こちらに連れてこようと思っています。
千夏さんなら絶対に仲良くなれる。あなたの近くにいた私が言うのだから間違いありません。」
本当に仲良くなれるのかなと思っていた私の手を取り、
漫勉の笑みを浮かべる泰国さんを見た私は背中を押されたような気がして大きく頷きました。
「その子は・・いつ来れるの?」
「ふふっ。大丈夫ですよ。近い内にこの私が連れてきます。なので楽しみに待っていてください。」
手に取った私の小さな手を強く握ってきた泰国さん。
「ですが・・・楽しいことの前には我慢が必要です。」
そしてそのまま私の手を引いて陣の中央に足を進めました。
「私は何をすればいいの?」
「目をつぶっていた下さい。少し物音がするかもしれませんが大丈夫です。
私が手を握っていますから。」
私の前で膝を着き、頭を撫でてきた温かい手に安心し眼を瞑りました。
「・・千夏さん。」
おじい様と兼定さんが祝言を唱えている声が耳に入ってくると、泰国さんが話しかけてきました。
「なに?」
「私はずっとあなたを見守っています。どれだけの月日が経とうと、
どれだけ遠く離れていようと、ずっとです。」
それは私にとっていつもの日常でした。
寂しい時も・・少し我慢をすればいつか泰国さんが会いに来てくれる。
「どれだけ辛いことがあろうと、悲しい事があろうとずっとあなたの心の中にいます。
だから・・・強く、麗しく育ってください。
そして・・・悔いの無いように天寿を全うしてくださいね?」
泰国さんの声が頭の中に響きながら意識が遠くなっていく。
「・・決して、早くこちらに来てはいけませんよ?」
最期の言葉を聞き、意識が闇に溶けていきました。
———————————————————————————————————————————————
「・・これが私の封じられた記憶の全容になります。」
あまりに悲しい最後に俺達は言葉を放つことさえできない。
「泰国さんは・・・あの時既に自らの命が賀茂忠行によって奪われる事。
そして私達とは親しく接することができない事を分かっていました。」
目を瞑った後の言葉は・・・封じた記憶を取り戻した千夏さんに向けての言葉。
あの時点で自らの最期を決めていたのだろう。
「・・・・・・・・。」
足が勝手に千夏さんの方へ動き、涙をこらえている千夏さんの体を優しく抱きしめる。
言葉は出ずとも千夏さんを何とか励まそうと体が動き出した。
そして俺に続いて楓や純恋、桃子が集まり全員で千夏さんの体を抱きしめる。
「・・ありがとう。」
鼻声で感謝を述べてくる千夏さん。
泰兄という存在は俺や千夏さんにとってとても大きな存在であり、
失った出来た大きな穴は悲しみで埋める事しか今は出来なかった。
千夏さんを中心にすすり泣く声が集まっていると近くから小さな鳥が鳴く音が聞こえてくる。
「・・・・?」
千夏さんの式神である雀が自ら札から飛び出し部屋のどこかへ飛び立っていく。
何が起きたのかと千夏さんと共に眺めていると、
部屋の隅から羽音が聞こえ戻ってきた雀の嘴には白い封筒が咥えられていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
少しでも興味を持っていただけたのなら評価やブックマーク等を付けていただけると
励みになりますのでよろしくお願いします!




