ピパを追え!
「トーニ見つけたか」
「ああ」
「ブラームは?」
「奴さんは、地下からここに向かって来る奴を見張っている」
「トーニはブラームの援護に着け!」
「俺がブラームの援護?」
「何か問題でも?」
「じゃあ秘密の水路は、どうするんだよ!?」
「いま、教えろ」
「……」
「命令違反になるぞ」
「……」
トーニは何も答えないで、自分の頭をコンコンと叩いていた。
「悪ぃ、ショットガンの撃ち過ぎで、急に耳が聞こえなくなったが、案内なら出来るから俺様について来い」
見え見えの“聞こえない振り”
仕方のない奴だが、確かにブラームなら問題ないし、既にキースがこっちに向かって来ているのが見えた。
トーニは意地でも振り向かないつもりらしく、森の奥に消えてしまった。
「マルタ、トーニを追うぞ!」
「わかったわ」
トーニの後を着いて行く。
直ぐ近くだと思っていたが、結構遠い。
ダニエルを乗せた軽飛行機を追うために俺が離れていた僅かな時間に、トーニは全力でこの森の中を駆け回り水路を見つけてくれたのだ。
「ここだ」
僅かな樹木の切れ目に、水路は有った。
「奴がここから逃げたと言う証拠は?」
「俺を試しているつもりか?チャンとここに足跡があるぜ」
「敵は何人だ?」
「6人プラス1人」
「その1人がクラウチ社長であると言う根拠は?」
「足跡のうち1人だけ、靴底に滑り止めのないビジネスシューズだから。どんな馬鹿でもジャングルを歩くのにビジネスシューズを履いて来る奴はいねえ」
「なるほど……」
俺の返事を聞いてトーニが自慢そうに胸を張って笑う。
「つまり、耳が聞こえると言う事か。それならもう一度言う。戻ってブラームの援護をしてやれ」
「嫌だ」
「命令違反になるぞ」
「構わねえ。俺はナトー。お前を守るために、ここまで頑張って来たんだ」
「撤退命令に従わないと言う訳か」
「撤退?違うだろ。クイーンが2人も駒を進めるのに、ポーン(歩兵)が付き添わないんじゃ軍隊として失格だろう?」
チェスに例えて来るなんて、ナカナカ冴えている。
「仕方ない、じゃあ俺の後ろに乗れ!」
「いや、俺は歩く。どのみち、この沼みてえな所じゃ馬も走れねえし、2人乗る事により馬も疲れてしまうだろう?」
そう言うと、トーニは俺が乗っている馬のクツワを握り、先導するようにスタスタと歩き出した。
「こんなにユックリで大丈夫ですか?」
マルタが心配そうに聞く。
「大丈夫だろう。よーく見てごらん川の底を」
水路の底にはたくさんの足跡、それにボートを引きづっている跡もついている。
つまり奴等は折角用意していたボートに乗ることが出来ずに、押しているという事。
無理もない。
通常なら1日に何度かまとまった雨が降るこの地方では珍しく、雨は俺たちがやってきたこの3日間で1回しか降っていない。
それも短時間の。
おそらく自然にできた川でなく、脱出用に掘って作ったもの。
だから、雨水や湧き水が溜まる地層から少しずれていて、まとまった雨が定期的に続かない限りチャンとした水路としては使えない。
水路として使うのであれば川底の浸透性を防ぎ、水を貯えるようにしなければならないし、このような素掘りでは直ぐに周囲から泥が流れ出てたまってしまい雨が降る度に段々浅くなってしまう。
そして俺たちが急いで追わないのにも訳がある。
奴等との距離は左程開いていないはずだし、奴等がボートを押し続けている以上、こうして歩いているだけでも距離は確実に縮まって行く。
下手に水のある所を急いで走ると結構な音を立ててしまい、奴等に気付かれて待ち伏せをされたり、ジャングルの中に逃げ込まれたりした方が厄介だ。
そしてそれよりも厄介な事は、逃げるのに足手まといになるクラウチ社長を殺害されてしまうことで、それだけは絶対に避けなければならない。
だから下手に奴等を刺激することなく、こうして間を詰めづに進んでいる。
俺とナトーだけなら早急に差を詰めるところだが、今はマルタが一緒にいる。
本来ならこの様な追跡戦に素人を連れて行くものではないが、父親の安否を心配するマルタの気持ちを汲んでナトーが同行を許したのだろう。
なんて優しいやつ。
誰だって優しい振る舞いはできるが、今回ばかりは優しいだけでは成り立たねえ。
なぜなら下手をすると、その大切な父親の惨たらしい最期をマルタに見せることになりかねない。
要は、恩が仇になるケースだってあるってことだが、ナトーがそんな初歩的な事にも気付かねえでマルタを連れてくるはずはねえ。
俺には分からねえが、ナトーがこれ程までに落ち着いているってことは、もう敵の気配を感じているに違いねえ。
おそらくもう勝利のスケジュールが組み終わっているという事だろう。
なんたってナトーは戦術の女神アテナなんだから。
馬に乗ってきて正解だ。
何しろ視線が高いから、水路の水の状態がよく分かる。
水面に広がる波紋の様子から、もうそろそろ奴らの立てる音や声も聞こえてくることだろう。
ボートを押している以上、奴らは一塊になっているから始末するのは簡単に思えるが、塊の何処にクラウチ社長が居るか分からないから現実的には難しい。
かと言って離れたままでいると、ボートが動き出したときに、みすみす逃してしまう。
一番いいポジションは、ボートが動き出したとき奴らに追いつける位置。
ボートが動き出すと言う事は、今まで押していた奴等が個々にボートに乗るための行動をとるために奴等の行動が一瞬バラバラになり、その時に出来る一瞬の隙を俺は狙う。
「トーニ、俺が合図したら向こう側の岸を全力で走れるか?」
「聞くまでもねえ」
「走っている途中で、木の根に足を取られて転ぶのは無しだぞ」
「子供じゃねえぞ」
「私は、どうすればいいのですか?やはり、ここで……」
「とりあえず、俺達2人が走り出しても直ぐには動くな」
「直ぐには、って、どのくらいでしょう?」
「ゆっくり10数えろ」
「その後は」
「心の声に従って動けばいい」
「心の声に?」
「何も考えず、心の声を待つんだ。心の声が何も囁かなければ、ここで俺たちが戻って来るのをジッと待つ。もし囁きが聞こえたなら、その声に従え」
「でも私なんかに、そんな心の声なんて囁きかけてくれるのでしょうか?」
「俺が何のために足手まといになるだけの素人を連れて来たと思う?」
「そ、それは、私を可哀そうだと思ってでしょう?」
「違う」
「違う?」
「万が一の場合に、俺達では分からないメッセージを受け取ってもらうためだ」
「それはつまり、最悪の事態が起きた時の事?」
「違う。マルタのお父さんは絶対に死なせやしない」
「だったら」
「分からないが予想していない事態が起きた時、必ずクラウチ社長はマルタが近くに居る事に気が付くはずだ。当然猿ぐつわをされて言葉は出せないだろうが、そのとき心の中で何かを強く叫ぶはず。ただ、そのメッセージは俺たち2人には届かない。……分るな」
「はい」




