エマの告白
パリの事件から2週間経った土曜日、俺たちの演習場にベルたちがやって来た。
約束していた射撃大会。
参加者はRAID(フランス国家警察特殊部隊)のベルと、その狙撃班の合計5人。
DGSI(国内治安総局)からはリズと、レイラの護送の時に俺の車を運転していたカイル、それと担当課長のモルガン。
DGSE(対外治安総局)のエマ。
それに、パリ警察のミューレ警部。
「ミューレ、もう大丈夫なのか……?」
見つけて直ぐに声を掛けたのは良いけれど、途中で胸を揉まれたことを思い出してしまい言葉が尻すぼみに小さくなる。
「ああ、もう大丈夫さ、ありがとう。退屈な入院生活だったが、これを乗り越えられたのも君のおかげだ」
話しているミューレの目が下に落ちて胸を見ないようにきつく睨むと、ミューレもそれが分かったらしく緊張した目に替わった。
「心配しないで。ミューレは今回の怪我で、警部から刑事部長に昇進して内勤に替わったのよ」
明るい声で教えてくれたのはリズ。
「なにせ、肺がひとつしか残っていないからな」
ミューレは、そう言って頭を掻いた。
「エマ、レイラは元気!?」
「元気よぉ。入って未だ2週間なのに、もうベテランみたいにバリバリ。ザリバンが奪還を企てるのも分かるわ」
「来れば良かったのに」
「誘ったんだけど、今は仕事を覚えるので精いっぱいなんですって」
レイラにしてみれば、今回の事件の発端が自分にある事を分かっているから、この様な場はそぐわないと判断したのだと思った。
「しかし珍しいわね、いつも殺風景なのに今日はまるでバーベキューパーティーみたいじゃない」
そう、ハンスに口説かれて渋々了解したエアガンのイベントが思わぬ結果となり、国軍からも褒められたテシューブが好い気になって、今日はメエキたち事務方がテントやバーベキューセットを用意してくれての“おもてなし”
もっともこれに関しては肩書に弱いテシューブの事だから、パリ警察の刑事部長になったミューレや、DGSIのモルガン担当課長が参加しているって言うのも大きな要因であることは確かだと思う。
午前中は5人一組の団体戦を行い、それからバーベキューパーティーを挟んで午後からは個人戦をした。
団体戦はRAIDの圧勝。
さすが狙撃のプロ集団。
個人戦は、ベルと俺が同点で、優勝を分け合った。
全ての競技を楽しんだ後は、またバーベキューを楽しみながら、今度は飲み会。
エマの酒乱が爆発して、皆の前で服を開けそうになるのを俺とリズで必死に止めた。
「ナトー、チョッといいか?」
飲み会も終盤に差し掛かったところでベルに呼ばれ、咄嗟に目がハンスの方を向いていた。
何故かハンスも、こっちを向いていて目が合う。
そしてハンスの目が“行ってこい”と合図を送る。
辺りは夕焼けも終わりかけ、夜の闇がもう手の届く所まできていた。
ブラブラと演習場を木立沿いに歩く。
「ありがとう。君のおかげでメヒアを撃てた」
「俺のおかげなんかじゃないさ、狙撃が成功したのはベルが本来の力を出せたからだよ。あの距離とあの角度でヒットさせるなんて、そうそうできる事じゃない。しかもホンノ少しでも外せばメヒアじゃなくレイラの方を撃ってしまう。さすがだよ」
「君に会わないまま、いや君に言われないままこの作戦についていたなら撃てなかった。本当にありがとう」
「礼を言うのはこっちの方さ。あのときベルが撃たなければ、みすみすメヒアを逃がしてしまい、レイラは殺されていた。本当にありがとう。……ところで、何故直ぐに撃たなかった?」
「鳩が飛んでいた」
「鳩?」
「そう。角度的には、かなり厳しかったけれど、撃つつもりでいた。ところが俺の居るビルと君たちの居るビルの間に、何羽もの鳩の群れが飛び回っていた。そして、その鳩たちがスーッと居なくなった途端、メヒアが動いてハッキリと捉えることが出来た。もしもあの時、焦って撃っていたら鳩に当たって弾道が変わってしまったか、鳩に当たらなくてもメヒアを外していたかもしれなかった」
