第百八十八話 悲しみ、そして甘え
明らかに弱った千夏さんを前にしてなんて声をかけていいのか分からない。
あれだけ芯が強く心強かった人が、こんなにも弱弱しく思えたのは初めてだ。
だがここで立ち止まっては何もならないとドアを閉め、千夏さんの元へ歩き出す。
「・・泰兄との思い出の場所なのですか?」
以前来た時に何も言わなかったという事は解き放たれた記憶の中の思い出。
つまり泰兄との思い出の場所なのだろう。
「・・・・ええ。」
俺の問いに本棚から目線を逸らさずに答えると、手を伸ばし一冊の本を取り出す。
「両親を亡くした私にあの人は優しく接してくれました。まるで本物の兄の様に・・・。」
本をめくると扉絵と活字が並んでいるページを優しく撫でる。
「・・ここには祖父所有の本が並んでいますが、
泰国さんが私のために持ってきてくれた本もあるのです。
読書が趣味の私と一緒に読みたいと持ってきてくれて・・・。」
本の切れ端はかすれたような跡があり、何度も読み返したことが分かる。
だが大切に保管されていたようで、それ以外は傷一つない本に突然染みが浮かび上がる。
「・・・・・・・・・・・。」
染みの正体は千夏さんの涙。泰兄との思い出が頭の中に蘇り後悔に苛まれたのだろう。
俺には千夏さんの後悔を取り除くことはできない。
出来る事と言えば・・・優しく肩を抱いて近くにいると体で伝える事だけだった。
「ごめん・・なさい。あなたも・・辛いでしょうに・・・。」
・・優しい人だ。自らが後悔に押しつぶされそうになっているのに俺の心配をしてくれている。
だがそれでは千夏さんの負担が増えてしまうだけだ。
「・・一人で背負わないでください。」
抱いていた肩を優しく掴んで俺の正面に寄せそのまま抱きしめる。
そうだ。この人は徳川家の存続という重い使命を抱えて戦ってきた。
そんな強い人だからこそこんな状況であっても周りに気を使えるのだろう。
「俺は・・仙蔵さんから千夏さんを任されています。
千夏さんが背負っているものを全て背負うことは難しいかもしれませんが・・・
俺が背負えるものもあるはずです。ですから・・・・。」
こんな時にまで強がる必要はないと伝えようとしたが胸元に顔を押し付けてくる千夏さんを感じ、
強く抱きしめた。何も言わず、泣きじゃくる千夏さん。
大切な人をなくし続けなお、小さな体一つで重い使命を背負い続けてきたが限界が近かったのだろう。
出来れば両手で抱きしめてあげたかったが固いギブスが邪魔をし、
どうしても片腕でしか使えないこの状況に後悔してしまう。感情的にならないでおけば・・・。
「ご・・めんなさい・・・。」
全てを吐き出すように涙を流す千夏さんは立っていることもままならず、
膝から崩れ落ちていくが体の動きに合わせ俺も膝を着き、倒れさせないように支える。
「・・大丈夫です。」
今思えば千夏さんにはずっと頼りっぱなしだった。
日常から・・戦い。近くにいてこれほど頼りになる人はいなかったが
これだけの崩れ方を見てしまうと負担をかけていたのだと実感する。
「今度は・・俺が支えますから・・・。」
今までの分、俺が背負っていくと心に誓い支える手を変えて頭を撫でながら落ち着くのを待った。
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千夏さんの頭を撫でて何時間たっただろうか。
時計のない書斎では正確な時間は把握できないが、窓がオレンジに染まったのを見ると
かなりの時間ここにいる事を実感する。
時間が経ち、落ち着いた千夏さんだが撫でている頭を胸に押し当ててきて少しずつだが体が滑っていき
背中が本棚についてしまった。
(落ち着いた・・・よな?)
