第百六十話 部隊を率いた戦い方
前に出た兼兄は水銀を辺りを浮かべながらヒュドラに向かっていく。
分かりやすくゆっくり近づいているにも関わらず、
ヒュドラは白を目の敵にして視界にすら入っていない。
「さて・・やるか・・・。」
胸元を緩め、右手を前に出して強く握ると、まるで肌を這うように黒い影に覆われていった。
「なんだ・・あれ・・・?」
実家の道場で兼兄と戦ったことがある、あのような術を使っている姿は見たことが無い。
「兼定は影を操ります。自らの影を体に移動させているのです。」
兼兄の足元にあるはずの影が無く、確かに影を自らの体に張り付けていることが分かる。
「影法師。」
腕だけではなく、自らの体に影を張り付け漆黒に染まった体で地面に落ちていった。
「・・・・・?」
姿を消した兼兄。自分の体を影に張り付けただけで影渡りとやっている事は変わらない。
どこに姿を現すのだろうと辺りを見渡していると、ノエルさんが指を差す。
「あそこですよ。」
ノエルさんは兼兄が影に落ちた場所を指さすが、そこには誰もいない。
「・・・ん?」
だがその代わりにまるで水たまりのような影が一つ浮かんでおり、
誰もいないはずなのに独りでに動き出した。
影は人の姿に変わり、黒い影の中に目だけが白く浮かび上がっており、
シルエットからそれが兼兄だという事を理解するのにどうしても時間がかかってしまった。
「彼が業の長である理由があの技術に詰まっています。
限られた人物しか知ることが許されない皇直属の部隊である業。
影に潜むことが出来る彼の存在が、業のという組織を現しているのです。」
人の形をした影がヒュドラの元へ走っていく。
堂々とヒュドラの元へ向かっていくが、
足音を立てずに迫っていく兼兄に怒り狂うヒュドラが気付くはずがない。
「黒闇針地獄。」
暴れ狂うヒュドラに足元にたどり着いた兼兄は、
自身の影を鋭い何本もの針に変えヒュドラに串刺しにしようと試みた。
分かるはずもない完全なる不意打ちにヒュドラはなすすべなく喰らってしまうが、
影の針が鱗を貫くことはない。
あまりの突然の出来事にヒュドラは一瞬身を固めるが、
すぐに針の隙間に細い体を通し針山からの脱出を試みた。
「逃がすかよ。」
触れれば力を吸収されてしまうはずのヒュドラに
これだけ近づくことが出来た絶好の機会を兼兄が逃すわけがない。
叩く尖った影を動かし、ヒュドラに巻き付け体を縛る。
そしてその姿を見た白の部隊が影から一斉に飛び出し各々の得物や長物で一斉攻撃を放った。
金属がかち合ったような甲高い音が無数に響くがそのどれもが鱗を貫くことは無い。
だが打ち込んだ部分の表情が和らいでいき、苦悶の表情を浮かべている所の方が少なくなっていった。
「硬い鱗を破るには至りませんでしたが・・・これで敵の脅威をさらに減らすことが出来ました。」
総攻撃を受けたヒュドラは暴れ出し、針山を破壊していく。
そして勢いままに白の部隊を吹き飛ばそうとしてきたが、
すぐに影の中に飛び込み一切の攻撃を受けずに戦線から離脱した。
「すごい・・・。」
「勝利を勝ち取ることも大切ですが、一番肝心なのはどれだけ被害を少なく勝利を収めるか。
敵の体を縛りカウンターの可能性が少ない状態で味方に託す。
そして味方も逃げの選択肢をしっかりと残した状態で攻撃に参加する。
被害を出さない意識が我々をここまで生かしてきたのです。」
白の部隊の戦い方。それは戦いにおいて一番大切な心得を持つ理想的な戦い方だ。
自分が被害を受けずに相手にどれだけの被害を押し付けるか。
戦いとは、勝利とは自分の命を失わないことが一番大切であって
命を失うリスクのある戦いは間違っている事を、白の部隊は俺達に見せつけてくれている。
「その境地にいるのは兼定。影に潜み、影から放つ攻撃は相手に脅威を与える。
そして・・・相手は影に触れることが出来ても、兼定の体に触れられない。」