「そうか……鳩か……」
「なに?」
「いや、鳩は平和のシンボルだなって思って」
「平和か」
「さあ戻ろう。皆が待っている」
そう言ってベルの手を引いた。
空は深い紺色から黒へと変わり、その闇の中をキラキラと幾つもの星が輝き始めていた。
飲み会が終わったあと酔ったエマが泊まると言い出して、メエキが仕方なく来客用の部屋を用意したが、今度はひとりでは眠れないと駄々をこねて、俺が一緒に寝ることになった。
俺が一緒に寝ることになり、機嫌を取り戻したエマは、部屋に入るなりサッサとシャワーを浴びてベッドに横になる。
しばらく様子を見ながら、お喋りをしていたけれど、俺も眠くなってきたのでバーベキューの油煙でベトベトしてしまった体を洗い流すためにシャワーを浴びに入った。
温かいシャワーを浴びながら今回のパリでのこと、そしてエマと出会ったリビアでのことを思い出していた。
なんとなく、今回のエマは、おとなしかったな……。
そのことがズット気になっていた。
部屋のシャワーを浴び終わり、ベッドに向かうとエマはもう眠っていた。
開けたシーツを肩まで掛け直してそっと自分の部屋に戻ろうとしたとき、エマに手を掴まれ振り向くと、そこにはお酒に酔っているエマではなくハッキリと正気のエマが居た。
よく見ると、そのエマの目には涙が溜まっている。
「どうしたのエマ。悪い夢でも見たの?」
まるでお母さんが子供に言うような言葉が、自然に出た。
エマは涙で潤んだ目を大きく開けて俺を見て言った。
「ごめんね。私、何も出来なくて」と。
屹度、今回の作戦の事だと思った。
DGSEの任務は、外国向け。
国内のテロに対して、エマたちが表に出ないのは当たり前のこと。
「なにも出来ないことはなかっただろ。エマが居なければ、この作戦自体がなかったじゃないか」
「ううん。そう言うことじゃなくて……私、DGSIの更迭された前の担当課長が、ナトちゃんに何か悪だくみを仕掛けようとしているの、何となく分かっていたの。でも、それを止められなかった。それにあの護送車の時だって何も出来ずに、おまけにレイラ救出作戦だって、まんまと敵に欺かれてしまって……」
いつの間にかエマの大きなブラウンの瞳から、幾つもの涙が零れ落ちていた。
俺は、バスローブを脱ぎ、シーツを捲ってエマの隣で横になる。
「いいよ、そんなこと気にしないで。DGSIの前の課長はハンスが糾弾してくれていなくなったし、新しい課長からはチャンと謝罪もしてもらったよ。そしてレイラ救出作戦はベルが片を付けてくれた。人間は万能じゃないから、ひとりで何でもできる訳じゃない。だから友達や仲間が、そして恋人や家族がいるんだろ。そんなことで、くよくよするなんてエマらしくないぞ」
エマの涙を手で拭いながら話を続けた。
「知っていたよ。エマが何かに苦しんでいること」
「知っていた……」
「それが何かは分からなかったけれどね。だって作戦の後半、いつもの元気ハツラツなエマじゃなかったから」
「ゴメン。心配かけていたのね」
「いいさ、エマの悩み事が私だってわかって、ますますエマが好きになったよ。いつも気にかけてくれて、あるがとう」
そう言うと、エマの体を抱き寄せて、その唇に自分の唇を当てて、直ぐに顔を離してエマの目を見つめて言った。
「好きだよ、エマ」
「私も大好きよ、ナトちゃん」
エマが俺を抱き寄せる。
俺もその手に身を委ねた。
「ナトちゃん、外人部隊では男扱いなんでしょ」
「そうだけど……」
「じゃあ、今のナトちゃんは男なの?」
「さあ、それは――」
なにか答えようとした俺の唇を、エマの唇が塞ぐ。
「脚、寒い?」
そう言って、お互いの脚を絡め合う。
その夜はベッドで、お互いの疲れた体をお互いが眠りについてしまうまで、いつまでもいつまでも温めあっていた。
 