鼻をすすってはいるが多分もう泣いてはいないはず。
皆から許可をもらってここにいるが、遅くなっている事を連絡しなければまた怒られてしまうだろう。
普段であれば念を使って連絡を取るが皇族が使うような病院だと念さえも遮断してしまうほどの
完全防備が備わっており、使う事が出来ない。
他の手段として携帯電話があげられるが持ってきておらず、連絡手段はここに置いてある電話のみ。
となると千夏さんに一度どいてもらわなければならない。
どうにかしようと千夏さんの背中を軽く叩いて反応を確認するが、
嫌だと顔を胸元にぐりぐりと押し付けてきた。
「代わりに支えてくれるといったじゃないですか・・・。」
俺を押した千夏さんの体はもはや寝ていると言っていいほどに伸びてしまっており、
その状態で少しだけ顔を上げ上目遣いでこちらを覗いてくる。
「・・そうでしたね。俺が悪かったです。」
いつもであれば少しどいてほしいと言っていたかもしれないが、
一度言葉にしたことを最後まで責任を持たなければならないと言い留め、素直に謝ることにした。
(雫さんが察してくれるのを祈ろう。)
この無防備な状態を雫さんが何もしていない訳がない。
姿は見えないがおそらく近くで俺達が襲われないかを見張ってくれているはずだ。
「少し・・落ち着いたみたいですね。」
電話をすることはできないがやっと顔を上げてくれた。
これなら少しは話しが出来ると声をかけると顔を埋めながら頷く。
「・・何度でも言いますが俺は千夏さんを支えていくつもりです。
そのために・・改めて千夏さんの事を知る必要があると思っています。」
しっかりと前置きをしたうえで千夏さんに尋ねる。
「ですから・・泰兄が千夏さんにしてくれた事を出来るだけ教えていただきたいんです。」
泰兄の死。それが千夏さんにどういう影響を与えたのか。それを知ることでより一層支えていける。
そう千夏さんに伝えるが再度頭を埋めて黙ってしまう。
聞き出すのにはさすがに早すぎたかと思っていると、胸から振動と共に千夏さんの声が聞こえてくる。
「少し・・時間を下さい・・・。」
思っていた通り、やはり核心に触れるのは早かったようで断れてしまう。
「でも・・ずっと胸に秘めておくわけではありません。ちょっとだけ整理がしたいだけ・・なんです。」
そしてまたほんの少しだけ顔を上げると時が来たら絶対に話すと約束してくれた。
「分かりました。じゃあ・・代わりに俺の話しを聞いていただけませんか?」
「・・・?」
上を向いて深呼吸をした後、千夏さんをじっと見つめる。
「俺と泰兄の思い出です。まだ混乱していて、全てを思い出したわけではありませんが・・・
あの人が俺にくれたものを少しでも共有できれば嬉しいんです。」
俺が持っている記憶を話しておけば千夏さんも語りやすいだろうと提案すると、
少し迷った素振りを見せたが頷いてくれる。
「ありがとうございます。ではお話し・・・と行きたいですが、出来れば少し場所を変えませんか?」
長時間固い床に座っていて腰が痛いのと体重がかかっている本が傷まないのかが心配なり、
話すことに適した場所への移動を提案する。
提案に頷いてくれた千夏さんだが離れることなく俺が動くのを待っているようで、
片腕で抱いたまま立ち上がる。
「リビングでいいですか?」
「・・私の部屋が良いです。」
ソファーがあるのでリビングを選択するが千夏さんは自身の部屋が良いと拒む。
慣れ親しんだところがいいかと千夏さんの提案を飲むと歩きやすいように
後ろに回り込み背中にくっ付いた。
それでも歩きづらいがそんなことを言うのは野暮だろうとそのまま歩きドアを開けると
目の前の床に二つの紙袋が置かれており、一枚の紙が添えられていた。
ご飯置いときました。みんなには遅くなるって連絡を入れてあります。
雫お姉さんよりと書かれていた。やはり近くで俺達を守ってくれている。
その紙袋を手に取り、千夏さんの部屋に向かう。
部屋には二人で座われる所が無いため、ベットに座っていいか許可を取り二人で腰かけた。
「じゃあ・・話しますね。」
泰兄との思い出。それを千夏さんにも共有するために口を開いた。
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「・・・あら。」
二人がいる仙蔵の家を守っていた雫の前にやってきた一つの影。
「修行の時にあなたの影を覚えていてよかったですよ。」
這い上がってきたのは楓。遅くなると連絡を受け、龍穂の護衛に来たのだろう。
「私一人でも大丈夫なのに。もしかしてかなり警戒されちゃってる?」
龍穂を守りに来ただけだと分かっているのにも関わらず、嫌み臭い言葉を言い放つ。
だが言葉を受けた楓は嫌な顔をするどころか、ほんの少しだけ口角を上げた。
「・・まあ、そう言う事にしておきましょう。その方が・・・”逃げられないでしょうからね”。」
言い返してきた楓を見て雫は逃げるような体勢になるが、体が固まり大きなため息をつく。
「・・やってくれたね。」
「こちらのセリフ・・・ではなく、それはあの人が言うセリフです。
決してあなたが口にしてはいけないでしょう。」
千夏を守る使命が体を固めたこともあるだろう。
だが・・反応が遅れた雫の後ろに立つ殺気を放っている人物の存在が、雫を止めたのだと理解できた。
「代わりますよ雫さん。やるべき落とし前をしっかりつけてきてくださいね?」
楓の一言にため息をついた雫はゆっくりと立ち上がり後ろに立つ風太の前に立つ。
「・・行くぞ。」
殺気、そして怒りを宿している風太は雫の手を握りどこかへ連れ去ってしまう。
「はぁ・・・。なんでこう・・大切な人のためなら平然と嘘をつくんですかね・・・?」
去っていった二人がいた所を見ながら楓は呟く。
それは・・雫だけではなく既にこの世を去った泰国に向けても呟いているように見えた。
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