影に潜んでいる兼兄に向けて大きく口を開いて牙を向けるが、
かみ砕いたのは床であり兼兄の姿は見えない。
ノエルさんの言う通り影に影響を与えられなければ体にさえ触れらないようだ。
「・・次だ。」
牙が届かないことに不服そうなヒュドラだが、すぐに顔を上げて白の部隊の出現に警戒し始める。
これまで良いようにやられている。
その原因は白の部隊にあると警戒しているが、上げた顔に向けて砲弾が撃ち込まれ爆炎に包まれる。
「次は私達だよ~?」
砲弾が飛んできた方向を見ると、奥の方に長物を持っているゆーさんの姿が見える。
あれだけ近距離を意識させられた後の遠距離。これにはヒュドラもさすが堪えるだろう。
「そして広い戦場を有効に使う。
人には戦う距離に得意不得意ありますが、その距離を十分に生かせる所に配置する。
決して人の並びだけではありません。
配置されている人物の強みが一番発揮される位置、そして一番敵が嫌がる位置へと配置するのです。」
ゆーさんは携えている鋭い爪の接近戦も得意だが、
今回の場合は敵が一番嫌がる位置からの攻撃を意識して遠距離を選択した。
「まだまだ行くよ~?」
この距離であれば例え攻撃されてもゆーさんの獣の素早さであれば回避は容易だろう。
安全地帯でゆっくりリロードを行い、引き金を引く。
砲弾はヒュドラの顔に向けて正確に撃ち込まれ、辺りに爆炎によって蒸発した
ヒュドラの血の匂いが漂ってくる。
ここまで何もできず、苛立ちが頂点に達したヒュドラは雄たけびをあげ
口から無造作に溶解液を放ちながら遠くにいるゆーさんに突っ込んでいく。
「おわっ!!!」
本来の目的である俺に見向きもせず、一心不乱に突っ込んでいくヒュドラの姿は
まるで兼兄の手のひらの上を踊っているように見える。
これが統率の取れた部隊の戦い。目的を失ったヒュドラ、後はうまく料理されるだけだ。
「来たね~。ちーちゃん、準備できてる?」
あれだけ暴れ狂っているヒュドラを前にしても、
ゆーさんはまったく動じることなくのんきにマイクに話しかけている。
「・・そう。じゃあ後はよろしくね。」
後を向いて悠々と歩き、少しだけ下がったゆーさん。ここまで来いと挑発しているように見える。
「正気を失えばどんな強力な相手でも簡単な罠にかかるものです。ここまでくればあと少し。
このままなにごとも無ければヒュドラを倒すことが出来るでしょう。」
過ぎ去ったヒュドラの結末を見るために移動しようとした時、
兼兄のいた所を見ると影一つ残っていない。
恐らくヒュドラに止めを刺すために移動したのだろう。
窮鼠猫噛むというが追い込まれた敵は何をしてくるか分からない。
白の部隊の活躍は確かにすごいが、それを指示しているのは兼兄だ。
一番肝心で困難な場所に長がいなければ最後に何が起こるか分からない。
「こっちだよ~?」
手を振りながらヒュドラを煽るゆーさん。
溶解液を放つのを止め、鋭い牙を突き立てながら突っ込んでいく。
ゆーさんにヒュドラの牙が迫った瞬間、突然その動きがぴたりと止まる。
「・・かかったね?」
ピタリとも動かないヒュドラの牙を残念そうな顔でじっくりと見つめる。
「これだけの相手、私だけで戦ってみたかったところだけど状況が状況だからね。
怖い”あの人”に待てと言われたら・・・さすがに手を出すわけにはいかないからさ。」
細かく震えながら止まっているヒュドラの体には小さい稲妻を体から放っている。
ヒュドラが踏んだ床をよく見ると魔法陣が描かれており、その効果によって体の動きを止められていた。
「怖いなんて人聞きが悪いですね。」
止まっているヒュドラの近くまでたどり着くと、ゆーさんの影からスーツの女性が現れる。
「あなただけに任せるとこの建物がどうなるか分かったものじゃ分かりません。
それにゆー、あなた自身も無事では済まない。
あなたの”姉”として、それを見逃すわけにはいかないのですよ。」
