射撃対決③
「なんだ、こりゃ? これ本当に置くのか??」
「軍曹が置けって言うんだから、そうなんだろ」
「って言ってもよぉボッシュ、これじゃあまるで夜店の射的じゃねえか?」
「そりゃそうだ。トーニ、スイッチ入れるのを忘れるなよ」
「あいよ」
「10射目! なを、ここで差が付かなければ、これ以降サドンデスに入る」
「引き分けは無しだとよ、折角イーブンで来たのに残念だったな」
ハンスに聞こえないように、ベルが俺を見て囁いた。
そのあと、的が上がった。
「なんだ、あれは!?」
それまで傍観していたミューレが驚いたように大きな声を上げた。
無理もない。
的として出てきたのは、シンバルを持った猿の玩具。
ベルがチラッと俺を見てニヤッと笑う。
「10射目、ナトー、はじめ!」
スコープ越しに見えるのは、玩具の猿の顔。
その額には、10点のシールが貼られていて、猿がシンバルを打つ時に微妙に上下に跳ねるし振動で左右にも動く。
今迄の動かない的とは違うが、この的の意味するところは、それだけではない。
“パンッ”
発射音と共に、猿の玩具が台から転がり落ちる。
それを、的係のトーニが再び台の上に置く。
弾が当たった衝撃か、落下した衝撃なのかは分からないが、玩具の猿はもうシンバルを打ち鳴らさないしキイキイと叫びもしない。
「ナトー、10点」
ニルスが得点を告げた。
次は、ベルの番。
「10射目、ベル、はじめ!」
ハンスの号令から3秒が経つ、今までならベルが引き金を引いて、撃っていた時間。
ベルは必ず3秒後に撃っていた。
ところが、今はどうだ。
撃たないどころか、今まで汗ひとつ書かずに涼しい顔をしていたベルの額には流れるような汗。
そしてその顔は苦しみに耐えるように醜く歪んでいる。
「5秒経過、2、3、4」
ハンスが超過時間、つまりペナルティーを告げ始めたころ、ようやくパンと言う発射音が響いた。
衝撃で額に溜まった汗が飛び散る。
弾は的から大きく外れて、トーニとボッシュが隠れている塹壕の真上付近に砂ぼこりを上げ、直ぐにトーニの悲鳴らしきものが聞こえた。
それ以外は静まり返る会場。
シンバルを鳴らし続ける猿。
その猿がキイキイと鳴いたとき、ニルスが得点を告げた。
「ベル、マイナス4点で試合終了!」
「最終得点はベル選手85点対ナトー選手99点、よってこの試合はナトー選手の勝利とする」
ニルスに続いてハンスが勝負の結果を告げると、ベルが仰向けになり肘で額を覆った。
「なにか異議は有るか?」
ハンスが聞くと、手で顔を覆たまま「異議なし」とベルが答えた。
エマたちが拍手して祝ってくれるなか、テシューブだけが不機嫌な顔をしてその場を後にした。
「キミ、事務長さんに、そうとう嫌われているみたいね。何かしたの?」
聞いてきたエマに、最初からだと答えると、なんとか関係を改善させておかないと“地獄の戦場”に派遣されちゃうよと言われた。
「地獄の戦場?」
丁度俺がエマに聞き返したとき、ベルが俺の名前を呼んだ。
「ナトー! ちょっといいか」
振り返るといつの間にか起き上がっていたベルが、指でこっちに来るように合図した。
「チョッとアンタ、何するつもり?!」
「2人だけで話がしたい」
エマの問いに、ベルが答える。
「その子に手を出したら、生きてここを出られないよ!」
「ああ、エマ分かっているさ。ハンス、チョッと借りるぜ」
「俺に聞かれても困る。着いて行く、行かないは本人の自由意志だ」
そう言って、そっぽを向いたハンスをニルスが肘で小突くのが見えた。
射撃場の外を暫く歩き、小高い丘の木陰に座った。
「立証してみせたな」
「すまない」
「いいさ、俺もスッキリしたよ。今までのメダリストであった肩の荷がこれで降りた」
「肩の荷が下りた? 辞めるつもりか」
「ああ、前から思っていたんだけど、紙の的しか撃てない狙撃手は用無し。……そうだろう?」
「本当に、紙の的しか撃てないんだったらな。だがベル、君は甘い」
「甘い?」
「そう。君たちが撃つのは“犯人”つまり既に人を殺しているような、撃たれてもおかしくはない人間だ。そして、その犯人が狙っているのは君ではない他の人物。たとえ外したところで君自身が撃たれることは先ず無い」
「……たしかに」
「法にのっとった、いわば死刑執行人。決して外すことのない君の辛さは分かる。だけど、俺たち“戦争屋”は違う」
「すまない、あのときは言葉のはずみで――許してくれ」
「かまわない。君たち死刑執行人と、俺たち戦争屋の大きな違いは何処だと思う」
「そりゃあ簡単さ、さっきお前が言った通り俺たちが撃つのは犯罪者限定。そしてお前たちは敵であれば誰でも撃つし、敵からも常に撃たれる危険がある。特に狙撃手同士での戦いになると、外すことは相手に順番を回してやることになり、すなわち死を意味する。……違うか?」
「たしかに、その通りだ。俺たちは撃てと命令されれば、恋人からの手紙を読んでいる新米の兵士だって撃つし、場合によっては戦争の意味も知らない幼い子供だって撃つ。犯罪者じゃない。ただ自分たちにとって安全な存在か、そうでないかだけの身勝手な理由だ。ただ、徹底的に違う箇所がある」
「徹底的に違う?」
「そう。俺たちには敵を即死させる必要は全くない。要人暗殺任務以外では、撃たれた相手が1時間後に死のうが1週間後に死のうが、死なないで除隊しようが構わない。必要なのは相手の戦力が落ちればいい。要人暗殺にしても最終的に撃たれた傷で死ねばいい。相手がどれだけ苦しもうが、知った事ではない」
「……」
「だけどベル、君たちは違うだろ。射殺命令が出ればどんな極悪非道の犯人にさえ、苦しみを与えないように即死させる。俺たちが5点でも許されるところを、君たちには常10点が要求される。だから9射目に10点を外したとき悔しがった」
「ああ、ありがとう。そこまで俺のことを分かってくれていて嬉しいよ。これで俺も心残りなく引退が出来る」
そう言ってベルは遠い空を見た。
丘に噴き上げる風は澄んでいて気持ちが好い。
「本当に、それでいいのか?」
「いいさ……」
「本当に、犯人の死を部下に委ねてもいいのか? 部下が常に100パーセント10点の射撃ができると言う自信は持てるのか? 部下の感情や体調の管理まで把握できるのか?部下の中に君以上の人間は居るのか?」
そこで俺は一旦言葉を切って、再び言った。
「部下に、君の抱えていた問題を、放り投げて逃げるのか!?」
小鳥たちが木の上に止まり、そしてまた空に飛び立って行った。
「……受けるよ」
ベルは、その小鳥たちが飛んで行った遠い空を見上げて言った。
「えっ!?」
「今回のパリの任務、受けさせてくれ」
「いいよ」
俺の言葉にベルが振り向いて、はにかんだ。
「自分から頼んでおいてなんだが、条件を1つ付けさせてもらえないか?」
「なに?」
「パリの任務が終わったあと、もう1回勝負をしてくれ。今度は俺のチームを連れて行く」
「いいよ」
いつの間にか西に傾きかけた太陽が、空の端を薄っすらと赤く染め始めていた。




