むっつ目――身嗜みに気を配って
彼は礼儀正しく、フィリパをウィロウ邸まで送ってくれた。あまりのことに口を噤んでいるフィリパを。
フィリパは混乱し、ショックをうけていた。
「夜に出歩くのは危ないよ」
子爵は低声で云う。「僕も、いつだって冷静という訳ではない」
彼は火が消えたろうそくをフィリパの手におしつけ、踵を返して歩いていった。杖をついて。
フィリパは取り残されて、しばらく呆然としていた。
フィリパはその後眠れず、身支度を調え、誰よりもはやく厨房へおりて、レンジに火をいれ、灰汁をわかした。今日は、せっけんをつくる日だ。油は手にいれた。灰汁も沢山ある。
彼女は灰汁をかきまぜ、舌で濃度を測った。びりびりと舌を刺す味はきらいだが、これだからせっけんをつくれるのだ。
「お嬢さま、おはようございます」
使用人が顔を覗かせた。フィリパは無理に微笑む。「おはよう。灰汁は今、準備しているわ。木枠を並べてもらえる?」
「あの……」
使用人は歯切れが悪く、戸口でぐずぐずとしている。フィリパは首を傾げた。
使用人は云う。
「お隣から、子爵さまがおいでです」
まだ朝食の時間も終わっていない。それなのに、他人の家を訪問するとは。
フィリパは手を洗い、灰汁を厨房の使用人に任せ、厨房を出た。胸が痛いような気がする。いやな汗が出ていた。
左手をぎゅっと、右手で握りしめる。どうして?
子爵は秘書や、従者とともに、玄関広間に居た。応接間に通せばいいのに、と思ったが、使用人も、突然の訪問にうろたえたのだろう。
フィリパは礼儀正しくお辞儀した。子爵は相変わらず杖をついている。が、今日は脚の調子が悪いのか、それにしっかり体重をかけていた。「やあ」
フィリパは口を開いたが、声が出なかった。彼女は怯えていた。怯えきっていた。
子爵は、皮肉っぽく微笑む。彼らしくない表情だ。
「君なら怒らないだろうが。今朝は特に、足首や膝が痛んでね。申し訳ないが、ひざまずくことができない。お嬢さん、このような格好で失礼する。僕と結婚してもらいたい」
フィリパは左手を、尚更握りしめる。このまま左手がつかえなくなったらいいのに、と頭をよぎる。
「子爵さま」衝撃から立ち直れず、フィリパは声を震わせた。「なにをおっしゃっているのか……」
「求婚したんだ。君に。僕のように、足をひきずる男はいやかい」
「いいえ!」
強く否定し、フィリパは自分の大きな声に驚いて息をのんだ。彼の秘書や従者達も、目をぱちくりさせる。
このひと達はこのことを知っていたのだろうか、とフィリパはいぶかしんだ。求婚のことを。わたしに負けず劣らず、うろたえているように見えるわ。
秘書が咳払いした。「旦那さま、夫人が」
「母のことはどうでもいいんだ」
子爵は自由な右手をひらひらさせ、秘書の口を封じる。「彼女は僕の母だけれど、僕の母だからといって僕の結婚を不当に妨害する権利は持たない。交渉は決裂してる。彼女と僕はこの件に関して違う意見を持っている。それで話は終わり」
フィリパはまた、衝撃をうける。彼らの会話からすると、彼は以前からフィリパに求婚する気でいて、なおかつそれを母親に停められているらしい。そして、これ以上話しても無駄だと判断し、こうしてフィリパに求婚しに来た。
何故?
何故、地位も財産もある男性が、わたしのような困窮している娘に求婚なんて?
「お嬢さん」
彼はそう云う。フィリパ、とは呼ばない。これまでどおりの呼びかただ。お嬢さん。結婚したら奥さんと呼ぶのだろうか。それとも、夫人?
