港の28番倉庫①
途中まで引き返したところで、俺を探してくれていたセバとエマに会った。
「アマル。ごめんなさい!1人にしてしまって」
いきなりエマに抱き着かれて、俺とセバは目を丸くして驚いた。
「大丈夫か?どこに連れて行かれたんだ?痛い事されなかったか?」
一瞬目を丸くしていたセバが心配そうに聞いてきた。
セバは、暴漢たちにノックアウトさせられて、俺が走って逃げたことを知らない。
「大丈夫だよ。あいつらには指一本触らせていない」
俺が心配してくれているセバに言うと、エマの顔が強張るのが分かったので「怖すぎて悲鳴が出せなくて走って逃げた」と、直ぐに付け加えた。
「さすがアマル!機転がきくなぁ」
赤く腫れた自分の頬の怪我など忘れたかのように、セバが喜ぶ。
「今まで、逃げていたの?」
「いや、我武者羅に走ったものだから疲れて休憩していたのと、帰り道が分からなくなって彷徨っていた」
「そう、それは良かった」
「まあ、何よりも無事が一番だ。今日は俺も不意打ちで不覚をとってしまったけれど、もう相手の人相は覚えたから明日は大丈夫だぜ」
そう言って、肩をポンポンと叩いてくれるセバ。
「本当に大丈夫なの?」
エマが俺の衣服に着いた汚れをはたきながら気遣ってくれる。
だけど、エマのこの行為が衣服の状態や体のチェックだということを知っている俺は、それを素直に喜べなくて複雑な気持ちだった。
3人でムサの家に着く。
今夜は心配だから、ここに泊まると言ってくれるセバ。
スパイじゃないセバの気持ちは、エマのそれとは違って優しく心に浸み込んでくる。
「実は、道に迷っている時に助けてもらったオジサンに、ある荷物の事で困っていると相談された」
みんなには迷惑を掛けたくなかったけれど、一刻を争うと思い、唐突なのを承知でエマとムサにバラクの名前を伏せながら、聞いた話をそのまま伝えた。
「もしもヤバイ品物だった場合どうする?テロ組織絡みで、まともな情報というものはないぞ」
ムサが俺の目を睨むように見て言った。
「大丈夫だ」
「その根拠は?」
「根拠はない。あるとすれば、その依頼主の言葉を信じたいと思う俺の気持ちだけだ」
ムサがエマと目を合わせて、おどけてみせる。
「信じられないのは分かる。俺だけでやるから、エマもみんなも残ってくれればいい」
確かにムサの言うように、これがバラクの仕掛けた罠だとしたら、ちょろちょろと嗅ぎまわっているハエを一網打尽に捕らえることが出来るだろう。
だけど俺はバラクを信じる。
いや、信じたい。
信じなくてはならないと思っている。
彼は、俺を育ててくれたハイファ母さんの弟だ。
罠なんかじゃなく、彼は助けを求めている。
誰にも相談できずに悩んでいた問題を、ハイファの育てた娘に打ち明けた。
「1人で出来るのか?相手の注文によると、荷物の見張り番も殺さないで欲しいということらしいが、倉庫の中は意外に声が響く。殴られただけでも相手は声を出す。殺すよりも難しいぞ」
確かに、ムサの言う通り。
でも、俺はやらなくてはならない。
「なんとか、やってみせる」
これはハイファに助けられた命に対する恩返しだ。
誰が何と言おうとやる。
俺の決意は固かった。
それを見抜いたのか、ムサが笑い出して言った。
「乗る」と。
「荷物を運ぶなら、道向こうの倉庫に爺ちゃんの車があるから、俺がとってこよう」
「いや、車を呼ぶ」
ムサが言った。
「車を呼ぶって?車は直ぐ目と鼻の先にあるっていうのに?」
不思議がって聞いたセバに、ムサが言う。
「アマルたちは2度も何者かに襲われた。1度目はワシが助けに駆け付けた隙に、他の何物かが、空いたこの家に忍び込んだ。これがどういうことだか分かるか?」
「見張られて居るって言うこと?」
「その通り」
「ワシの知り合いに、うってつけの男がいるから、それを呼ぶ」
そして直ぐにムサが携帯で誰かに連絡した。
ものの10分足らずで車が来た。
来たのは救急車。
店の前に止まった車からは直ぐにストレッチャーが下ろされて店の中に運び込まれ、それに俺が乗り、エマが付き添いで一緒に車に乗った。
「悪いな、クリーフ」
「いいえ、大佐のお役に立てるなら光栄です」
来たのは元リビア情報部特殊部隊のクリーフ中尉。30代半ばでいかにも元特殊部隊らしく体格はいいが、今は退役して救急隊員として勤めている。
クリーフと一緒に来た同僚も同じ特殊部隊の元兵士で、店内に入ると直ぐに白衣とヘルメットを脱いで、それに着替えたムサが救急隊員に成り済まして車に乗った。
見張られていたとしても、店にはムサとセバが残っているように見せかけるトリック。
「で、どこに行きますか?」
「港の28番倉庫。そこに囚われている人を助ける」
「救助作戦ですか、それは久し振りに胸が躍りますネ。ダッシュボードの中に拳銃がありますから、それを使ってください」
