護送車
エマが手伝ってくれて、服の最後のボタンを掛け終わったとき「魅力的よ」と言われて、頬がポッと熱くなり俯いた。
褒められるのはとても嬉しいけれど、苦手だ。
だいたい今まで生きてきた中で、褒められた記憶のあるのはサオリたちと赤十字難民キャンプで過ごしていた、あの6年間くらいなもの。
もちろんハイファが生きていた頃のヤザの家では、たいそう可愛がられていたことは死んだバラクから教えて貰っていたが、その頃は幼過ぎて殆ど記憶にない。
エマは、どことなくサオリに似ている。
サオリに比べるとエッチだけど、サオリと同じように俺のことを見てくれていて、そしてよく褒めてくれる。
更衣室から出てリズたちが居る所に戻ると、作業や打ち合わせをしていた人たちが俺を振り返った。
“いったい何!?”
一瞬振り返っただけで作業に戻る人もいたが、そのまま俺を見ている人もいる。
“もしかして、違う服を着させたんじゃないだろうな”
小声でエマに聞くと、チャンとした官給品の制服だと答えた。
“では何故?”
答えは、直ぐに出た。
「あら、ナトちゃんが制服を着ると、まるで芸能人の一日署長さんみたいね!」
「えっ!? そんなに似合わないか??」
「ううん。似合い過ぎて、そのままポスターにしたいくらいよ」
そんな風に言われると、なんだか恥ずかしい。
「折角好い感じなんだけど、これ着てもらえる」
渡されたのは防弾チョッキ。
しかし普通の物とは違い、バッテリーが付いている。
「これ、何のために付いているんだ?」
「身の安全のため。それよりナトちゃんには、もっと重要なことがあるの」
リズに手を引かれて護衛の車の助手席に乗る。
「襲撃に会ったら、直ぐに俯せて」
「こうか?」
「そう。そうしたら膝の先にボタンが有るでしょ」
言われた場所を探すと、確かに何かボタンらしきものが有った。
「これか?」
「そう。それを押して」
言われるままにボタンを押すと、携帯電話サイズの液晶モニターが出てきた。
「モニターが出てきたでしょ。それタッチパネル式になっているから、画面を触ると上下左右とズームの操作が出来るようになっているの」
「これでレイラを確認するんだな」
「そうよ。そして今の画面は車のフロントに仕掛けられたカメラの映像だけど、角度を替えたければ指でタップすれは今度は右のミラーのカメラ、更に2度タップすれば左に替わるの。そして……」
説明するリズが、押し殺した声に替わる。
「もしも、レイラが裏切ったときは、裏にあるボタンを押して。 そうすれば、全車にその事が知らされる」
そして、いよいよ出発。
護送車に乗り込むレイラがチラッと俺を見る。
目を合わせて頷くと、レイラも頷いて、そして扉の向こうに消えた。
不意に足元を見る。
“レイラが裏切ったときは、裏にあるボタンを押して”
リズの押し殺した声が重くのしかかる。
もしもレイラが裏切れば、この計画はお終いになるばかりか、逆に手の内を知られてしまう俺たちの方が危なくなる。
だけどレイラは裏切らない。
確証は何もないけれど、あの目は裏切らない目だと信じている。
“コンコン”と窓を軽くたたく音に振り向くとエマだった。
防弾仕様のこの車は、窓が開かないのでドアを開けると「じゃあナトちゃん気を付けてね!」と言われ、いきなりキスをされてしまった。
隣でハンドルを握っていた若い警察官が、慌てて向こうに顔を向け咳払いをした。
エマの後ろではリズも手を振っていた。
車のエンジンが掛る。
先頭の車が出て、次に護送車が出る。
俺たちの車も、その後に付いて行く。
DGSEのある20区から、DGSIの政治犯収容所のあるオードセーヌまでは環状道路を使えば、僅か30分程度で着く。
エマたちの部隊は、その環状道路を進み目的地に向かう。
だが俺たちはモルティエ通りを右に曲がり環状道路に入らないで、真直ぐに進んでアルジェリ通りを進み、ピュット・シュー・シャポールージュ公園の脇を通る。
公園とテニスコートに挟まれたこの区間は、建物が少なくて緑が多い第1関門。
もっとも“関門”と言っても、敵を防ぐわけではないから緊張はするが、俺たちに出来ることは特にない。
無事に公園の横を抜けると、今度は環状道路を挟んで左にフィルハーモー・ド・パリにオンブル庭園が続き、右にはスタジアムと公園が続く道。
しかし、ここも何事もなくマクドナール通りに入る橋を渡る。
橋を渡ると道は緩やかに左にカーブして、イル庭園の乗馬場とシテ化学産業博物館とショッピングモールを左に見ながら進み、右に鉄道の高架橋を潜り、そのままマクドナール通りを進んだ。
「ナカナカ仕掛けてこないですね。――まあ、何も無いに越したことは無いですが」
ワザと仕掛けやすいポイントを選んだことが裏目に出たのか、ここまでは何もなく、緊張していた気持ちが緩んだのかドライバーが話し掛けてきた。
なにか気の利いた一言でも返せれば良いのだけれど、俺にはそう言った能力が欠けているのが悔しくて「ああ」とだけ答えた。
ネ通りに入り、再び鉄道の高架下を抜けペシュエール通りに入ると、全工程の半分が過ぎた。
“本当に何もないのかも知れない”
一旦ワグラム通りに入り、エトワール凱旋門を抜けると右手にトロカデオ庭園とエッフェル塔を見ながらポール・デュメ通りとポーセジュール通りを抜ける。
あとはモンモレシュー通りと、オートゥイル通りを抜ければDGSIの政治犯収容施設に到着する。
ところが、そのモンモレシュー通りの手前で大型トラック同士の交通事故があり、道端に積み荷が散乱していた。
警官が出て交通整理をしていて、俺たちは一旦ブローニュの森を通るイボドローム通りを通ることになった。
そして、そのイボドローム通りでもまた交通事故。
警官らしき人物が車に指示を出していた。
「いよいよ、おいでなすった感じですね」
緊張を紛らわすように、ドライバーが言った。
「無線は有るか?」
「ありますが、何か」
「先頭の車と話がしたい」
そう言うと、マイクを渡された。
俺は先頭の車に連絡する。
警官が何を言って来ても、何をしてきても、決してドアは開くなと。
先頭の車からは“でも、何故?”と了解した旨と、明らかに部外者の俺の指示に対する不満の声が聞こえた。
「防弾仕様のこの車は、閉め切っていれば安全だがドアを少しでも開けてしまうと何があるか分からない。おそらく我々はもう敵の罠の真っただ中にいる。今は護送や作戦の事よりも自分自身の身の安全を最優先に考えろ。作戦が失敗したとしても取り返すことは必ずできる。しかし1度失った命は、2度と取り戻すことはできない」
そこまで言うと先頭の車から「分かりました」と緊張感の籠った声が聞こえた。
その会話を聞いていたドライバーがニコニコ笑いながら話し掛けてきた。
「リズやエマさんがナトーさんのことを信頼してこの車に乗せたのが、今ようやく分かりました。たしかに失敗は許されないけれど、生きていればその失敗を糧にして取り返すことも出来ますが、死んだら全てが終わってしまう。そう言うことですね」
「そう。君たちの家族や友人は、決して君たちが英雄になる事なんて望んではいない。望んでいるのは生きて帰って来る事だけだ」