黒いスーツに胸元には業を現すピンバッチをつけた女性。
体に稲妻をまとっている毛利先生はゆーさんのおでこを突くと稲妻が小さく弾ける音が鳴り、
それを喰らったゆーさんはおでこを抑えながら痛そうに蹲った。
「さて、一応これで締めです。兼定、しくじらないようにお願いしますね?」
分かっているよとどこからが声が聞こえてくると、
天井から影で作られた布がヒュドラに向かって落とされる。
「夜ノ窓帷。」
まるでカーテンのようにヒュドラの事を仕切り、そのまま包み込んでいく。
「これで逃げ場はない。全力を叩き込んでやれ。」
天井にできた影から下りてきた兼兄は毛利先生の隣に着地して指示を出す。
その指示に応えるため、毛利先生は高速詠唱を行うとヒュドラの頭の上に雷の塊が出来上がる。
「霹靂神!!!」
呪文を唱えると、出来上がった雷の塊が一斉にヒュドラに降り注ぐ。
激しい雷鳴を鳴らしながら撃ち落とされるが視界を絶たれ、
体を痺れているヒュドラは抵抗できずにまともに喰らってしまう。
どれだけ固い鱗を持っていたとしても体を貫く雷の前には刃が立たない。
雷の熱で蒸発させられた体の熱が影のカーテンの隙間から見えていた。
「最後に・・切り札は隠しておく事。これは部隊の人数が多くなければできませんが・・・
どれだけ強い力であっても強大な敵の前では対策されてしまう可能性もある。
相手に見せずに一番有効な所で切ってこその切り札なのですから。」
強力な一撃を放てる切り札。うちで言えば・・純恋に当たるだろうか。
太陽の力は確かに強力。だが俺と対峙した時みたいに対策される可能性もある。
敵に煽りに煽り、正常な判断が付かない状況に追い込み切り札の一撃浴びせる。
高度な連携があってこそ成せることだが、俺達もこれが出来たらもっと楽に勝てた状況もあっただろう。
雷鳴が鳴り終わる。熱によって焦がされたカーテンの中のヒュドラは動く気配すら見せない。
「終わったか~。クトゥルフの側近にしてはあんまり歯ごたえがなかったね~。」
頭の後ろで手を組みながらヒュドラに近づこうとするゆーさんを、
隣に立つ毛利先生が手を伸ばして止めに入る。
「待ちなさい。」
あれだけ強力な一撃を喰らったヒュドラがもう一度立ち上がるはずがない。
そう思ったであろうゆーさんと俺も同意見だが、毛利先生や兼兄の表情が緩むことはない。
「・・・・・・・・・。」
隣にいるノエルさんも同様。厳しい目つきで動かないヒュドラを見つめている。
「戦いは・・終わったんじゃないんですか・・・?」
「・・確かにあれだけの一撃を喰らえば普通の生き物であれば立ち上がりません。
ですが・・彼らのような存在と何度も戦ってきた我々は知っています。
こんなものじゃ・・彼らは倒れてくれないと。」
カーテンに包まれていたヒュドラの体が突然跳ね上がる。
そして体を変形させているように蠢くと、カーテンが盛り上がり体が大きくなっていく。
それを見た兼兄がカーテンで体を押し込めようとするがヒュドラの成長を止めることが出来ず、
カーテンが音を立てながら破れていく。
「・・全体。もう一度気を引き締めろ。」
止めることが出来ないと判断した兼兄はマイクに警戒しろと伝える。
とうとうカーテンで覆いきれないほどに大きくなったヒュドラは布を破り捨て姿を現す。
「・・・・!!!」
人のような姿の上半身に蛇のような下半身。
肌は魚のような鱗で覆われ頭部は一つ目で醜く、背中からは小さな海蛇の頭が二つ見えている。
「あれが本来の姿の様です。ここからが・・本当の戦いです。」
生まれ変わったヒュドラは大きな雄たけびをあげる。
クトゥルフの配下である神の本来の姿を前にして、
あまりのおぞましさにすぐさま得物を構えることが出来なかった。
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