遅い朝食②
父の名はアンドリュー・ブラッドショウ。
母の名はナオミ・ブラッドショウ。
「お母さんは日本人なのか!?」
私の問いにサラはNOと答えたあと、共に偽名だと言った。
「でも」
「お母さんの髪は金髪だった」
偽名だと分かったのは事件の後。
爆発現場にいたはずの両親の名前は、イラクへの入国者名簿には載っていなくて、アパートを借りるときに交わした不動産契約書に掛かれたイギリスの住所も、別の見ず知らずの他人のものだった。
「どんな人だった?」
「2人とも優しくて、賢い人だったわ」
「私が生まれてから、遊園地に行ったことは?」
「あるよ。バクダッドのザウラパーク……もしかして覚えているの⁉」
「分からない。でも回転木馬に乗った気がする。そして私の前にいた金髪の子が、白い馬から何度も私の方に振り向いては手を振ってくれていた」
「凄いね。写真も残っていないのに、0歳の記憶を鮮明に覚えているなんて」
「あっているのか?」
「あっているよ。ナトーはお母さんに抱かれてカボチャの馬車に乗っていて、私は斜め前の白い木馬に乗っていた。妹が可愛かったのは勿論だけど、ナトーにお母さんを取れてしまうんじゃないかと心配して何度も振り返っていたのを今でも覚えているわ」
「他に覚えていることは!?」
サラが珍しく興奮して身を乗り出してきた。
「ない。うっすらと覚えているのは、これだけ。その後の記憶は、暗い穴の中に押し込められて必死に助けを求めて泣いていた記憶」
それまでウキウキしていたサラの表情が急に変わる。
「どうした?」
不安になって聞くと、事件が起きたのは家族で遊園地に行った次の日の事だと教えてくれた。
サラがまた身を乗り出して聞いて来た。
ナトーと言う名前は誰が付けたのかと。
名前はハイファが付けた。
「本名なのか?」
「本名よ。アナタの名前は私の知る限りではナトー・エリザベス・ブラッドショウ。全てあっている。何故?そもそも瓦礫の中に埋もれていたと言うけれど、どうしてアナタの顔には傷ひとつ無いの?普通なら頭の形が変形していても、おかしくないと思わない?」
「でも1階に居たら……」
「事件の事、調べていないの?」
調べていない訳ではないが、それを調べたのは外人部隊に入ってからなので、詳しいかと聞かれれば決して詳しくはない。
何しろあの頃は爆発物を使ったテロが頻繁に行われていたから、そのひとつひとつの詳細な事までは書かれていない。
「何があった!?」
サラは知っているのだ。
あそこで何があったのかを。
私の両親が爆発に巻き込まれたのはバクダッド中心部に近い6階建てのビル。
その日は新しいイラクの統治について有識者が集まる国際会議が行われていた。
会議が行われたのは最上階にある、道路沿いの会議室。
その会議の最中に爆発テロは起きた。
爆発の影響でビルは倒壊した。
「つまり上階に居れば落下のスピードで、下の階に居れば上階の構造物の圧力で助かる見込みは殆どないよね。もし助かったとしても無傷では済まないわ。アナタの話しではハイファと言う女は、瓦礫の中からアナタを救い出して育てたと言っていたけれど、はたしてそんなに簡単に助け出せるとは思えないわ」
たしかに6階建てのビルが倒壊したとあれば、救出は困難を極めるだろう。
私が最上階の窓際に居たのなら話は別だが、その日6階の窓際にある部屋では会議が行われていた。
つまり、1人の女性がたまたま居合わせて助けられる確率はかなり低い。
それに事件のあった場所と、ハイファが住んでいた場所も問題だ。
私は赤ん坊だったから事件のあった場所や建物に関する記憶がない。
あるのはハイファやヤザから教えられた事だけ。
近くのビルで、爆破テロがあり、瓦礫の下で泣いていた私をハイファが救って家に連れて帰ったと言う事。
もしサラの言うことが本当なら、事件の起きたビルからヤザの家のあった街までは直線距離で30キロも離れている事になる。
私の知る限りヤザの家には車もバイクも、自転車さえもなかった。
と言うことは、ハイファは瓦礫の中から私を見つけて30キロ以上の道のりを帰ったのか?
もちろんタクシーやバスを使うと言う選択肢もあるが、一介の大工の妻が何故国際的な会議の行われる場所に居合わせる事が出来た?
「最大のヒントはアナタの記憶ね」
「私の記憶?」
「そう。暗い穴の中に押し込められて必死に助けを求めて泣いていたと言う記憶」
なるほど。
今まで考えもしなかったが、もし自分の記憶が正しければ辻褄が合う。
私は瓦礫に埋もれたのではなく、暗い穴の中に押し込められていたのだ。
押し込められる穴とは何か?
“筒”
シェルターだ。
つまり両親は最悪の事態に備え、私を頑丈なシェルターの中に入れてハイファに託していたと言う事なのか。




