教会に居た女②
花壇の花を整え、直した柵にペンキを塗り、散らかっていたものを全部片づけ終わる頃には怪我をした神父を乗せた奥さんの車が帰って来た。
「まあっ!見違えるように綺麗になったわねえ!」
「ああ。まるで昨日の事など、無かったみたいだ」
荒らされた庭が、すっかり綺麗になったのを夫婦共々、とても喜んでくれた。
「それでは私は、このへんで失礼します」
「あら大変!夕食を一緒に食べましょうと思って、お買い物をしてきましたのに。質素かも分かりませんが美味しいお料理を用意しますので、是非召し上がって帰って下さいな。あらやだ、お約束がありますの?」
「いえ……特に……」
まさか今更、基地司令官から、夕方には戻るように言われたなどとは言えず。
かと言って、気の利いた嘘も思い浮かばない。
「家内も私も楽しみにしておりますので、遠慮なさらずに是非」
結局、断る理由も見つからないまま、夕食を御馳走になる事になった。
家に連絡をしておくと言って携帯でハンスにその旨を伝えると“気を付けて帰って来い”と、呆気なく承諾してもらい少し気が抜けた。
衣服に着いた泥を落とし、教会の中に入るとまたリラの香りがした。
「まあ素敵!リラの花。これも貴女が!?」
見ると、祭壇の隣にあったマリア像の所に、紫色のリラの花が鮮やかに飾られていた。
「いえ」
「誰でしょう?」
屹度、あの女に違いない。
喪服を着た若い女性が礼拝に訪れた事を伝えたが、奥さんも神父も知らない人だった。
料理ができるまで、マリア像の傍に居た。
ハイファに似ている、そしてあの女にも。
あの女は一体誰!?
胸騒ぎがするほど危険な香りがする反面、ふかふかの毛布の様に優しく温かい。
そんな不思議な女性。
決してもう会う事などないと思いながら、なんとなく会わなくても今まで共に歩いて来た様な気がしてならない。
リラの花に飾られたマリア様に、そっと聞いてみた。
「who are you……」
神父夫妻に夕食を御馳走になって部隊に戻るため、車に戻るとワイパーにピンク色の花が一輪挿してあった。
“シャクナゲ!?”
屹度、あの女に違いない。
ワイパーから花を外し、エアコンの吹き出し口に挿してエンジンを掛けた。
いくら許可を貰ったとは言え、遅くなってはマズい。
部隊の駐車場に車を止めると、飛び出す様に外に出て司令部に向かった。
「こってり絞られたか?」
「いや」
途中、トーニに声を掛けられたが、一言返事を返しただけで小走りに司令部に居るハンスの元に向かう。
内務省での事は既に携帯で伝えてあり、その他に特に急いで報告しなければならない内容などはないが、何故かハンスに伝えたいことが沢山あるような気がして、とにかく一刻も早く会いたいと思った。
「ハンス!」
指令室に飛び込むと、そこにハンスの姿はなく、ニルスとマーベリックが居た。
「おかえり。ハンス司令はエマ少佐と、15分ほど前に国防省に向かったよ。道ですれ違わなかったか?」
「内務省でコッテリ絞られた割には、なにか宝物でも見つけた様な表情だね」
マーベリックに続いてニルスが言った。
どうやらハンスは私の行動を2人には話していないらしい。
……と言うか、話す暇など無かったのかも知れない。
司令部の隣にあるハンスのオフィスのブラインドカーテンの隙間から、いつも整理整頓の行き届いたハンスの机が散らかっているのが見えた。
内務省から連絡したとき、忙しい素振りは無かったから、その後何かが起きたに違いない。
「何かあったの?」
「ああ、ヴィーシュホロドでチョットした騒ぎがあって、俺達が到着した頃にはSEALsのスタンレー中尉が到着して大方片付けていたよ。やっこさんナトーに会いたがっていたぜ」
スタンレー中尉とはアフガニスタンのザリバン高原※(架空の地名)の戦いで共に戦った。
国防省で行われた会議で何度か短い言葉を交わしただけだったが、久し振りに私もジックリ会って話がしたい。
「マーベリック、その事じゃないよ。ナトちゃんが言いたいのは“ハンス”に何かあったのかっていう事だよ」
「ああ、そうかスマン」
確かにニルス中尉の言う通りなのだが、それじゃあまるで私がハンスと付き合っているみたいで……謝られても困る。
「実はね、僕も詳しいところはよく分からないんだけど」
ハンスが出て行くまでの経緯を、ニルスが話してくれた。
話によると夕方間近に突然ハンスのオフィスにエマが入って来たのが事の始まりで、そこから何か激しく口論をしていたが、結局エマに押される形で慌てて資料をまとめて飛び出す様に国防省に向かったと言う事だった。
一体何があったのか分からないがエマが絡んでいると言う事は、ハンスに一旦却下されたドローンに関する事で何か進展があったに違いない。
会いたかったハンスが居なかった事に拍子抜けして部屋を出るとき、鞄に挿してある花のことをニルスに聞かれた。
「ああ、これ!?綺麗だから一本いただいて来た」
「!?」
ニルスは私が昨日の教会に行ったことは知らせていないから、どこで何があって花をいただいて来たのか分からなくてポカンとしていた。
司令部からサロンには寄らず、部屋に戻る。
「今夜は久し振りに土砂降りだぜ」
外に出ると、食堂棟の階段に腰かけていたトーニが、司令部棟から出て来た私を見つけて声を掛けて来た。
「サロンには行かないのか?」
「ああ」
「何をしている?」
「星が出るのを待っていた」
トーニの言葉に空を見上げた。
厚く低い雲が空中を覆いつくし、星など見える状態ではない。
「見えたのか?」
「ああ、ひとつだけだけどな」
そう言うとトーニは腰を上げ、サロンの方に消えて行った。
ひとつだけ……。
“それって、ひょっとして私の事!??”
そう思うと、急にカァーっと胸が熱くなった。
“もう、トーニの馬鹿!嬉し過ぎて、恥ずかしいじゃないの!”
作業で汚れた体をシャワーで綺麗に洗い流す。
温水にしないで水にしたのは、トーニのお世辞で火照った心を落ち着かせるため。
まるで雨の中。
雨……。
急にあの教会で出会った女の事を思い出す。
喪服が、まるで軍服に見える程、凛とした女。
教会のマリア像に飾られた紫のリラ、そして車のワイパーに挟まれたシャクナゲ。
リラの花言葉は「友情」「謙虚」「青春の思い出」「純潔」など。
紫色のリラは「愛の芽生え」や「初恋」、ただしイギリスでは「別れ」を意味する。
そしてシャクナゲの花言葉は「威厳」「荘厳」「危険」など。
特に英語圏では「danger(危険)」「caution(用心)」「beware(注意する)」と言われる。
そのシャクナゲがワイパーに挿されていた……。
「教会」
「喪服」
「紫色のリラ」
「シャクナゲ」
「ワイパー」
「今夜の天気」
“もしかすると!!”




