セルゲイのアジト②
銃撃戦が始まる。
「敵は何人だ!?」
「今んところ、とりあえず2人」
「すまないが5分だけ、時間をくれ」
「あいよ。この消火器を借りるぜ」
たしか入り口のドアの横に消火器が置いてあるのは見たが、この銃撃戦の最中に一体何をしようというのだろう?
ゴトンと何か弾力のあるモノが床に落ちる音がした。
屹度、消火器に付いているゴムホースを切ったのだろう。
でも、切る意味は何なのだ?
接近戦に備えて、ホースが付いたままの方が良くはないか?
次の瞬間ゴロゴロと消火器本隊が廊下を転がって行く音が響く。
“なるほど、そう言うことか!”
トーニは銃だけで敵の攻撃を防ぐのではなく、そこへ“一捻り”加えて敵が攻撃しにくい手段を思いついたのだ。
消火器が転がったあと、トーニが拳銃を発射する音が響く。
パンパンパンパンパン……パンパンパンパンパン。
丁度10発撃った時、ボーンという爆発音と悲鳴が聞こえた。
ここに置いてあったのは粉末ABC加圧式消火器で、この消火器はA=普通火災、B=油火災、C=電気火災に対応する消火器として一般に広く普及しているが、取り扱い方を間違うと非常に危険な構造を持っている。
と言うのも、使用する場面は火災現場なので、できるだけ火から離れた位置で有効に使えるようにしたい。
そのためにレバーを引くことにより、消火器に内蔵してある二酸化炭素のボンベの封印が切られ、大気圧の約15倍ものガスが消火器内に詰めてある粉末消火剤を押し出す仕組みになっている。
15倍の気圧とは、水深140mの圧力に相当するから、とんでもない圧力だと言えるだろう。
そしてトーニは拳銃でボンベに穴を開けることにより、二酸化炭素のボンベの封印を解き、開けられた穴から一気にガスを噴出させたのだからチョットしたガス爆発。
もっとも消火ボンベの爆発事故は、死者も出ているから取扱いには御用心。
トーニが時間を稼いでくれているうちに、ハードディスクの取り出しが終わったので、もうここには用がない。
通信機器の配線類を引き千切り、天井の点検口を開けて、それに火を点けた。
配線を覆う薄いビニールに火が付き、黒い煙が上がる。
消火器を持ってきた敵が部屋に入り火を消し、直ぐに点検口が開いているのを見つけた。
「奴等は点検口から逃げた‼」
詰めかけた敵兵が部屋から出て行き、火を消し止めた最後の1人も遅れてはなるまいとばかりに勢いよく廊下を駆けて行った。
まだ少し消火器の煙が残る部屋の中、ゲホゲホと咳き込む男の声が密やかにする。
「ふぇ~死ぬかと思った」
「たった3分だぞ」
「そう言うけれど、3分も息を止めた事がねえから、もう頭の中がクラクラするし、視界もどことなく暗く見えるぜ。それにしても、ドアの裏側に隠れているだけなのに、良く見つからなかったな」
「まあな」
今でこそ、自由に火を扱う人類だが、火の恐ろしさは野生動物同様に記憶の奥底に残っている。
当然、火が起こるはずもない所での火災は最大の危機として反射的に認識されるから、眼は直ぐに火に釘付けになってしまう。
突然、火災を発見した時の行動パターンは、2つ。
逃げるか、消火するかのどちらか。
余程使命感の強いか、余程冷徹な人間ではない限り、そこで敵と戦おうと考えるような奴はいない。
まして、命を狙われて追われる立場でもなく、命令のもとに追っている立場の人間なら尚更。
だから奴等の目はドアを開けて目の前の火に釘付けになり、消火活動をしてホッとした所で顔を上げたときに点検口が空いていることを見つけた時に、部屋の中を探すと言う肝心なプロセスを飛ばしてしまった。
それは誰もが犯すミス。
普通なら部屋に入り私たちを探すか戦うかして、もしも居なかったときに脱出ルートを見つけて追うはずの所に、消火活動と言う余計な時間が割り込んだのだ。
ミスをした時に人が焦る様に、緊迫した場面などで予定外に掛かった時間を真面目な人間ほど取り戻そうとしてしまう。
まして親玉が、あの非常なセルゲイ大佐なら余計に焦るだろう。
点検口が空いていることを見つけた奴等は私たちが点検口に上がり、逃げ際に火を放ったと思い込み、そこから時間を逆算してどのくらい逃げたかを推測する。
消火活動に費やした時間は、途方もなく大きい。
だから奴等は反射的にドアの裏側も確認せず、私たちの居ない天井裏を追って走り去ったのだ。