子爵はどこかつめたさを帯びた目で、フィリパを見ている。
「もしかして、僕は君に、断られるのかな。だとしたら、理由を教えてほしい。君は僕の脚のことでは断らないだろうから」
「わたしは……」
フィリパは口をぱくつかせる。子爵。子爵さまが。このひとは年にどれだけの収入があるの? わたし達にはもうほとんどなにも残っていないというのに。そしてこのひとは、わたしに無駄にお金をかけるつもりなの? お母さまに反対されているのに?
子爵の母親はまっとうな人物らしいとフィリパは思った。子爵ならば、もっといい縁談が幾らでもあるのに、どうしてこんな田舎村の嫁き遅れをわざわざ迎えないといけないのか。
フィリパは頭を振った。「わたしは……」
「お嬢さん、だめだ」
「子爵さま」
「僕を見捨てないで」
か細い、縋るような声だった。
彼はこちらへ右手を伸ばし、フィリパは思わず左手を差し伸べた。そうしてからとてもいやな気分になった。左手。自分の左手。右手よりもよほど、自由にできる左手。針だって左手で持てば幾らでも、どんな縫いかただってできる。なのに。
ふたりの手が触れあった。
フィリパは口を開く。自分でもなにを云いたいのかわからないままに。
「ただいま!」
喚きとともに扉が開き、フィリパも子爵も、フィリパの傍に控えていたウィロウ邸の使用人も、そして子爵の使用人達も、そちらを見てかたまった。
戸口に、つやつやした黒の巻き毛を顔のまわりに散らし、しみひとつないつやのある滑らかな肌をした青年があらわれた。整った顔立ちだ。上質な琥珀のような瞳を、彼は怒りで少々曇らせている。
詰めものを必要としない肩はしかし、粗末な外套に包まれ、折角の長くて品のいい形をした脚も、粗雑なずぼんで覆い隠されていた。もっとも酷いのは靴で、左右で違うものをはいている。それも、右のほうはどうやら、底が抜けている様子だ。
青年は型崩れした鞄を音をたてて足許へ置き、帽子をとりながら云った。
「親愛なる姉さん、おはよう。また謹慎だよ。教授がたは僕の家が学校のすぐ近くにあると考えているらしい。でなきゃこう何度も何度も家に帰れなんて云うものか。学校へ戻ったらこの辺りの地図をさしあげなくちゃ。どれだけ僻地かってことをね。貸本屋もないんだから、まったく……」
そこまで云って、彼は姉が、見知らぬ男性と手を触れあわせていると気付いた。訝しげに眉をひそめる。だが、子爵が隙のない装いをしているからか、失礼な態度はとらなかった。「失礼ですが、どちらさまでしょう、卿? 邪魔をしましたか?」
フィリパは子爵のそばを離れ、三度目の謹慎をもらって神学校から戻ってきたジュリアンへ駈け寄った。
その後の数分間のことを、フィリパは覚えていない。
ただ、気付くと談話室の椅子へ腰掛けていて、戸口で子爵とジュリアンが話していた。ジュリアンは絵のように綺麗な顔をほころばせ、子爵はぎこちなく微笑んでいる。
「食事がまだだったので、気分が悪くなったのでしょう」
「そのようなことだろうか」
「繊細な姉には刺激が強かったんです。僕が落ち着かせますから、子爵さまは一旦、お邸へ」
「ああ……いや……」
ジュリアンはあんなに綺麗な子なのに、それにああやって穏やかに話すこともできるのに、どうして問題ばかり起こすのかしら、と、フィリパはそれを見ながら考えていた。神学校へ行ったのも当人の希望だったのに、もう三回も謹慎処分をもらっている。一度目は、教師に対して反抗的だったから。二度目は、同室の生徒に神学上の論争をふっかけたから。今度はなんだろう。誰かを殺したと云われても驚かないようにしなくては。もしくは、神へ仕える道を志さずに結婚したい相手が居る、と云われても。もう二度も、そのことで裏切られたのだから。
