平穏なリビア
バラクが死んだあの日から1か月が過ぎた日、前線基地の撤収が決まり部隊は元の基地へ移動することになった。
「いやー、これで夜勤のドライブからも解放されるって訳だ」
トーニが声を高らかに言った通り、あの日を境に街は穏やかな顔を戻していて、いつ何が起きるという緊張感もなく本当に夜のドライブを楽しむような毎晩だった。
何度か港の28番倉庫や、アジトにも立ち寄ったが、直ぐに残骸は撤去されて今はもう面影もない。
休日を利用してムサの店にも1度だけ足を運んだ。
セバも、もう確り店の切り盛りを手伝えるようになっていて、俺に軍隊なんか辞めて一緒に働かないかとまで言ってくれた。
正直、嬉しかった。
セバの事は嫌いじゃないし、普通の家庭に入れるなんて夢のよう。
だけど俺には、まだやらなくてはならないことがある。
それはヤザを見つけること。
平和になった、この地では、それは叶わない。
だから体よく断った。
復讐か? と聞かれれば、前は躊躇うことなく、そうだと答えただろう。
しかし、ここに来てレイラや死んだバラクを見た後では、違うとは言えないけれど、そうだとも言えない中途半端な気持ちがする。
前線基地をスッカリ更地に戻して、国軍と一緒に長い隊列を組んでアンドレ大佐の居る基地へと向かう。
道中で急に“バンッ”と言う大きな音がして隊列が止った。
“残存部隊の破壊工作か!?”
一瞬緊張が走り、自動小銃を構えて車から降りてみると、国軍のトラックが釘を踏んでパンクしているだけでホッとする。
のんびりと国軍の兵士がトラックのスペアタイヤを交換している中、空を見上げていた。
「空に何か見えるのか?」
ハンスの言葉に「うん」とだけ返事をした。
この蒼い空の向こうには、今は太陽の明るさで見えないけれど、星が瞬いている。
何光年、何万光年先に無限に広がる大宇宙。
そのどれか一つにだけでも、争いのない幸せな星があれば好いと思って見ていた。
そして、その星にバラクやハイファが生まれ変わって、また姉弟として暮らして欲しいと。
でも、そんなセンチなことは、外人部隊にいる限り言えない。
俺は男として、戦士として雇われているのだから。
タイヤの交換が終わって部隊は再び走り出す。
ここへ来た時と違って、道に爆弾を仕掛ける者もいなくて安全な移動。
本来あるべき姿。
人が自由に、安心して通える道。
やがて基地が見えて来た。
遠くから見ただけでも、人だかりが待ち構えているのが分かる。
「軍曹、また大変ですね」
運転している俺の後ろからブラームが言った。
「たいしたことじゃない。別に命を狙われる訳じゃないんだから」
そう言って笑ってみせた。
基地へ戻ってから1週間後、正式にŠahrzād作戦の終了が国から届くとニルスが教えてくれた。
これで俺たちはもうリビアに居る意味がなくなる。
その日、久し振りにDGSEのエマ大尉がやって来た。
「あら! ナトちゃん久し振りぃ。元気にしていた?」
「やあエマ大尉、お疲れ様。本国では色々と大変だったでしょう」
「なによ、敬語なんか使っちゃって。エマで良いのよ2人の時は」
そう言ってエマは笑いながら、腰をポンポンと叩いた。
「腰を痛めたのか?」
「そうなの。もう激しくって」
エマが何を言っているのか分からないでポカンとしていると、手を取られてテントの影に連れて行かれた。
「実はね私、これでDGSEを辞めるつもりでリビアに来たの」
「辞めるの?!」
「それでね、ここへ来る前に実は休暇を取ってムサのお店に行ってきたの」
「ムサのお店に? 世話になったから?」
「うん。それもあるけれど、実は……」
「実は??」
相変わらず、なにを言っているのか分からない。
「実は結婚しようと思って、告白してきたの」
「告白! セバと?」
正直、驚いて思わず大きな声を出しそうになって、エマに口を押えられた。
「違うわよぉ」
「じゃあクリーフ?」
「どうして、1人飛ばすのよ!」
「えーっ! じゃあムサとぉ??」
「ちょっと、そこ驚くポイントじゃないでしょ」
「いや、普通驚くだろ? 相手は退役軍人だぜ。歳の差なんて幾つあるんだ?」
俺が驚いて言うと、エマは見るからに膨れっ面になった。
「失礼ね! 恋愛に歳の差なんて関係ないの。大切なのはインスピレーションよ」
そう言いながら、また腰をポンポンと叩く。
「寝たの??」
「ナトちゃん。直球過ぎ! でも“寝た”わよ。正確には“寝ていた”だけど」
「寝ていた? じゃあ俺がレイラと街に出た日や、1人でバーに行った日。……もしかして、あのマッサージしていた日も?」
「そう。そのまさか」
「で、決まったの? 式はいつ?」
「それがねぇ――。断られちゃったの」
「断られた?」
「そう。お前には、もっと良い人が現れるだろうって。さんざん私のこと突きまくった挙句がコレよ。“老いてなを元気”って言葉は、屹度あの人にためにある言葉だわ。
「チョッと待って。エマは今まで何十人もの男と寝たって前に言っていたよね。それってもしかして振ったんじゃなくて――」
「そう、振られちゃったの。だから女に走ったのよ。しかし今回ばかりは旨くいくかと思ったんだけどなぁ~。ムサにしてみたら孫ほど年の差のある若い奥さんでしょ、それに美人でスタイルも良いでしょ」
確かに、その点は否定しない。
「ねぇ、ナトちゃん……」
エマが俺にすり寄ってきた。
これは、ヤバイパターン。
こんな所でキスしているのが見つかったらLéMATを首になるどころか、外人部隊にだって居られなくなる。
「ダメダメダメダメ!」
そう言って、くっ付こうとしてくるエマを跳ね退けた。
「チェッ。私ならナトちゃんの良い奥さんになれると思うんだけどなぁ」
「俺は、男じゃ……」
「んっ? 男じゃないの?」
「いや、部隊では女じゃない」
「じゃあ男でしょ」
「いや、それも違う」
答えに困っているところに、俺を探しに来た黒猫がやって来てミャーとないた。
「あら、可愛い! どうしたのこの子」
「あの後、パトロールでバラクのアジトに立ち寄ったときに拾った」
「で、どうするの? 外人部隊の寮はペット禁止でしょ」
「だから、いま引き取り手を探している」
「そう……」
エマは猫を抱き上げて「じゃあ私が貰って上げる」と言った。
「いいの?」
「いいよ、この子なら屹度拒否はしないでしょ」
「でも、女の子だよ。その子」
「もう。だから百合だって言ってあるでしょ」
相変わらずエマだった。




