サロン
夕食をとり終わった後も、俺はサロンで分隊の皆と寛いでいた。
「珍しいなナトちゃんがサロンに居るなんて」
将校用のサロンからニルスがそう言ってやって来た。
「そうか?」
「そりゃそうだろう。だいいちナトーは飯食っちまうといつも直ぐに自分の部屋に籠って、シャワーの順番迄出て来やしなかったじゃないか」
「そうか、でもたまにはここにも来ていただろう?」
「ああ、確かに来ることもあった。だけどその時は必ず図書館から借りてきた本を読んでいて、まあ言ってみりゃあ居るだけだったぜ」
「すまない」
「まあまあ、ジェイソンもボッシュもそれくらいにしてやってくれ。今日は折角、こうしてナトーが俺たちの輪の中に入ってくれているんだ。こんなにメデテ―ことはない」
俺の隣に座っているトーニが、俺の肩に手を回そうとしてきたので席を立った。
「おっおいナトー、どこへ行っちゃうんだ?!」
ソファーに俯せになったトーニが、起き上がりざまに心配そうな顔を向ける。
「ビールで良いか? ただし一人一個だけど」
皆が口をポカーンと開けて、俺を見ている。
ニルスだけが「あー僕、ブロンシュね!」と白ビールを注文して来た。
他の連中は“おまかせ”なのか、それともいらないのか、振り返ったまま立ち止まって俺も固まる。
「馬鹿野郎!折角ナトーがおごってくれるって言うのに、その態度があるかよ。さあ、さあ付いて行くぞ!10人分のビールをナトーひとりに持たせたら罰が当たるぜ。おっと、ハバロフはその場所取られないように見張ってな」
「了解しました」
ハバロフが場所取りに残り、まだ腰かけていなかったニルスが席に座ろうとすると、トーニがその手を掴み付いて来いと引っ張る。
「いや、僕は将校だし……」と、抵抗を試みるニルスの肩をフランソワが軽く叩き「士官用のサロンを降りて来た時点で、少尉の看板は置いて来たんでしょ」と呟きニルスも渋々付いて来た。
「なにも付いて来ることはないぞ」
こんな所でも分隊行動してしまうのが少しだけ恥ずかしくて言ったけれど、ブラームから「みんな、ひと時の平和な瞬間を満喫したいのだろうさ」と言われ驚いた。
「知っているのか、次の任地のこと……」
「知らないでしょう。ですが、ヤバイところだって事は薄々感付いています。こういう仕事をしていると妙に直感が働くようになるんですよ」
「もし、俺がその任地を知っているとしたら、聞きたいか?」
「ナトー……あんたは恐らく知っているでしょうし、皆もその事に気が付いている。でも誰もその事について聞かないのは、任地が何処であろうが俺たちは行くしかないって事。だから気にしないでください」
さすが百戦錬磨と言われるLéMATの隊員だけのことはある。
入隊試験に合格してコルシカの空挺訓練でもいい成績を収めて、リビアとパリでの諜報任務が認められてトントン拍子に一等軍曹になった俺はこの部隊でまだ本当の実戦経験はないし、中東で反政府勢力に居た時も狙撃兵だった俺は常にあの忌まわしいヤザに守られていた。
だけどブラームをはじめ、モンタナやフランソワなど多くは既に中東やアフガニスタンと言う激戦地を何度も経験してきている。
階級以上に、この差は大きい。
皆とビールを飲みながら話す話題も、サッカーや自転車競技、それから映画やファッションの話ばかり。
そして皆がそれを本当に楽しそうに話す。
ニルスに聞き出そうとしたり、エマに聞き出そうとした俺は、その行為の愚かしさを身に染みるほど感じていた。
たしかにブラームの言う通り、俺たちには何の選択肢もないから、そこが地獄だとしても腹を括って行くしかない。
サロンが閉まるまで、皆とビールを飲みながら話していた。
1本目のビールは俺がおごり、2本目はニルスが、3本目からはそれぞれが買ってきて飲んだ。
本当に楽しいひと時、俺は今まで自分の勉強を優先してばかりでこの様に皆と飲んで話す機会を殆ど設けていなかったことを後悔する。
そんな俺にでも、こうして明るく慕ってくれる仲間たち。
皆の気持ちが嬉しくて、鼻がツンとして目が潤む。
「おっ、ナトーお前泣き上戸か?」
トーニが目ざとく俺の瞳に潤んできているものに気が付いて揶揄ってきて、皆からもワーッと囃し立てられる。
俺は正直になれずに「眠くなって欠伸をしたまでだ」と強がってしまう。
本当はひとりひとり抱きしめて、お礼を言いたい気持ちで一杯だったのに。
一般用のサロンが閉められる時間になり、俺たちは追い出されるようにゾロゾロとそこを後にする。皆はアルコール類厳禁の休憩室に行くが、俺は部屋に帰ることにした。
トーニをはじめ皆が残念がってくれたけれど、任地を知った以上俺にはしなければいけないことがある。
おそらく近いうちに発表があり、任地についての簡単な説明もあるだろう。
だが生き残るため、皆の安全を守るためには、それだけでは不十分。
俺は俺なりに精一杯、その土地の歴史や文化、簡単な言葉などを調べて覚えておく必要がある。
優秀な武器があるからと、相手の事も知らずに自ら戦いを挑み、そして死んだマルコポーロのような無様なことだけはしたくない。
ニルスが「じゃあ」と言って螺旋階段を登って士官用のサロンに戻る。
士官用のサロンは、こんなに広くはない代わり、門限がない。
その螺旋階段の手すりを見つめながら、ハンスが降りてくることを願っていたが、その姿は俺たちの前に現れることはなかった。