ジュリアンと子爵は一緒に出て行き、すぐにジュリアンだけが戻ってきた。弟は嬉しそうに笑っている。「姉さん、よかったじゃないか」
「なにが?」
フィリパは頭痛を感じ、額に手を遣る。「あなたが謹慎をもらって、どうしてよかったの。退学にならなかっただけましという意味?」
「そんなことは今どうでもいいよ」ジュリアンは一瞬顔をしかめたが、またすぐ笑顔になる。「姉さんにもやっといい話がやってきたんだ! 僕の不幸なんてその辺に放り投げときゃいい。ガブリエル辺りがバットで吹っ飛ばしてくれるさ。走れ走れ! ってね。ほら、ミセス・タロンを呼んで。彼女、結婚のことにはくわしいだろ。経験があるんだから」
フィリパは乾いた笑いをもらす。
「ジュール、残念ね、わたしには指南役が居ないの。彼女には去年ひまを出したのよ」
「結婚している使用人がひとりくらい居るだろう」
「だからなに?」
「姉さん! まさかと思うけど、子爵さまの話を断るつもり?」
フィリパは明言を避け、口を噤んだ。自分でも自分の気持ちがわからない。
ジュリアンはいらいらしたあしどりでやってくると、姉の隣に座った。丈夫でつやつやした爪を持つ指で、フィリパの手をそっと掴む。彼は姉の手を撫でて、顔をしかめた。
「姉さん」
「ジュリアン、わたしと彼とでは、釣り合わないわ」
「そうかもね」ジュリアンは臆面もなく云った。「姉さんは公爵とだって結婚できるよ。子爵程度では納得できないのかもしれないけれど、あいつ悪い人間には見えない。姉さんも我慢して手を打ったら?」
「冗談を聴きたい気分じゃないわ」
「冗談なんて云ってない」
ジュリアンは鼻に皺を寄せる。「ペギー・アン達のことなら心配ない。兄さんも居るし、僕だって今度こそ、謹慎をもらわないようにしているから」
「ジュリアン、あなた、わたしに、この家を捨てろって云うの」
「そうしたって」ジュリアンは肩をすくめた。不思議そうに姉を見る。「誰も文句を云わないさ。違う?」
フィリパは黙っていたかったが、ジュリアンは口を噤んでいると云うことがない。
せっけんづくりを手伝ってくれる予定だったペギー・アンがおりてきて、ふたりの話す声に談話室を覗きこむと、フィリパが停めるのも聴かずにすぐに子爵のことを話してしまった。
ペギー・アンは言葉少なに、せっけんのことは自分がやるので姉さんは休んでいて、というようなことを云い、厨房へ向かった。「なんだ、ペギー・アンは相変わらずだな」
ジュリアンは、自分の謹慎にも子爵の行動にも驚かないペギー・アンに、拍子抜けしたようだ。
続いて、ガブリエルと、ガブリエルに手をひかれたフローレンスとフレデリカが、談話室の扉が開いているの気付いて顔を覗かせた。ジュリアンが居るのを見て三人とも口をぽかんと開け、ジュリアンは質問される前に謹慎を食らったことと、戻ってきた丁度その時に姉が子爵さまに求婚されていたことを喋った。
三人は楽しそうに、非常に無邪気に喜び、フィリパは腹痛を感じて椅子の背凭れに体を預けた。
結婚式のドレスをつくると楽しそうに喋っている双子を、ガブリエルが宥めながらつれていく。フィリパは、はやく朝食の用意をしなくては、と思う。今日はせっけんづくりでレンジが塞がってしまうので、前日にパンや肉を焼いて、出せばいいだけにしてある。
椅子から体を起こしたいのに、うまくいかない。
「よう、エドガー」
「ジュリアン! また戻ったの?」
「煩い」
