逆スパイ作戦①
DGSE本部、エマのオフィス。
「リズたちDGSIの協力で、ナトちゃんの暗殺計画は一応頓挫したとみていいでしょうね」
エマは用心のために“一応”という一言を付け加えたが、そもそも俺の暗殺計画自体の本気度は薄かったと思っていた。
なぜなら、それはザリバンにはヤザがいるから。
ヤザは決して俺を暗殺などしない。
もしも本当に殺す気なら、ヤザ本人が出てくるはず。
「どうしたの?」
「んっ? なんでもない」
「そう……。そこで、次の問題はレイラの奪還と、ノートルダム大聖堂の爆破の日にちね」
たしかにDGSEの一部と、DGSI、それにRAIDのベル班とパリ警察にLéMATだけでは、24時間体制を取るにしては限度がある。
「万全の警備体制を取るのなら、戦力を集中させる必要があるけれど、決行日が分からない事には難しいわね」
「俺を暗殺しようとしていた奴らは、決行日を知らなかったのか?」
「残念ながら彼らは金で雇われただけで、ザリバンの人間ではなかったようよ」
「じゃあ、打つ手なしか」
「いいえ、ひとつだけ手があるわ」
「ひとつだけ?」
「そう。密偵を送り込むの」
「密偵……まさか!?」
「そう。そのまさか」
「駄目だ。拘置所の中とは言え、折角正気を取り戻して平和に暮らしているというのに!」
エマが密偵として送り込むと言うのはレイラのことだ。
レイラなら敵も奪還を考えているはずだし、敵の手に渡ればノートルダム大聖堂爆破作戦を担っている組織の中枢に潜り込むことも簡単にできるはず。
しかし、今のレイラにとって、この任務は酷だ。
「やめろ。レイラが駄目になる」
「そうよね、私もそう思っていたの。だけど、これはそのレイラ自身が言い出したことなのよ」
「レイラ自身が? ありえない!」
真意を確かめるために、エマと二人でレイラに会いに行くと、いつものように優しくて穏やかなレイラが出て来て話した。
「ザリバンが私の奪還を考えている事は言われなくても、あなたたちに捕まったときから分かっていたわ。だって私はハイテク女子だから彼らに出来ない事が出来るからね」
そう言って、穏やかに笑う。
「でも、DGSEの収容施設に居る限り、ザリバンは手も足も出ないわ。ここのセキュリティーって強力ですもの」
そこまで言ったあと、レイラの表情が厳しく変わった。
「テロリストが、捕まった幹部を救い出す方法は色々あるわ。でも共通しているのは、そのターゲットが何の罪もない民間人であること。たとえばハイジャックなら、このセキュリティーの厳しいヨーロッパの空港じゃなくても、世界中何処だっていいの。アフリカでもアジアでも南米でも、百数十人の命と私の命を天秤にかける。私を出さなければ、その人たちは死ぬの……だから、私は生きているべきではなかった」
「そんなことは無い! 生きているべきでない命など、この世の中に存在はしない」
「ナトー……あなた優しいのね」
多くの多国籍軍の兵士を殺してきた過去のある俺を知らないのだろう。レイラは、その俺に“優しい”と言う。
俺は返す言葉もなく、ただ俯くだけだった。
レイラは再びザリバンに戻り、逆スパイとして情報を送ることに同意した。同意と言っても、それはもう既にレイラ自身の考えでもあった。
それから数日後、エマのオフィスで作戦の概要が決まった。
レイラの移送はDGSEの管轄から、DGSIの管轄に移行する名目で行なわれ、護送車はパリ警察の車両を改造して使用することになった。
「改造って?」
「まあ大まかなところで言うと、防弾装備ね。犠牲者は出したくないから」
「犠牲者を出したくないと言っても、まさか敵の目の前でレイラを放り出して逃げる訳にもいかないだろう?」
「その点は、我がDGSIにお任せあれってところねっ」
自信ありげにリズが言った。
護衛の車両は護送車の前後に1台ずつで、予め狙われている事が分かっているので身の安全を確保できにくいオートバイは使用されない。
「たったそれだけ?」
「一応、後ろからは囮の護送車が付いて来ることになっているのよ。こっちの方はオートバイ4台に護衛のパトカーも4台付くの。護送車も大型の頑丈なやつ」
「間違って、そっちに喰いつく可能性は?」
「ゼロよ。既にハッキング情報から、それらしいサイトの目星は付けてあるから、事前にそのサイトがハッキングしたことを確かめた後で実行に移すから。それに囮に喰いつこうものなら最初の計画からは外れてしまうけれど。それこそ一網打尽よ」
自信満々で警備体制を語っていたリズの表情が変わる。
「どうした?」
「……っで、相談なんだけど、ナトちゃんレイラの護衛の車に乗ってくれないかな」
「部隊がOKしてくれれば乗るけれど、どうして?」
「う~ん――。相手がレイラをその場で射殺する可能性もあると思うの。その場合は、レイラが撃たれる前に、守ってあげないといけないでしょ」
「たしかに……でも、何故俺が? 警察やDGSIにも狙撃の上手いヤツなんて沢山居るだろ」
「そりゃあ居るけれど、ナトちゃんには敵わないわ。貴女の拳銃での射撃成績を見ていると、どうしても欲しくて」
「たしかにね」
今まで黙って聞いていたエマが頷いた。
「ライフルでの射撃も五輪金メダリストと互角以上、拳銃での成績も何度も600点満点を出しているから五輪に出ればメダルは確実――それに格闘技も半端ないくらい強いし頭も良い。どういうふうに……いや、誰に育てられたら、こう言うふうになれるの?」
エマとリズが同時に、俺の顔を覗き込んでくる。
「だから、俺は孤児だったから、そんなことは知らない」
平和な家庭で育った人たちの前で、物心ついた時から銃を玩具として与えられ、銃で人を殺し喧嘩で金品を奪う生活をしていたなんて、とても言えない。
この仕事をしていてその経験が大いに活かされているのは確かな事だけど、時間を戻すことが出来たなら、ヤザとハイファと三人で平和に暮らしていた時代に戻りたい。
いや、その前の、本当のママとパパに大切に育てられてみたかった。
そして、狙撃も格闘技も出来なくていいから、普通の女の子として普通に学校に通って普通に恋愛もしてみたかった。
フランス外人部隊略帽を冠ったナトー