ムサがダッシュボードを開けると、拳銃が2丁あった。
「いい拳銃だが、今回は拳銃はなしだ」
「了解しました」
慣れているのか、クリーフはムサの言葉に迷うことなく従う。
「ところで、後ろのお嬢さんたちは?」
クリーフが不思議そうに、ルームミラーで俺たちを見ながらムサに聞く。
「囚われている人の、お友達だ」
「どこか安全な所で待っていてもらいますか?いくら友達の救出でも、素人さんを巻き込む訳には」
「ところが見かけと違って、素人さんでもないらしい。事情は詳しくは知らんがな」
「なるほど」
クリーフは、そう言うと、それから何も話さなかった。
倉庫の近くで車を止めた。
「拳銃どうします?一応携帯しますか?」
「いや、重りになるだけだ。必要な時は相手の者があるだろう」
「了解」
そう言ってクリーフは、拳銃をダッシュボードに仕舞いカギを掛けた。
ムサの言い分も見事だが、それに素直に従うクリーフも大したものだと思った。
倉庫の大きな扉は閉められていた。
最初から開いているとは思ってもいない。
その、正面の大きな扉の横に、人が出入りするだけの扉が1つ。
他に扉は裏に2か所あったが、俺たちはニ手に分かれずに、その中の1つの扉から入ることにした。
俺がピッキングでカギを開ける間、クリーフが持ってきていた浸透性のある油を扉の蝶番に入念に塗っていた。
港の倉庫。
深夜とはいえ船の音は聞こえるが、かなり静かな時間帯。
もしも扉を開けたときに、軋む音がすれば直ぐに侵入者があることが分かってしまう。
ムサは扉に耳を付けて、中の物音をうかがう。
顔を見上げると、どうやら大丈夫らしい。
カチャリと最後に音がして、鍵が開いたことを知らす。
ゆっくりとノブをまわし、扉を引く。
油の効果で、扉は文句も言わずに開いた。
薄暗い室内には幾つかの木箱とコンテナが積まれている。
先ずは状況確認のため俺とムサが入る。
急いで中に入り、外の空気が入らないように直ぐ扉を閉めた。
注意深い奴なら、外の空気を感じて侵入者があることに気が付く。
俺は裸足。
革靴だと歩く音が出るから。
ガラスや金属を踏んだ時に怪我をする恐れはあるけれど、これが一番足音がしないし、床の状況が掴み易い。
ムサを扉の前に残して、ゆっくりと薄暗い中を進む。
水煙草の匂いと、話し声が聞こえて来た。
長いコンテナの先端まで進み。ポケットから化粧用のコンパクトを取り出し、足で挟み床ギリギリの低い位置からその先を伺う。
4人の男が、小さな木箱を囲み何かしている。
手前には後ろ向きに寝そべっている男が1人。
その向こうには手で顔を覆って横になっている男が2人。
そして、その男たちの手前に椅子に縛られて、俯いている男が1人。
この男がエージェントだとしたら、敵は7人ということになる。
“おかしい……”
寝ているのが3人というのが引っかかる。
起きているのが4人なら、寝ているのも同数が普通のような気もするし、隊長が居て総勢9人とも考えられる。
そんな気がして、他に居ないか探した。
コンパクトを手に持ち替えてコンテナの上を探るが、他の荷物が邪魔をして、見通しが利かない。
ムサに、この長いコンテナの後ろ端まで来て待つように指示して、コンテナの上に手を乗せて、ゆっくりとその上に登ると、ようやく倉庫内の全容が見えた。
捕まえたエージェントの近くで水煙草を吸いながらカードゲームを楽しむ4人と、その回りで寝ているのが3人。
手前で木箱に背を持たれて目を瞑ってい1人と、その木箱の上に寝そべっているのが1人。
銃はその木箱に立て掛けてあるのが4丁と、木箱の上に2丁、それとカードゲームをしている4人の傍に4丁。
銃が1丁多い。
敵は、もう1人いる……もしくは、俯いているエージェントが偽物なのかの、どちらかだ。
時間は掛かるが、今は待つしかない。
待って確かな答えを見つけるために。
エージェントが敵だった場合は、完全に罠だ。
突入はおろか、ここにこうして居ることさえ危ない。
一応の状況を伝えるために、コンテナを小さくたたいてムサに信号を送る。
同じコンテナに居る者ならば、この微かな振動に気が付くはず。
まして彼は元教官という肩書も持っていたはず。
コツコツと指で微かにコンテナを叩きモールス信号を打つ。
“ジョウキョウカクニンチュウ・エージェントラシキオトコカクニン・テキ9ニンカクニン・10チョウノジュウカクニン・ジュウトヒトノカズアワナイタメシバラクヨウスヲミル・イジョウ”
伝わったかどうか確認するため、耳をコンテナの鉄板につけた。
“リョウカイシタ・ネンノタメ・クリーフニ・モウイッポウノドアヲサグラセル・イジョウ”
“ソウネガウ・イジョウ”
上手く連絡が取れた。
あとは、クリーフからの連絡を待つだけだ。