ジュリアンはくすくす笑い、這入ってきたエドガーを抱きしめた。エドガーは自分で工夫した組み合わせの服を着ている。古くさいものをペギー・アンが仕立て直している服は、まるで最新流行のようだ。ペギー・アンにしても、エドガーにしても、お金があればもっと、自分のしたいようにできるだろうに。最近は、型紙さえ買えなくなってきた。
ジュリアンがいたずらっぽく笑った。
「エレンはまだ寝てるのか。あいつに話せばみんなに吹聴してくれると思って、待ちかまえていたんだけれど。姉よりも先に婚約したあいつを」
「ジュリアン」フィリパはあまりにも驚いた所為で、彼にエレンのことを伝えそびれていたと気付いた。「ジュリアン、あのね、エレンはこの間猩紅熱をして、まだ部屋を出られないの」
ジュリアンは、エドガーの頬をつねっていた手をおろし、姉を振り返った。あおざめている。「猩紅熱? エレンは一回、やっただろ」
「猩紅熱に好かれやすいひとが居るのですって」
「薬代は……」
これはわたしの弟らしいところだわ、とフィリパは思い、自分の怪我の治療も、エレンの猩紅熱の治療も、大幅に子爵に頼ってしまったことを思い出した。
フィリパは気分が悪く、口を噤んでいる。エドガーが説明していた。「それで、姉さんが子爵を庇ったんだ」
「成程」
ジュリアンがしかつめらしい顔で頷く。エドガーは身震いした。フィリパははじめて、彼が部屋の窓から、フィリパが馬に弾きとばされるところを見たと知った。先程から、そのことを説明しているのだ。ガブリエルは勉強をしているふりであみものをしていて、見ていない。エドガーは勉強をしようとしたけれどすすまず、窓辺で外を見ていた。
「それで、姉さんは馬に蹴られて、倒れて……子爵さまがすぐに、サイ卿を呼んでくれて、それから何日か、ご自分でも看病してくれたんだよ」
「ふうん」ジュリアンはフィリパを見る。「いい隣人だ」
「ジュリアン」
「でもさ姉さん。ただの隣人で、まあ、庇ってくれたから感謝の気持ちがあるとしても、手ずから看病するって云うのは」
「ジュリアン!」フィリパは息を整えようとする。「くだらない話はしないで」
「くだらなくはない。姉さんの結婚のことだ」
ジュリアンはくいっと小首を傾げる。「云わせてもらうけど、姉さん。今朝のことを考えてやったんだと思うよ。いろいろとね。姉さんが断れないようによくしてくれたんだ。偶然の長い腕がふたりをひきあわせてくれた幸運を逃さずに、姉さんが自分に親しみや感謝を感じるよう、彼は頑張ったんじゃないか?」
フィリパは頭を振る。ジュリアンの云うことはいかにもそれらしいが、否定したかった。
ジュリアンは知らないのに。偶然、庭へ迷い込んだわたしを、子爵は追い払わなかった。
フィリパは厨房で、せっけんづくりを眺めている。
ペギー・アンはぬかりがなく、すでに朝食を広間へ運ばせていた。子ども達にはパンだけでいい。本当ならはちみつやジャムをあげたいが、どちらももうなくなっていた。
大きな鍋のなかで、灰汁と油脂がぐつぐつと煮えている。とびはねて手にかかったのに、ペギー・アンは眉ひとつ動かさなかった。ジュリアンはさっきなんて云っていたっけ? ペギー・アンになら任せても大丈夫。彼女は男だったら将校だったな。フランシスに手紙を書くよ。
フィリパはそれを停めなかった。気持ちはまっぷたつだ。自分が子爵に相応とは思えない。だから断りたい。
けれど、ここで断ったら、彼は脚のことを気に病むだろう。
彼を傷付けるのはいやだ。どんな理由で断っても、それは建前で、結局は脚のことが原因では、と思われるかもしれない。フィリパはそれはいやだった。彼に脚のことを考えさせるのも、自分がそんな些細なことを気にして断ったと思われるのも。
フィリパの気持ちは傾いていった。
