逆襲のナトー②
“揺動作戦!”
俺はマズルフラッシュが漏れないように、イヌツゲの根元に積み上げていた草木を取り払い、視界を開く。
右の車の陰で何かが動いた。
動いた奴が3台の車の陰から出て来るには、走っても2秒は掛かり、車から出た先は道路へと繋がる広場。
俺の裏に回るには、広場を突っ切って森に入る必要がある。
正面を向いたまま、意識だけを右側に集中させる。
奴が走った。
だが、俺は直ぐには反応しない。
あの中国人の女という奴が、俺の知っている人間なら、簡単な二次方程式の様なトリックは仕掛けては来ない。
“グリムリーパー”と叫んだ声は男のモノだったが、それが直接“俺”を指しているモノではなく単なる強力な狙撃手に怯えて言ったものだろう。
陽動作戦を敷いて来る奴は、狙撃手としての俺の腕も知っている。
パンと言う銃声と共に、左側の井戸に掛けられてあったブリキ製のバケツの取っ手が千切れて、地面に落ちガシャンと大きな音が響く。
同時に、窓を乗り越えた男が正面に向けて走り出す。
丁度右に走っていた奴が車から飛び出してくるタイミングと重なる。
そしてそのタイミングに合わせて、建物の左から男が飛び出した。
建物の左側面から障害物迄は僅か5メートル。
俺は左側面に飛び出した男に照準を合わせて撃つと同時に、右側に向けて走りながらイヌツゲのうっそうとした枝越しに、正面の男も撃つ。
しかし俺が敵を撃つと、直ぐに敵からも激しい反撃に遭った。
なにしろ三方の敵に反応するために、もう鉄パイプ越しに撃ってはいられないので、俺は鉄パイプから銃を抜いて応戦する。
当然銃から出るマズルフラッシュは、敵からも容易に見つける事が出来るので居場所が分かってしまう。
フルオートで放たれる自動小銃に、軽機関銃の銃弾。
グレネード弾の爆発。
俺の周辺は草木が倒れるほどの凄まじい音と砂埃が舞い上がり、まるでこの世の地獄の様な有様。
奴の狙いは俺の位置を知る事。
そのために万全の準備をしていたのだが……。
「打ち方止め!」
指揮官らしき女の合図で、激しかった銃声が治まる。
暗い工場の中は硝煙で咽るほど。
「奴は?」
「砂埃が酷過ぎて見えません。それに部屋の中の煙も邪魔で、まったく……」
「それなら、窓際迄行けば済むことでしょう?」
「しかし……」
「一瞬で、あれだけの銃弾とグレネード弾を浴びたのだから、運よく死ななかったとしても、もうあの距離からの狙撃は出来ないはずよ」
「はい」
男は渋々、窓際に進む。
「動きは、ありません」
双眼鏡を覗いていた部下の男が言った。
「動きが無い事くらい肉眼でも分かるわ。要は死体が有るか無いかを聞いているのよ」
「ハッ……」
窓の近くまで進んだにもかかわらず撃たれなかったことで安心したのか、男は大胆にも窓枠に肘を掛けて身を乗り出すように双眼鏡を覗いた。
指揮官の女が言った“死ななかったとしても、もう狙撃は出来ない”と言う言葉を真に受けて、ブレを少なくするために。
しかしグリムリーパーは、そんなに甘い相手ではない。
たとえ怪我をしていたとしても、銃さえ握る力が残されていれば、双眼鏡の男は格好の標的になってしまう。
なのに女はそれを止めないで、自動小銃を構えて部屋の奥から周囲を警戒している。
つまり、司令官の女は、双眼鏡の男を“囮”として使っているのだ。
「――死体を発見しました!」
「死体!?」
双眼鏡を覗いていた男が、倒れている人影を発見した事は、女にとって意外な事だったに違いない。
「どんな状況?」
「なにがですか?」
「死体の状況に決まっているでしょ」
「おそらく、反撃を回避するために穴を掘っていたのでしょう。そこに入り切れずに倒れています」
「顔は?」
「穴の中です」
「手は」
「手も同じです」
「足は」
「足は銃撃で落ちた枝の陰になって見えません」
「どうしてそれを死体と言えるの?」
「しかし、服とズボンが見え、人間の形をしています」
“人間の形か……”
「赤外線暗視装置で生体反応を確認して!」
「あいにく、赤外線が漏れるアクティブ式のものしかありませんが……」
「死体が有るのなら、それで良いでしょう?それが嫌なら死体のある場所まで行って確認して来なさい。それとも、今更“あれは死体ではなく藁人形でした”と言い直しますか?」
女性指揮官は、余りにも呆気なくグリムリーパーを倒せたことに、逆に苛立っている。
双眼鏡を持っていた男が、大型の暗視装置を三脚の上にセットして再び覗いた。
「人形ではありません。熱反応があります!」
双眼鏡を持った男は、ホッとしたのか、大きくハッキリした声で伝えた。
「そんなバカなことはないはずよ――どいて!」
女指揮官は体当たりするように、三脚の上に乗せられた赤外線暗視装置にしがみ付いて覗いた。
中に見えるのは既に手足の表面温度は消え、俯せになっている胴体だけに朱と橙色が存在する人の形をしたもの。
それは、まさしく死体。
心臓が止まり血液が遅れなくなったことで、元々の血液量が多くない手足から先に体温が奪われてゆく。
「ベルゼに最終確認に向かわせろ」
ベルゼと言うのは、運良く森の入り口に辿り着いた隊員。
「応答しません」
グリムリーパーに襲われている時、何故奴の位置が見えないのか焦った。
真夜中なら容易にマズルフラッシュが見えて、位置が分かってしまうのに。
距離も位置も分らない相手とは戦いようがない。
屹度グリムリーパーは、狭い土管の奥に隠れて、獲物を撃っているに違いない。
土管の奥からなら、マズルフラッシュの見える範囲は極端に狭くなり見える範囲も狭まる。
だから左右から同時に攻撃を仕掛けた。
頭の良いグリムリーパーは直ぐにその事に気が付いて、視野の確保できるフィールドに出なければならない。
でなければ、常に横または背後から狙われる危険性を抱えた状態で戦わなければならないばかりか、移動することもままならなくなる。
そうなれば時間との勝負に持ち込める。
既に我々は峠の向こう側に駐屯させている部隊に、救援要請を掛けているから、あと1時間足らずでここに辿り着くはず。
予めグリムリーパーが潜んでいる事が分かっているのだから、ワザワザ正面に周り、相手に来たことを知らせることは無い。
左右背後、有利な位置から輪を狭めて行けば良かった。
それが自分が描いていた最良のシナリオ。
だがグリムリーパーは、それを察知して森に辿り着いたベルゼを倒すために、銃弾の雨の中に一瞬留まってしまった。
暗闇に見えたマズルフラッシュだけを頼りに乱射しているのだから、当たるか当たらないかは時の運。
可愛そうだけど、彼女にも運に見放される時が来たと言う事か。
「2人でグリムリーパーの死体を連れて来い」
「ボス一人になりますが……」
「もうグリムリーパーは死んだ。仮に仲間がいたとしても、その様な物にやられる私ではない」
2人が出て行ったあと、パイプ椅子に腰かけた。