翌日、フィリパは裁縫室に居た。ペギー・アンも一緒だ。
ジュリアンの服はどれも型が古く、生地がよれていて、しみや汚れ、穴やかぎ裂きの見本のようだった。
かぎ裂きはペギー・アンでもまったく綺麗にするのは無理で、そこに別布を宛ててそういうデザインのように見せている。「ペギー・アン、流石ね」
フィリパはジュリアンの、どうしようもなくくたびれたシャツを見ている。それでもまだ、着ることはできる。どうやって……。
「フィリパ、ペギー・アン」
吃驚して、ふたりは戸口を見た。
エドガーだ。怒ったような顔で這入ってきて、くたびれたケープを作業台へ叩きつける。「これを見た? ジュリアンのやつ、どうしてこんなもの着て平然としてられるのかわからないよ」
ペギー・アンが目をぐるりとさせた。エドガーの云うことは誇張ではなく、ケープはほとんどぼろきれだった。フィリパは苦笑いする。
「あたらしいのを仕立ててあげましょうか。エドガー、布を選んでくれる?」
フィリパはしばし、煩わしいあれやこれやを忘れた。
エドガーが布と型紙を選び、フィリパが布を裁ち、ペギー・アンが手早く縫っていく。弟妹達はフィリパが器用に左手をつかっても、なにも云わない。左手ではさみをつかうのにはこつがある。普通に、右手で持つように持ってはいけない。
「姉さん、ここにレースをつけようよ」
「ええ。どんなもの?」
「ジュリアンはあれだけ、ハンサムだから」エドガーは肩をすくめた。「もっと身なりに執着してもいいのに、神さまのことばかりなんだから不思議だよね、姉さん達?」
こういった襟を飾るような幅広のレースは、フィリパはあんだことがない。祖母があんでいたものを思い出して、シャトルに太めの糸をまきながら計画を立てた。
一段目――ひとつ目のリングは、4◦4◦4◦4。ひっくり返して、チェインは8。もとに戻して、4J4◦4◦4。これを繰り返し、襟のカーヴに会わせてチェインの数をところどころで6に減らす。
二段目は、一段目のリングの左のピコットに、シャトルつなぎしてはじめる。チェインを5、あんだら、リングをあむ。5◦5◦5◦5。また、チェインをあみ、次のピコにシャトルつなぎする。それ以降は、チェインを5、リング、チェインを5,次のリングのまんなかのピコへシャトルつなぎ、とやっていく。
三段目は、シャトルをふたつつかう。二段目の一番端のピコットにシャトルつなぎしたら、チェイン。3jk(8)3jk(8)3jk(8)3をあんで、次のピコにシャトルつなぎ。また、チェイン。6あんだら、リング(5◦5)、またチェインを6。次のリングのまんなかのピコットへシャトルつなぎする。ジョセフィンノットとリングのチェインを交互に、次のリングへとつないでいく。
できあがったレースは、ペギー・アンがケープへ縫い付けてくれた。エドガーは満足そうだ。
三人は一緒に裁縫室を出て、階下へ降りた。ジュリアンとガブリエルの声が、広間から聴こえてくる。「お前は主を冒瀆してる」
「兄さんこそ、神を愛しているのならどうして争いばかりするのさ」
「楽しんでるとこ悪いね」
エドガーがにこやかに割ってはいる。ジュリアンとガブリエルは顔を上げ、エドガーが自慢げに持ってきたケープに目を瞠った。
布地はそんなにいいものではないが、エドガーのセンスとペギー・アンの裁縫の腕はたしかだった。ジュリアンが着れば、どこかの貴公子のように見えることだろう。
エドガーはふざけた様子で、ジュリアンに恭しくケープを渡した。ジュリアンはあまり、喜んだふうではない。「これは?」
「ジュリアン兄さんのだよ」
「俺が着るのか? これを? 冗談だろう」
ジュリアンは鼻で笑ったが、ふと、なにかを思い付いたようにフィリパを見た。「このレース、姉さんが? エレンが云っていたけれど。最近レースをあんでいるって」
「ええ」
「ふうん。ありがとう」
ジュリアンはそう云って、広間を出て行った。
ジュリアンはすぐに戻ってきたが、フィリパは気を失いそうになった。弟が子爵をつれていて、しかも子爵があのケープを羽織っていたからだ。
エドガーが口をぱくつかせている。ジュリアン用に仕立てたケープは、背格好が近い子爵にぴったりだった。
子爵はにっこりする。「お嬢さん、あなたが僕のケープを仕立ててくれるとはね」
フィリパはジュリアンを睨む。弟は片眉を上げた。彼は子爵に、自分のケープを横流ししたらしい。
偶然にも、エドガーが「ジュリアンに合う色がない」と云って妥協で選んだ色が、子爵にはよく似合っていた。最初から、子爵の為に仕立てた、と云われて、疑うひとは居まい。
だが、子爵と目を合わせて、フィリパは気付いた。彼はジュリアンの嘘を見破っている。それでも、ジュリアンの話に付き合ってくれている。いたずらっぽい瞳がきらきらしていた。
「姉さん、子爵さまと話があるのじゃない」
ジュリアンはそう云って、エドガーやガブリエル、ペギー・アンをつれて出て行く。子爵がフィリパへ頷いた。「お嬢さん、僕は同情はほしくない」
「どうやってあなたに同情しろというの? あなたほど憎たらしいひともめずらしいわ」
フィリパは泣くみたいに云って、彼の手を掴んだ。「あなたはわたしのことを、どうして放っておいてくれないの」
「お嬢さん」
「あなたのことを考えると、わたし、気分が……」
フィリパはあいた右手で顔をさっと拭い、彼から目を逸らした。答えなくてはならない。
彼女が口を開いた時、訪いの声がした。
フィリパは戸口を見る。子爵が体をこわばらせた。
使用人が駈け込んできた、と思ったら、うすでの生地のドレスを着た女性が、やはりうすでの生地のドレスを着た若い女性と一緒に這入ってきた。使用人らしい女性達も一緒だ。そのなかに、ミセス・バーリーも居た。彼女はフィリパを見て、はっと息をのむ。
一番上等なケープを羽織った、地位の高そうな女性が、威厳のある声を出した。
「バーソロミュー、わたしの可愛い子、なにをしているの? まさか、またあのばかな話を繰り返すつもり?」
子爵は微笑んだ。「繰り返そうとしていたんですけれどね。たった今、あなたがぺしゃんこに潰してくれましたよ」
「それはよかった。あなたがどれだけごねても、わたしはここの誰とも親戚になるつもりはありませんからね」
子爵の母は顔をゆがめた。「あんな女の子ども達となんて」
ジュリアンの襟飾り
一段目
A:リング 4◦4◦4◦4
B:チェイン 8
C:リング 4j4◦4◦4
BとCを繰り返し、チェインを6に減らしてカーヴさせる。
二段目
一段目のリングの端のピコにシャトルつなぎし、まずチェインを15あむ。その後リング 5◦5◦5◦5◦5をあむ。
隣のピコにシャトルつなぎし、次からは一段目の隣のリングのまんなかのピコにシャトルつなぎする。
A:チェイン 5
B:リング 5◦5◦5◦5◦5
C:チェイン 5
これを繰り返す。
端もチェインを15つくり、端のピコにつなぐ。
三段目
シャトルをふたつつかう。一本の糸をシャトルふたつにまいておく。
二段目の端のピコにシャトルつなぎする。
A:チェイン 3●(8)3●(8)3●(8)3
B:チェイン 6 リング5◦5 チェイン 6
次のピコにシャトルつなぎし、次からは二段目の隣のリングのまんなかのピコにシャトルつなぎする。
反対の端も最初と同じようにつくる。